草加部のコスモスが可愛いです。
津山市加茂町にあるサムハラ神社へお参りしようと車を走らせていると、草加部の工業団地近くの畑に淡いピンクのコスモス畑が目に飛び込んできました。もうコスモスも過ぎたかなと思っていたのでとても嬉しくなりました。少し、秋風が肌寒く感じましたが、車を止めて撮影してきました。年々季節も変わってきてお花たちもどうしたものかと思っているでしょうね。(2019年11月4日撮影)
津山市加茂町にあるサムハラ神社へお参りしようと車を走らせていると、草加部の工業団地近くの畑に淡いピンクのコスモス畑が目に飛び込んできました。もうコスモスも過ぎたかなと思っていたのでとても嬉しくなりました。少し、秋風が肌寒く感じましたが、車を止めて撮影してきました。年々季節も変わってきてお花たちもどうしたものかと思っているでしょうね。(2019年11月4日撮影)
2019年11月4日、暫くご無沙汰していたサムハラ神社奥宮へ参拝に行って参りました。駐車場に着くと沢山の車が駐車していて、やっと一台分が空いていたので駐車できました。ラッキー、これもサムハラ様のお蔭かもしれないと思いました。
何より、びっくりしたのは、蛭子 能収さんご夫妻がお参りに来られていました。何でも奥様が神社巡りをされているとかでご一緒に来られたようでした。岡山からタクシーで来られたそうで、明日は大阪のサムハラ様に参られるそうです。蛭子さんと握手をさせて頂きましたが、気さくに撮影に応じてくださったり本当にやさしくて温かい方でした。
弘仁十三年(823年)、山岳権現信仰の発達していた時代、藤原雄友の創建で、この地の泉山山中に井水権現を本尊として神仏混合の社殿を建立し、当観音寺はその宿坊の役目をしていました。
後に勢力分離の国策のため、泉山に泉嵓神社として残し、観音寺は今この地に移転されました。その後は西屋城の戦でこの地に没した多くの兵士の菩堤を弔うために、慶長五年(1600)に頼照上人が中興となって再建されました。
山号に梅本山とあるのは、菅原一族の一部がこの地に土着して、道真公を奉祠したのを契機に、梅本山と号したのだと思われます。
持佛堂に阿弥陀如来と秘佛の訶利帝母尊(鬼子母神)をお奉りしていますので、子育てのお寺として信仰されています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年10月日)
福井の片山・桑田集落の南には、広戸川が流れ、木造手すりの草町橋がかかっている。この草町橋を渡って、小峪に抜ける山道にさしかかった丘の上に、お大師堂が祀られている。
ここら辺りは、逧田と言う地名であり、このお大師堂には、「勝南霊場第拾九番御本尊 薬師如来」の表札がある。一般に、お大師堂と言って、本尊に薬師様を祀っている事例が多い。正しく言うと、これは薬師堂である。お薬師様、すなわち薬師如来は、東方浄瑠璃世界に住んでいて、現世利益をはかる医薬に権威を持った仏様である。昔はとくに医療治療がままならなかった農民にとって、病気平癒・無病息災を願う気持ちは切実なものがあり、薬師如来にすがる信仰は、強いものがあった。
この逧田のお大師堂の創建は不明だが、お大師信仰・八十八か寺巡りが盛んであった戦前の、昭和12年(1937年)に改築されている。だれがどのような協力のもとに建てたか、後年よくわかるように、金銭や人歩・資材の寄付録が、内部の壁に掲げてある。「薬師堂改築寄付録」(金銭寄付)では56名、「薬師堂改築寄付録 人歩及び材料」では、54名の住民の名前が記されており、小字部落の片山・桑田・小峪(以上、有為組)と岡・東岡・横尾(以上 三結団)が共同しての出資や奉仕により、再建したものである。また、昭和30年に屋根の葺き替えをしているが、この時も63名の住民の名が記されて、住民みんなこぞっての協力によるものであることがわかる。
当山は寺伝によれば、行基菩薩が諸国巡礼の折、当地に立ち寄られ自ら観音像を刻まれ安置、寺号を福岡山福泉寺とし、開創されたお寺です。
その後、弘仁年間には弘法大師も密教を広めるため、当寺に立ち寄られました。その折、寺号を知足院と改められました。そのため、当山は知足院ともいいます。
宝暦年間に落雷により火災となり、伽藍が悉く焼失してしまいました。
境内を現在地、米山に移して寺号を八木山福泉寺と称しました。本堂は文政二年(1819)、庫裏は明治元年の建立です。
2019年10月の台風19号で奈義町の菩提寺にある大イチョウも大きな被害を受けてしまいました。
法然上人が学問成就を祈願して挿した杖が芽吹いたといわれている大イチョウは、高さ約40m、目通り幹囲約13m、樹齢推定900年といわれ県下一の大樹で国の天然記念物に指定され、また全国名木百選にも選ばれています。その大イチョウが今回の台風19号の広戸風により、大きな太い幹が無残にもボキボキ折れてとても痛ましい姿になっていました。現場で作業をされていた方が、「自然の力というものは脅威で、とても考えられない力です。」と語っておられました。早く治療ができますよう祈っていました。(2019年10月25日撮影)
令和元年(2019)10月26日(土)、27日(日)の二日間にわたり、徳守神社の「秋季例大祭」が行われました。27日には、神様の御霊をお遷しした御神輿と共に「御神幸」が行われ、一日かけて氏子区域を練り歩きます。行列の途中には「お旅所」で祭典が行われ、浦安の舞、獅子舞の奉納がありました。26日は雨がパラついて心配しましたが、27日は良い天候に恵まれ大勢の方が集まって秋季例大祭を祝いました。
2019年10月26日「徳守神社の令和初めの秋祭り 徳守大祭」宵宮の様子です。
だんじり出動数は13台。この日は途中から雨が降りだして心配しましたが、夕刻にはなんとか止んで無事「だんじり宮入祓」も行われました。その後、だんじりは次々と商店街や市内を「そ~やれ!」と威勢の良い声で練り歩きました。
スペインのバルセロナと津山市押入の自宅を拠点に活躍している保田扶佐子さん、今年も「保田扶佐子美術館10周年記念展」を終えてスペインへ出発直前の保田扶佐子さんをお尋ねしてきました。そのアトリエに飾られているのは、アーティストブック「SONET」Lluis Pessa 工房 1989年刊行。限定7部。Fusako Yasudaのリトグラフ、Lluis Pessaのリトグラフ、Pere Gimferrerの詩(各々のサイン入り)をはじめ、保田扶佐子さんの楽しくなる作品です。(保田扶佐子美術館は予約により観覧可能です。津山市押入97-11 TEL0868-26-5711)
田熊の舞台 防災施設改修記念イベントが2019年10月26日(土)田熊八幡神社(津山市田熊2384)でありました。国指定の重要部系民俗文化財である田熊(たのくま)の舞台で、防災施設の改修完了を記念して太鼓や獅子舞、漫談、舞踏などが上演され、来場された方々は可愛い子どもの踊りをはじめ夢小路あきまろさんの漫談等で大いに楽しんでおられてました。