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常道大日堂(加茂郷88ヶ所霊場第73番札所)

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常道大日堂(加茂郷88ヶ所霊場第73番札所)は、加茂町百々常道(ちのみち)の県道の道路脇の2mほど高い所にあります。本尊は大日如来です。高さ2m幅1m位の祠で、そばにいわれのある桜の木があります。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)

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津山弥生の里文化財センター 企画展・ミニ企画展

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 2024年7月16日の小雨煙る中、津山市沼にある津山弥生の里文化財センターに伺いました。目的は、埋蔵文化財発掘調査速報展 津山の歴史を掘る「企画展 土で作られた生き物たち」です。
 「発掘調査で最もたくさん見つかる遺物は、土で作られたもの(土製品)です。土製品のなかには、ちょっと変わったものもあります。今回の展示では、生き物が表現されている土製品を集めました。」との説明が書かれてありましたので紹介してみます。
 また、今回の企画展は、市内中学校の職場体験学習の一環で、展示物を収蔵庫から出して、展示物を見やすくするための台を作る作業を中道中学校、展示物をケースに入れて、解説パネルを掲示する作業を津山東中学校の生徒が担当され、それぞれ丁寧な作業をしてくれたそうです。

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿)
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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桑原薬師堂(加茂郷88カ所霊場37番札所)

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 津山市加茂町桑原地内にあり、ご本尊は薬師如来です。
この薬師堂は、36番札所の槁池山 阿協立江寺東の用水路上にある愛宕様境内の右の小高い所に立っていて、ブロックとコンクリート造りの祠です。※由緒は解りません。

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2022つながる「出雲街道」を歩こう会(最終回)

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 2022年10月23日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第6弾(最終回)として、福力神社附近より津山(津山市役所)までを、東から西へと主催者の「勝間田宿の会」と共催で、「城東まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、記念すべき第6弾の最終回を迎える事が出来ました。
特別企画(第6弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第4区)
福力(福力荒神社附近)~津山(市役所)間7.5km(実質8.0km)
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:城東まちづくり協議会(津山市)、共催:出雲街道勝山宿の会
協力:津山観光ボランティアガイドの会、助成:(一社)中国建設弘済会

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石上布都魂神社(イソノカミフツミタマジンジャ)

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由緒
 当社は「延喜式」神名帳、備前国赤坂郡6座の内の1社である。備前国総社神名帳128社の中で正2位と記されている。古くは書紀一書に「其の蛇を断ちし剣をば、なづけて蛇之麁と日ふ。此は今石上に在す。」また一書に「素盞嗚尊、乃ち天蝿断の剣を以て、其の大蛇を斬りたまふ。」と記している。
 「吉備温故秘録」で大沢惟貞は記紀、旧事記、神社啓蒙天孫本記、古語拾遺等から「曰く、この数書以て考ふるに、上古素盞嗚尊、大蛇を断の剣は当社に在る事明らかなり、その後、崇神天皇の御宇大和国山辺郡に移し奉るとあれども、当社を廃されしと見えず。(以下略)」
 寛文9年備前藩主池田綱政が山頂磐座に在った小祠を造営復興し、延宝2年「社記1巻、社領20石」を廃藩まで奉納した。他に「備前一宮」として、今日「一宮巡拝」等で参拝者が増えつつある。
 山頂の社殿は明治43年火災に遭い現在地に移す。
 昭和20年「県社の資格有り」と認められた。
 現在拝殿は平成5年改築。(文:岡山県神社庁HPより)(2022年1月4日参拝)

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出雲街道を歩こう会「江見~ノースヴィレッジ」【2】

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2021年10月24日(日)特別企画第3弾 つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会「ふるさと再発見 美作国歴史遺産の古道」(区間 美作市・江見~勝央町・ノースヴィレッジ9.3Km)【2】

郷土記念物 笠懸の森
 元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐に流される途中お休みになられ、武士の笠懸の技をご覧になった故事から名づけられたこの森は、現在では11本の木々に覆われ荒神様を祀る鎮守の森となっています。中には、天保年間の荒神さまの石灯籠や文久年間の墓、また、その他現在に至る記念碑など様々な石造物が笠懸の森の中に混在し、現在でも信仰の対象として祀られています。
 また、樹齢300年のムクノキの巨木をはじめ、エノキの巨樹が繁茂しており歴史の古さを物語っています。(文:現地看板より)

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出雲街道を歩こう会「江見~ノースヴィレッジ」【1】

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 2021年10月24日(日)特別企画第3弾 つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会「ふるさと再発見 美作国歴史遺産の古道」(区間 美作市・江見~勝央町・ノースヴィレッジ9.3Km)【1】
はじめに
 出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
 街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
 その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
 今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 3弾として、美作市江見より勝央町・ノースヴィレッジまでの街道を歩きました。
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:出雲街道 土居宿を更生にのこす会・出雲街道 勝山宿の会

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真経に住んだ津山藩主の一族(鏡野町)

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 真経部落の北端、山を背にして南西に開けた小高い丘に「屋敷の段」という地名がある。その昔、慶長八年(1603)美作の領主となった森忠政公の第二子重政君が若き生涯を終えた屋敷跡である。
 その南方約二百米ほどの所に「春谷口」という地名がある。この東の山腹三十米ほど上がった地点に御墓所(町指定史跡昭和五十四年四月一日付)があり、御墓畝と呼ばれている。重政君を火葬に付した場所であるともいわれる。
 森家先代実録によると、
「重政君御名大膳亮(だいぜんのすけ)、文禄ニ癸巳年四月二十三日濃州金山に生まれ給う。元和四戌午年六月五日作州苫南郡真経村にて御年二十六歳にして卒し給う。同所槇尾畝に葬る。墓印に柊の木一株あり。その後久米郡南里方村栃社山誕生寺に改装す。-瑞応院殿光禄桂林俊芳大禅定門

 重政君の御母堂は山内源左衛門の養女にて香々美という。川中島より引越し作州かが美の溝尾に居住す。故に皆人呼んで香々美という家女なり。万治三庚子年五月二十五日作州にて死す。八十九歳。同所法源山宗永寺に葬す。―清泰院栄厳寿永大姉
 清泰山栄厳寺にも位牌があり。清泰山松寿院に墓碑あり。分骨して寺内に納む。
 重政君御子御女子一人あり。御名於捨。慶長十六辛亥年苫南郡真経村にて生まれ給う。妙願寺二代目浄公室にならせられる。延宝二甲寅年十月一日卒。御年六十四歳。津山神王山渓花院に葬す。
―清光院殿慈沢性潤大師 影像を妙願寺後堂に安置す。」という。

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