因幡若一宮 河野神社「若一さん」
由緒
大正5年(1916)9月7日、廣嶺神社・宮国神社・檜神社・聖神社の4神社を現在地に移転合祀し、新に本殿、幣殿、拝殿を新築、社名を河野神社と改称。
廣嶺神社、宮国神社、檜神社、聖神社の四神社を大正五年九月七日、現在地に移転合祀し、社名を河野神社と改称。
旧廣嶺神社は、社伝に天平十四年九月十八日播磨国廣嶺神社のご分霊を勧請奉祀すと伝え、代々牛頭天王と称す。
旧宮国神社は創立年代明らかならず口碑に紀伊国元宮熊野神社のご分霊を勧請奉祀すと伝う。古くより若一王子権現と称す。
旧檜神社は、一に火退大明神と称し火災除けの神として祭られる。
旧聖神社は創立沿革詳らかならず、往古より聖大明神と称す。
古来より当社は肩及び手、腰、足の病に霊験著しく崇敬者は400年の昔より、県下はもとより岡山県、兵庫県に亘り、奉納された手形は数知れず。世に若一様様を以って知られている。
大正10年(1921)2月11日神饌幣帛供進神社に指定された。尚、河野神社神職祖は家系によりその源を愛媛県温泉湯月城城主より発し、その後20代目より神職を奉じ400年の現在に至る。
(文:境内由緒書きより転載)
因幡若一宮 河野神社
河野神社に祀られている若一神は、およそ四百年の昔より、手や肩その他身体に痛みのある人が、崇敬者より奉納されている手形で患部をさすると霊験があると伝えられています。
春の若一祭と因幡の鯖道
「にゃくいちさん」には因幡外から山越えして多くの方がお参りに来られました。この方たちは滋養豊かで貴重な外海の青身の魚が入手しにくい地域、つまり日本海沿岸から離れた村里で暮らす方たちで、ここの社にお参りすると、あつあつで美味しい因幡の「焼き鯖」が食べられ、日持ちしておみやげにもできるため好んで求められました。にゃくいちさんの祭礼日にはれんげ田で野芝居も開かれ、まさに鯖市をなすがごとき賑わいでした。熱処理され竹串の通してある「焼き鯖」はいたむことなく、この社から四方に峠を越えて持ち帰られました。このことから因幡の若一さんと言えば名物は、餅でも饅頭でも煎餅でもなく今でも「焼き鯖」とされています。
祭日・旧歴四月八日
祭神:須佐男命 忍穂耳命 大己貴命 彦火々出見命 大山祇命 火産霊命 宇賀魂命
境内の紅葉 由緒
狛犬
形代の由来
河野神社にはいくつかの特徴がありますが、その中でも特異なこととして手や足を型どった木製の「形代(かたしろ=人体を形どったもの)」奉納の習わしがあります。この風習のはじまった時期については記録がなく詳らかではありません。
この神社に奉納される「形代」の縁起は、美作国(現在の岡山県北部)の巨人伝説の主人公、三穂太郎に求めることができます。学業の神、天神さまとして広く親しまれる菅原氏の裔とされている三穂太郎は、鎌倉時代に美作に実在した人物で、美作の地においても里人から尊敬されておりました。太郎の死後その体は因幡美作国境の霊峰那岐山を中心に分かれ、頭部は岡山県奈義町関本の「こうべさま」(国道五十三号線沿・現三穂神社)へ、かいなや足はここ「にゃくいちさま」の「河野明神」に奉られたことに由来します。
慕う太郎の手・足が奉られていることにより主に岡山県など因幡地方以外からの信仰を集め、古より特に手や肩、足腰の痛みをはじめとして四肢の病やけがに効験ありとして、季節を問わず多くの参詣者がありあす。この時社頭に奉納された手や足の「形代」を神前で祓いをうけてから持ち帰り、親しく身近において祈念し、「願開き」した時には心をこめて自分の「形代」を作成し、「おかげ参り」してあわせて返納するのが本義であり古来からの習わしとなっております。
若一さん
若一(にゃくいち)とは若宮一王子(わかみやいちおうじ)の略で、和歌山県熊野本宮の諸王子、具体的には主として紀伊田辺から本宮に向かう熊野古道の道の傍らにある九十九王子の摂社(本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社)のことで、第一位にあることをさします。大神の「第一子」として祀られていると言えば理解していただきやすいでしょう。
熊野信仰は、神と仏とを区別しない、神仏混淆(神仏習合とも言います)で、熊野本宮、速玉大社、那智大社に隣接し西方極楽浄土思想で知られる西国三十三所第一番の札所である青岸渡寺においては若一王子は十一面観音とされています。
古くは熊野信仰は「蟻の熊野詣」と言われるほど盛んで中世には歴代皇族が足繁く参拝された時代があり、また一遍上人参籠や、賦算などで知られます。しかし政治・文化の中心が京から江戸に移り、行き交いの不便さもあり自然崇拝と修験道の結びついた熊野信仰は衰退し、東海道から交通便利な伊勢参り盛んになりました。それでも「伊勢に七度(たび)、熊野に三度」と言われるほど庶民にとっては敬虔な信仰の対象の地でもありました。
明治に入った直後、新政府の太政官布告による神仏分離令の影響で、香をたく神社は激減しましたが、河野神社では線香をあげる習わしが今もなお続いています。なえ神社で線香なのかと思われる方もあるでしょうが、この智頭の郷の十日市村の小祠にも、熊野より「若一王子権現(にゃくちおうじごんげん)」として霊(みたま)をいただいていたために、神社でも線香を焚いて奉る「献香(けんこう)」の風習が伝承されております。
熊野の若一王子社は、今も古道の脇で杉の巨木の中の小さな祠にひっそりと鎮っておられます。
拝殿より境内を望む 火除けの花をいただきました。