神田 旧徳守神社跡地と徳守塚

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神田 旧徳守神社跡地と徳守塚 (2015年5月2日取材)
その昔、徳守と言う名前の徳の高い人が、旧小田中村で行き倒れとなり、近隣の小原家の先祖が手厚く看病したが、看病の甲斐無く亡くなってしまった。そこで小原家が徳守塚として祠を作り埋葬したとされています。その場所のほど近く現在は宮脇町にある徳守神社が祭られました。この場所は現在の神田公会堂東側の竹藪の中で、森忠政が津山の総鎮守として現在の位置に移るまで祭られました。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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ここが徳守塚と呼ばれていたところです。     東側には小原家のお墓があります。

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僅かに道が残っております。

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こんな石もありました。

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竹藪の中

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竹藪の中ですが、徳守神社の社殿はどこのあったのでしょうか?

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竹藪を抜けるとそこは長雲寺の墓地でした。


こちらは現在の徳守塚のあるところです。

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分かりにくい所だからと小田中の松本さんにご案内いただきました。

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たしかにあります。これが現在の徳守塚の記念碑?

徳守塚より西へ行った権の庄のお大師様の近くにありました。「ただし、お墓ではなく、これは印の石だと思ってください」と教えていただきました。