能義山 法福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第41番札所)
能義山法福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第41番札所)は加茂町公郷上大能義地内にあり、法福寺本堂の隣にあます。薬師堂は木造瓦葺き白壁です。(通称高場観音)本尊は聖観音です。
(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
能義山法福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第41番札所)は加茂町公郷上大能義地内にあり、法福寺本堂の隣にあます。薬師堂は木造瓦葺き白壁です。(通称高場観音)本尊は聖観音です。
(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
狩衣清水の由来について (上記写真:狩衣清水の内上手の満願清水)
狩衣清水の由来は、鎌倉時代末期元弘二年(1332)前年の元弘の乱により、隠岐の島に配流となった後醍醐天皇が途中当地の泉(清水)の傍で休息、御召の狩衣をぐいび(グミ)の木に掛けて洗顔の上、清水を飲まれた際に、京への早期遷幸を祈願し、満願清水と名付けられた。そして、出立の折、天皇方の目印にと狩衣を置いて行かれた。
その故事により、当地を狩衣と称し、下手の井戸を千貫清水(洗顔清水)、上手を満願清水として現在も愛飲されている。
今般、地元狩衣自治会では、地域の歴史遺産として守り伝えていく為に、上手井戸に石碑を新設しました。(下手井戸は石碑、案内板有)
この歴史ある狩衣清水が末永く後世伝承される様願うばかりである。また、地元中正小学校校歌の一節にも「狩衣清水湧くところ」と歌われ親しまれている。
<関係年表>
後醍醐天皇 京都進発 元弘二年(1332)3月7日(旧暦)
〃 院庄館到着 〃 3月17日
〃 〃 出立 〃 3月21日
〃 〃 早朝 児島高徳十字の詩の出来事有
〃 ※狩衣清水<休息> 3月21日
〃 醍醐桜~大井野~千屋~根雨(ルートは諸説有)
〃 隠岐の島到着 4月2日
〃 〃 脱出 元弘三年(1333)2月24日
〃 京都遷幸 建武中興(新政)
<参考書籍> 太平記・作陽誌・久米町史 他 令和6年 狩衣自治会(津山市宮部下字狩衣)
2025年3月8日史跡津山城跡 長柄櫓(ながえやぐら)石垣崩落現場の現地説明会と、二の丸長柄櫓発掘t調査 現地見学会があり参加してきました。
崩落現場では、予てから石垣の変形が大きいため、令和4年度から修理に向けて調査を進めていた矢先に崩落してまいましたが、事前に観測と並行してゴミ置き場の移設など安全対策の準備がとられていたため、崩落した石はゴミ置き場の生垣と塀でほぼ止まった状況でした。また、二の丸長柄櫓発掘調査の現地説明会では、出土品も多く、建物の基礎や雨落溝、にの丸御殿など、建物の遺構がよく保存されていて、その昔、ここで武士達が実際に生活していたのだと思うとロマンが広がりました。
斉野谷観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第86番札所)は、加茂町斉野谷地内の、道祖谷山宝蔵寺の下100mくらいの道の脇にあります。下部はブロック、瓦葺の小さな祠です。本尊は聖観音です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
丸山山 妙願寺大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第72番札所)は加茂町楢井後にあり、民家の横を上がると、木造瓦葺白壁の建物が見えてきます。本尊は釈迦如来です。
(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
無量山 極楽寺 大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第80番札所)は、津山市加茂町宇野宮の本の、宇野簡易郵便局を左折し、すぐ右の極楽寺境内の観音堂近くにあります。木造瓦葺で、本尊は弘法大師です。(2025年6月13日撮影)
無量山 極楽寺 観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第79番札所)は、津山市加茂町宇野宮の本にあり、宇野簡易郵便局を左折し、すぐ右の無量山 極楽寺境内の向かって左手にある。木造瓦葺のお堂で、本尊は観音菩薩です。(2025年6月13日撮影)
無量山 極楽寺 阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第78番札所)は、津山市加茂町宇野宮の本にあり、宇野簡易郵便局を左折し、すぐ右の極楽寺境内にある。木造瓦葺の本堂の中にある。本尊は阿弥陀如来です。(2025年6月13日撮影)
2025年6月1日「第42回 津山洋学資料館友の会研修旅行」に参加させていただき、三津同盟ゆかりの地 石州津和野を訪ねてきました。津山市からは片道約4時間の旅でした。
山陰の小京都と言われる津和野と言えば、まず思い出される景色は、古い屋敷の並ぶ街並みと、水路を泳ぐ鯉でしたが、今回実際歩いてみると、鯉が泳ぐ「殿町通り」、商家や酒蔵などが立ち並ぶ「本町通り」等など現代に続く歴史や文化を知ることができたことです。古い街並みを残し育てあげた津和野の人々の思いを感じながらいい町だなぁ~と。また、国際アンデルセン賞を受賞した安野光雅さんの絵本や風景画が大好きで「安野光雅美術館」は是非とも行きたかった所の一つだったので私にとって嬉しい研修でした。
1339年(暦応2)足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の勧めにより、桓武天皇が国分寺を建てたことと同じように、国土安泰・元弘以来の戦死者のために、全国66か国と2島に安国寺を建立しました。『作陽誌』によると美作国では院庄神戸村にありました。しかし戦災にあい、元禄年中の洪水のため跡形もなくなり、吉井川の川敷に安國寺瀬という名だけ残されていると伝えられています。
1689年(元禄2)龍雲寺の夢堂自桓禅師は藩主森長継公に請い、当時英田郡作東町角南村(現美作市)龍雲寺にあった十一面観音を移し、善福寺の開祖となりました。
宝暦年間(1751~1764)に四世萬愚和尚が許を得て善福寺を安国寺と改めました。