
「美作古墳めぐり」真庭地域の史跡(大谷・定古墳群)

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)

2025年5月28日、令和7年度 さら楽2班「美作古墳めぐり」に参加してきました。
第1回は、真庭地域の史跡「大谷・定古墳群」や「北房ふるさとセンター」を見学してきました。
大谷1号墳は前にアップしておりますので、今回は定東塚・西塚古墳を取り上げてみたいと思います。案内していただいたのは、子どものころからここを遊び場にしていたという、津山在住の歴史研究家・橋本惣司さん(真庭市鹿田出身)です。
定古墳群(国指定)は、それぞれに横穴式石室を持つ、 東塚と西塚の2基の方墳が非常に近接して築かれたものです。石室はいずれも古くから開口していましたが、発掘調査の 結果、東塚石室からは4基の陶棺が出土し、西塚からも6基の陶棺と1基の木棺痕跡が見つかりました。
東塚の石室からは、純金のリング2点や金糸をはじめ、鉄刀や鉄鉾などの武器、金銅で飾った馬具、鉄製の鋤先、須恵 器・土師器など多量の副葬品が出土しています。純金のリン グや金糸は、全国的にも珍しいものです。西塚の石室からも方頭大刀と推定される刀の装具や馬具、鉄鏃、須恵器土師器などが出土しています。(以下、文は現地案内板より転載しております。)
大谷1号墳の次に定東塚・西塚古墳に到着
定東塚・西塚古墳に到着後に歴史研究家・橋本惣司さんから説明を受ける。
2025年5月28日の西塚古墳 現地案内板
墳丘の測量図 (出典: 定東塚・西塚古墳)
この古墳は、それぞれに横穴式石室を持つ、東塚と西塚の2基の方墳が非常に近接して築かれたものです。石室はいずれも古くから開口していましたが、発掘調査の結果、東塚石室からは4基の陶棺が出土し、西塚からも6基の陶棺と1基の木棺痕跡が見つかりました。
東塚の石室からは、純金のリング2点や金糸をはじめ、鉄刀や鉄鉾などの武器、金銅で飾った馬具、鉄製の鋤先、須恵 器・土師器など多量の副葬品が出土しています。純金のリン グや金糸は、全国的にも珍しいものです。西塚の石室からも方頭大刀と推定される刀の装具や馬具、鉄鏃、須恵器土師器などが出土しています。
金のリングと金糸
2025年5月28日の西塚古墳
陶棺や出土した遺物から考えると、東塚は7世紀前葉に造られ、続いて西塚が築かれました。 東塚・西塚の墳丘は石垣 状の段を持っており、 石室の入り口を中心に数回の修築の跡が認められ、最終的には東塚は古墳前面に2段の基壇を備えた3段築成、西塚は2段築成の方墳であったことが発掘調査で明らかとなりました。
定東塚・西塚古墳は、終末期古墳群である「大谷・定古墳群」の中で、最古の段階に位置付けられ、その被葬者は蘇我氏を中心とする勢力と結びつき、この地域に隆盛をもたらした人物たちであったと考えられます。
西塚古墳内は半分ほど土砂に埋まっていたそうです。
西塚古墳の広い内部です。
子どものころからあそび場だったという橋本惣司さんです。
定北古墳は今回は見学できませんでした。
「北房ふるさとセンター」にて北房の歴史を見学
定北古墳は、東塚、 西塚に続いて築かれており、 墳丘は東西21m、 南 北25.3mで3段築成の方墳です。 定古墳群の中で最大の規模で、唯 一切石を用いた両袖式の石室を有 します。埋葬は4基の陶棺と1基の木棺を 用いており、 陶棺の1基には身と蓋 に「記」の文字が刻まれていました。 副葬品としては鉄刀、鉄鏃、銅鋺な どが出土しています。
定北古墳出土 文字が刻まれた陶棺(全長194cm、最大幅 58cm、 最大高112cm)
陶棺は、被葬者を石室に埋葬するための焼き物の棺で、6世紀後半から7世紀に用いられました。 岡山県は全国出土数の約80%を占め、とり わけ美作 (岡山県北部) 盛行します。 定古墳群では、「土師質」と呼 ばれる素焼きで赤色の陶棺が全部で14基見つかっています。
定北古墳の3号陶棺は、蓋と身に「記」の文字と記号が刻まれていま した。 工人が焼く前に記したもので、漢字が各地に普及し始めた時期の貴重な資料です。
北房ふるさとセンターでは、北房の歴史が分かり易く説明されています。
日本の歴史が絵図で説明されています。