五輪谷(高野本郷)

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 北山に、こあざ五輪谷といわれるところがあります。
 ここには、くずれ落ちてうもれた五輪墓の墓石がたくさん出てきます。くわしく調べられていないので、どのくらいの数がうまっているのかわかりません。
 今までに、出てきた墓石を一か所に積みあげてありますが、およそ百こ以上もあります。組みたてたら、りっぱな五輪墓となることはまちがいありません。
 では、なぜこの地にこのような五輪石がたくさん出てくるのでしょうか。研究している人の話では、ここにお寺があったのだろうということです。五輪石は仏教の墓だからです。
 石の大きさやかたちなどから考えて、室町時代から戦国時代のおわりまでのものではないかといわれています。さらに、くわしく調べると、文字のきざまれた石も発見することができるかもしれません。

 この丘は、西から高野神社、永案寺と続いて、夜半寺という地名ものこっています。この地には、古代から人々がおおぜい生活していたことでしょう。
 豊臣秀吉が矢筈山城の草苅氏をせめた時の戦死者の墓であるとか、この地を支配していた有力者の墓であるとか、いろいろな場合がそうぞうできます。(文:むかし高野より)2015年2月15日取材

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山々には梅の花や椿の花が顔を見せていました。

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五輪谷到着。山積みになった五輪の石

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近くの祠の敷石にも使用されています。

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案内くださったのは飯綱さんです。

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まだまだ山の中には五輪の塔がいっぱいありました。


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途中で出逢ったこの祠は才の神さんでしょうか?手入れが行き届いていました。