竹之下地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第25番札所)

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 津山市阿波の摩尼山高福寺を訪問する途中の畑の中に立っている霊場です。この近くにお住いの方がお掃除などのお世話をなさっているそうです。なんでも阿波の霊場巡りはコロナで今年はできていないそうです。本尊は地蔵菩薩です。(2021年8月1日撮影)


 天保年間(1810~1843)に竹ノ下地区内に悪病が流行した時、庄屋寺坂常右ヱ門が住民と協議の上寺坂貞兵衛と二人で、四国阿波徳島88ヶ所の19番札所で軸物と地蔵菩薩を受けて帰り、「衆病悉徐・抜苦与楽・寿命長遠」の延命地蔵菩薩として堂に安置した。それから地蔵堂と呼ばれるようになった。
堂の周囲には古い墓石がたくさんあり、京保2年(1749)宝暦2年(1749)宝暦・明和年号の記入された墓石があることから考えると竹ノ下地区堂は既にこの時代に古く建立されていただろう。
春の彼岸に百万遍念仏、秋の彼岸には、2夜3日の塔婆を建立してお籠りをして、4,5軒が組んで昼はむすびと煮物を持ち寄り接待し、同じく夜はみんなで夜食を共にする。中日には竹ノ下地区の子供は全部集まり菓子やむすびを桑の葉に包んで喜んで食べたものである。

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 高福寺から大きな数珠をみんあで担いで持ち帰り、みんなが輪なり念仏、心経などを唱えながら数珠を廻し、竹ノ下地区内の衆病悉徐・寿命長遠を祈念した。この行事は太平洋戦時中は中止されていたが、現在は2夜3日も行事として阿波村内では竹ノ下だけが復活続けられている。
加茂阿波88ヶ所霊場巡拝が盛んなころは28番札所として賑やかに利用された。
古い堂は屋根が丸い茅葺きであったが、現在は白壁塗り、トタンの屋根の現代的建物になっている。本尊は地蔵菩薩である。(文:『阿波村誌』より)

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霊場すぐ傍の畑で作業されていた方に声かけたらなんとお世話されている方でした。

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畑には可愛いお花が咲いていました。


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