作州忍者鶴山隊学習会『津山藩の目明しと幕府法令』

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 第2回 作州忍者鶴山隊学習会『津山藩の目明しと幕府法令』が、2024年11月30日津山市小田中の城西公民館で開かれました。講師は、津山郷土博物館・綱澤広貴学芸員で「津山松平藩町奉行日記」から、当時の目明しの暮らしぶりを面白く話され興味津々でした。
 忍者は森藩と松平蕃の時代にも存在し、戦の無い時代でも他藩や幕府の情報を収集していた。森家の改易後、多くの忍者は故郷や他藩へ移動したため、津山藩での忍者研究には限界があります。
 津山藩では日々の出来事が「江戸日記」と「国元日記」として記録され、特に「津山松平蕃奉行日記」が残っており、この日記の中から「目明し」を取り上げ、当時の人々の暮らしぶりを勉強しました。

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講師:津山郷土博物館 綱澤広貴学芸員

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作州忍者鶴山隊の克丸隊長の挨拶          総合司会の禿丸隊員

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 「目明し」は町奉行所配下の役人で主に城下町の治安維持に関する職務を行っていたこと、「目明し」の給料や屋敷の分析から他の役人と違い一般の町人のなかから雇われたこと、アウトローな性格を持った「目明し」として三巴初五郎について説明がありました
そのうえで、「目明し」が津山城下の旅籠(はたご)屋の宿泊者から税を徴収する権利を与えられたり、帯刀を許されたりと、藩が取締りを強化するなかで次第にその地位が上昇していったことについて指摘がありました。
 その他、「目明し」には忍び廻りという職務があり、秘密裏に領民を監視したり、情報を収集するなど、領主の密偵であったとも述べられました。

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津山朝日新聞の記事

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