正仙塚古墳(高野山西)
山西の丘に、正仙塚古墳があります。
五世紀のころつくられたと、研究者永山卯三郎氏はいっています。
長い間に、古墳の上のもり土が雨などで流され、あらわれたのでしょう。ふたの石は、一枚石で、人の手で、たくみに加工されています。石棺の内がわは、べんがらがぬられています。
古墳の丘の大きさは、今ではくわしくはわかりませんが」、かなり大規模な前方後円墳です。
山西の人たちは、武塚古墳とも呼んでいます。
(文:高野小学校 むかし高野より)2015年1月25日取材
河本さんに案内していただきました。
高野山西正仙塚古墳
全長56㍍、後円部直径約31㍍、前方部長約25㍍の前方後円墳で、高さは約6㍍、、前方部の高さ約3㍍あります。後円部の頂上には、播磨の竜山石を用いて作られた長持形石棺が露出しています。石室のあった形跡はなく、その石棺は直接土中に埋められていたようです。
石棺は明治時代に盗掘され、その際に半円方形帯神獣鏡一面、変形四獣鏡一面、勾玉、管玉、鉄斧、土師器などが発見されたと伝えられています。古墳の形や石棺の形式から、四世紀後半頃につくられた加茂川流域を治める豪族の墓と考えられます。
平成17年3月31日
津山市教育委員会(文:立札より)
石棺内部は明治16年に発掘され、半円方形態神獣鏡1面、変形四獣鏡1面、勾玉、管玉、鉄斧、土師器細片等が出土した。
地上で石棺が見えるのは珍しいのだそうです。
古墳を作るために周りの土地(もしくは山)を削った跡