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取材記事内を検索ワード「史跡」で検索した結果,182件の記事が見つかりました。

造山古墳(つくりやまこふん)

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 日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
造山古墳:古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された全長約350mの前方後円墳です。現在全国4位の規模で、築造当時は国内最大でした。自由に立ち入ることができ、墳丘(ふんきゅう)を歩いて見学できる古墳としては国内最大です。
 周囲には、家来などを埋葬したといわれる倍塚(ばいづか)が6基もあり、その一つである千足古墳(せんぞくこふん)では、熊本県から運ばれた石材が使われ、直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる直線と曲線を組み合わせた文様を刻んだ石も発見されています。
 この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼神(きしん)(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています。(文:現地案内板より転載)(2024年7月3日撮影)

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)からの続きです。
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿)
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)

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早川代官の経歴と施政の大要
 代官のうちで早川八郎左衛門正紀(まさとし)は名代官と仰がれ、久世ではいくたの遺徳をしのぶ物語が伝えられている。
 早川が久世を支配したのは天明10年(1787)6月から享和元年(1802)10月関東地廻代官に転ずるまでの14か年であった。この在任年数は数多い代官のなかでも群を抜く、すなわち他の代官では初代窪島の9年、平岡・武島の7年、藤本の5年が長い方で、16名のうち半数は1~2年で交代している。早川に対する管下百姓たちの敬仰の念は、もとより早川の他と異なる施策に対するものであるが、その施策の実現は1~2年の在任では不可能で、この長期在任を基盤にはじめて可能であったということができる。
 しかし、長期在任必ずしも名大官としての施策を生むとは限らない。代官にその人を得ること、教養と経験に富む代官にしてはじめて可能であることはいうまでもない。早川はその点でも秀れた代官であった。

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清々しい津山城(鶴山公園)で散歩

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 2024年2月17日の津山城(鶴山公園)に出かけてきました。
青空で気持ちのいい日になり、久しぶりに三の丸迄上がってきました。全国に誇れるこの史跡ですが、年配者にとっては少々悪戦苦闘する石段があります。その石段を登りきると津山市内が見渡せる絶景を望むことができます。さて、もうすぐ「2024津山さくらまつり」が始まろうとしています。今年は3月23日~4月7日となっています。このさくらまつりも地球温暖化のせいで年々早くなっています。ちなみに昨年は3月25日がオープンでした。本丸まで送迎してくれるタクシー(有料)もあるそうです。皆さん、津山のサクラを観においでくださいね。

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史跡 大谷・定古墳群(真庭市)

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 2021年5月12日「第1回さららバス研修 古道をたずねる」北房方面~多和山峠~の研修に参加してきました。大谷1号墳遺物見学の様子を記しておきたいと思い組んでみました。


 真庭市上中津井の地では7世紀に入ってから、定東塚・定西塚・定北・大谷1号・定5号・定4号という6基の横穴式石室の方墳が次々と築かれました。これらを総称して大谷(おおや)・定(さだ)古墳群といいます。
 6基の各古墳はいずれも、石垣状の列石を有する段構造の方墳であることを大きな共通点としており、技術的に一連の系譜上にあることを示しています。
 出土遺物をみても、大谷1号墳の環頭大刀や定東塚古墳の全製品に代表される豪奢な副葬品などから、大谷・定古墳群の被葬者がこの地域を治めていただけの首長にとどまらない、かなり広域に影響を持つ特殊な立場の人物であったことが十分に考えられます。
 7世紀代という、この時期の古墳が特定の地域に集中し、連綿と築かれるというありかたは西日本でも大変珍しく、そのことから大谷・定古墳群は国の史跡に指定された。真庭市教育委員会(文:現地案内板より)

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メタセコイアと記念植樹

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 2023年11月21日メタセコイアの紅葉を求めて、グリーンヒルズの丘を回ってきました。
 それというのも、「2023津山ビッグマルシェ」があったときに偶然見かけた「記念植樹2003年2月20日津山市・在日本朝鮮人総聯合会美作支部」の石銘板の説明を読んで、どこにメタセコイアの木が植えてあるんだろうと巡って来ました。それに、少し遅かったけど紅葉も見てみたいと思ったからです。全部が該当するのかどうかは分かりませんが、一応メタセコイアかな?と思われる木を見つけて撮ってみました。

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衆楽園「竹あかり」

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 2023年7月29日(土) 〜 2023年7月30日(日) 津山市山北にある衆楽園(旧津山藩別邸庭園)で、竹が奏でるほのあかり「衆楽園 竹あかり」が(一社)津山青年会議所主催で執り行われました。
 「津山藩初代藩主・森忠政公の奥方・お岩の初盆に竹を使い万灯をともしたと言われ、それから 76 年間、庶民らの手によって万灯会は続けられてきたそうです。先人の想いを馳せると共に、衆楽園の魅力発信にもつなげられれば」との思いからだそうです。

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平櫛田中美術館(井原市)・平櫛田中彫刻美術館(小平市)

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平櫛田中(ひらくし でんちゅう)昭和54年12月30日逝去(107歳)
 岡山県民が誇る井原市にある田中美術館を初めて訪れたのは十数年前で、今とは違う雰囲気の美術館でしたが、その時「幼児狗張子」(ようじいぬはりこ)に出会って衝撃を受けたのを覚えています。それはなんとも言い難い、田中さんの幼くして亡くなった長男をモデルにした彫刻でした。田中さんの作品を通して、だれもが田中さんの生き方、考え方そのものに感動するのだと思います。

 また、田中さんが約20年間かけて制作した大作「鏡獅子」を、東京の国立劇場に飾るとき、国が2億円で買い上げようとしましたが、「お金はいりません。この作品は私一人で作ったものではなく、六代目菊五郎さんと2人でこさえたもんです。お金をとったら、あの世で六代目さんに会ったとき、あいさつのしようがないですよ。」と答えたそうです。(平櫛田中美術館HP)(平櫛田中彫刻美術館HP

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「国指定史跡」利神城跡(りかんじょうあと)(因幡街道宿場町平福)

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 利神城跡は、ここ佐用町平福にある中世から江戸初期にかけての城跡で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。
 城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が作用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの"宿場町平福"の繁栄をもととなったといわれています。
 しかし寛永8(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。(文:現地案内板より転載)

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