「菊正宗酒造記念館」(菊正宗酒造九代目は津山人)
旧酒造記念館は、1659年(万治2)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館として保存・一般開放していたものです。
館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類を展示。酒造りの歴史を今日に伝える資料館として、多くの来館者を数えていたそうですが、平成7年1月17日、旧酒造記念館は阪神淡路大震災によって倒壊。不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態。4年後の平成11年1月25日に復興オープンしたそうです。(文:菊正宗記念館HPより抜粋)2014年5月4日取材
本嘉納の当主は代々、治郎右衛門を襲名し(初代は材木屋治郎右衛門)、八代目(嘉納治郎右衛門)は、酒造業だけでなく、受験進学校として知られる灘高の前身、灘中学校の創立や兵庫運河の建設工事にも力を注いだが、男子に恵まれず、二代つづいて婿養子をとった。この婿取り・養子縁組によって本嘉納は、鴻池家とも縁続きになる。本嘉納八代の娘の婿養子になったのは、岡山の元貴族院議員で山陽銀行(後中国銀行)頭取を務めた土居通博の二男文治。1935年(昭和10年)に九代を襲名し、以降25年間社長を務め、戦災により壊滅的な打撃をうけた灘の復興に力を尽くし、酒造業の近代化も進めた。元南海放送会長山中義貞とは義理の兄弟である。(文:ウィキペディアより抜粋)
(岡山県津山市田邑の土居文治生家2014年2月取材)
菊正宗酒造記念館へ到着
長屋門(記念館入口)
精米用の水車小屋 井戸水
エントランスホール
焼印 千石船(樽回船)
酒蔵展示室入口
文化財収蔵庫内
文化財収蔵庫内
『酒蔵の禁忌』の中に、かつては酒蔵の禁忌として酒造蔵へ入れてはいけないものがいくつかあり、その代表的なものが「女人禁制」(現在では、女性杜氏も数多く活躍中)。それ以外にも、動物、みかん、酢などの持込みが禁止。また、蔵内での謡や口笛を吹くことも禁じられていたそうですよ。
しぼりたての清酒の試飲や、きき酒体験ができます。 記念館裏
(掲載について快く承諾いただきました菊正宗酒造記念館様に厚く御礼申し上げます。)
津山文化センターに掲げてある緞帳(どんちょう)は土居文治さんが寄贈したものです。
この緞帳は重くて、お値段も相当高いものだそうです。
目録の中にありました。しかも西陣金糸織で作られた緞帳です。今なら?億???
津山文化センター内部