児玉小枝写真展『ラスト・チャンス!~ぼくに家族ができた日~』
児玉小枝写真展『ラスト・チャンス!~ぼくに家族ができた日~』
〇会期:4月12日(土)~6月15日(日)
命の大切さを伝える写真展です。多くの方にご覧いただけることを願っています。
WAVE出版『ラスト・チャンス!~ぼくに家族ができた日~』(児玉小枝著)の出版記念写真展です。(2014年4月26日取材)
児玉小枝写真展『ラスト・チャンス!~ぼくに家族ができた日~』
〇会期:4月12日(土)~6月15日(日)
開基
三子山泉水寺を作陽苫田郡田邑村の西南に在り四面皆山塵閙を隔て幽閙に志て精舎に適するの霊地なり、傳へ云ふ往昔行基菩薩諸國を修行志て此地に巡錫志給ふ其時光明燦然と志て山野に輝やき山麓の泉水碧泉溢れ阿弥陀如来泉水中より山々現志給ふ閻浮檀金の尊像あり菩薩深く垂跡を皈依志給ひ忽ち佛體を作りて體内に籠め草庵を結びて安置す之を當山の本尊と為す
土居銀行は、明治30年に西北条郡田邑村(現津山市下田邑)の素封家で元県議会議員の土居通信によって設立され、本店を同屋敷内に置きました。家屋は当時のままで保存されており、今でも住む人がある貴重な津山の財産でもあります。その土居銀行の発祥の地を取材してきました。(2014年2月14日・20日取材)
移転後の本店は作州民芸館として活用されています。
田神社(たじんじゃ)由緒
当社は貞観年中(859~877)に行教法師と田口信濃介統範が豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建したと伝えられている。応神天皇、神功皇后を祭神とする。
もと上采に所在したが、大正7年(1918)に田神社を主祭として天剣神社、千家里神社、天津彦神社を合祀して一村一社とした際に、現在の鎮座地 金粟(こんぞく)に移転した。2014年1月12日取材
3月28日、今津屋橋商店街をメインストリートに、街なかに賑わいを創出し、中
心市街地の活性化を図るべく牛肉料理等を提供する津山肉ビルに「憩 い屋 颯
花」「大衆肉酒場 いぶし銀」の2店舗のお店がオープンしました。オープニング
セレモニーでは宮地市長のあいさつを始め、来賓者の祝辞があり、店長の決意表明
がありました。
津山市野介代に咲いている「花もも」の花が満開できれいです。(2014.4.12)
いつも通るたびに、「きれいだなぁ~」と見とれてしまいます。今年こそはと写真に収めてきました。聞けば、以前には大きな「花もも」の木があったのですが、台風で倒れてしまったのだそうです。その木はとても綺麗だったので大阪から写真を撮影に来られたこともあるそうで、なるほどと納得する美しさです。
昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)
2014年4月4日に小桁のカタクリ自生地に行って来ました。
カタクリはユリ科の植物で、その可憐な姿から"春の野の花の女王"といわれています。花が咲くまでに7~8年もかかり、人が踏んでも死滅してしまうという程か弱い植物です。今では、市内でほとんど見られなくなりました。自然の大切さを学び草花と親しむ場として、貴重なカタクリの自生地を残していくため、・自生地への立ち入りや採取を禁止します。・付近の土砂の採掘を禁止します。
土地所有者一同・小桁日上町内会・津山カタクリの自生地を守る会(文:立札より)
津山信用金庫本店4階屋上(津山市山下30-15)に「お花見スポット」が出来ました。
日時:平成26年4月3日(木)・4日(金)・7日(月)※雨天の場合は中止です。
時間:9時~15時(津山信用金庫店頭営業時間内)(館内の出入口は北側玄関になります)
※お茶菓子のおもてなしもあり、至れり尽くせりでした。お問合せ:・0868-22-4121(津山信用金庫総務人事部)
2014年と3月2日と3月19日梅の花を探しに丹後山へ行って来ました。ここは昔、津山藩の重臣大塚丹後守の屋敷があったことが名前の由来。宮川を挟んで津山城跡と向き合い、桜の名所としても知られています。山頂には津山測候所や、キリ スト教の墓地等があります。城東地区と丹後山は深く関わり、山頂への道は5本を数えます。上之町通りから山頂までは10分で登れます。(2010年2月の丹後山)