取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「塚」で検索した結果,162件の記事が見つかりました。

藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)

14.jpg

藤和田神社(領家)
祭神は、伊弉諾命・菅原神・天穂日命である。
此の社は正暦4(993)年8月、近江國犬上郡多賀村に鎮座の多賀神社の 分霊を勧請したものであるので祭神は多賀神社と同一の神であるはずであって「かれ、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になもまします。」(古事記上巻)と あって多賀神社の祭神は伊邪那岐大神であるので、藤和田神社の祭神は当然伊邪那岐命であることは申すまでもないことである。

藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)の続きを読む

真福寺(勝間田)の大銀杏

katsumada13.jpg

岡山県勝田郡勝央町勝間田647 真福寺

弘仁五年、僧空海開基と伝え、美作の国間山に、天長年間、仁海常上人がこれを開山した。天文年間戦火により消失す。
その後、勝北町平村に再建せしも再び火災に遭い、天正十六年(一五八八)勝間田の住人(福田玄蕃勝昌の子孫)福田左兵衛門氏が勝間田西方の田地の寄進あり、 正保年間、快養和尚が再建、天明二年(一七八二)自盈和尚本堂を再建、嵯峨大覚寺末寺となる。
戦後昭和二十四年高野山真言宗となり記念事業とし当山第二十一世全戒和尚により鐘楼堂を建立現在に至る。(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより抜粋)2014年11月16日取材

真福寺(勝間田)の大銀杏の続きを読む

天石門別(あめのいわとわけ)神社(美作)

12.jpg

 美作三宮といわれる天石門別(あめのいわとわけ)神社は、社殿の後に滝があることから滝宮とも呼ば れています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命(あめのたじかろうのみこと)の助けで 平定できたお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。社地には、籠殿、拝殿、本殿が整っているうえに、古代祭祀遺跡「盤 境」(いわくら)といわれる石積の塚も残っています。環境庁・岡山県(看板より)

天石門別(あめのいわとわけ)神社(美作)の続きを読む

津山洋学資料館秋季企画展 解剖図の世界-江戸から現代(いま)へ-

tenji2.jpg

 2015年は、京都で山脇東洋が日本最初の人体解剖を行ってから260周年にあたります。この解剖の記録として『蔵志』が出版され、それまで信じられてきた「五臓六腑」図が否定されました。当時の医師たちは人体の内部を自分の目で確かめるため、各 地で解剖を行いました。『解体新書』翻訳のきっかけとなった、江戸小塚原の腑分けもその一環です。蘭学の発展に大きな役割を果たした解剖図、そして現代の 解剖図-メディカルイラストレーション-を一堂に展示することにより、江戸時代から現代へ繋がる医学の発展をご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより抜粋)2015年9月5日取材

2015年9月5日(土)~10月4日(日)津山洋学資料館 9:00~17:00(入館は16:30まで)

津山洋学資料館秋季企画展 解剖図の世界-江戸から現代(いま)へ-の続きを読む

第六回 作州維新文庫所蔵展

otafuku3.jpg

第六回 作州維新文庫所蔵展 新収蔵「郷土文人画人遺墨展」が2015年6月6日(土)・7日(日)

の両日(10時~15時まで)主催 作州維新文庫(旅館 お多福)であります。入場無料なのでふるってお出かけください。作州維新文庫についてはこちらをご覧くださいね!

お問合せ:旅館「お多福」 岡山県津山市山下28-2 TEL 0868-23-0125

第六回 作州維新文庫所蔵展の続きを読む

神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

tokumoritsuka.jpg

神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

神田 旧徳守神社跡地と徳守塚の続きを読む

観音様(高野山西)

kan9.jpg

高野山西の山の中腹に、地元の人が観音様と呼ぶ建物があるとお聞きし、行って来ました。

 建物は古くなり、お参りする人もほとんどないのですが、「何とかしないと。」と地元の方たちが相談している所だそうです。(2015年3月1日取材)

観音様(高野山西)の続きを読む

五輪谷(高野本郷)

gorin10.jpg
 北山に、こあざ五輪谷といわれるところがあります。
 ここには、くずれ落ちてうもれた五輪墓の墓石がたくさん出てきます。くわしく調べられていないので、どのくらいの数がうまっているのかわかりません。
 今までに、出てきた墓石を一か所に積みあげてありますが、およそ百こ以上もあります。組みたてたら、りっぱな五輪墓となることはまちがいありません。
 では、なぜこの地にこのような五輪石がたくさん出てくるのでしょうか。研究している人の話では、ここにお寺があったのだろうということです。五輪石は仏教の墓だからです。
 石の大きさやかたちなどから考えて、室町時代から戦国時代のおわりまでのものではないかといわれています。さらに、くわしく調べると、文字のきざまれた石も発見することができるかもしれません。

五輪谷(高野本郷)の続きを読む

正仙塚古墳(高野山西)

tsuka.jpg

 高野山西の丘に、正仙塚古墳があります。
五世紀のころつくられたと、研究者永山卯三郎氏はいっています。
長い間に、古墳の上のもり土が雨などで流され、あらわれたのでしょう。ふたの石は、一枚石で、人の手で、たくみに加工されています。石棺の内がわは、べんがらがぬられています。
古墳の丘の大きさは、今ではくわしくはわかりませんが、かなり大規模な前方後円墳です。
山西の人たちは武塚古墳とも呼んでいます。(文:高野小学校 むかし高野より)2015年1月25日取材

正仙塚古墳(高野山西)の続きを読む