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第1回 令和作州城東むかし町

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 2022年11月6日に行われた「第1回 令和作州城東むかし町」のイベントが3年ぶりに青空の下で賑やかに開かれました。今年は今までと違い、歩行者天国は取り止めたなったことで、イベント会場を集約したり、洋学資料館の中庭を開放してコンサートが行われたり、至る所で工夫を凝らしていたのと、キッチンカーが沢山出店していて、子ども連れの若者に人気を集めていました。また、今まで秋に開催されていたのを春に開催するようにしたそうです。
 オープニングには全国の寅さんも駆けつけて会場を和ませていました。今後とも、よろしく!

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津山工芸展ーつむぐ、伝統美。ー

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 第51回津山工芸展が、アルネ津山4階の津山市立文化展示ホールで3年ぶりに開催されました。
展示会終盤の10月22日に伺うと、岡山県知事賞受賞作品を始め、目を見張る優秀な作品(第20回おかやま県民文化祭参加作品)が数多く展示されていました。
 今年は「つむぐ、伝統美。」のサブタイトルのとおり、染色織物、木竹工芸など7部門の手の込んだ作品に感動しました。

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鶴山城址にあった「ありもと旅館」

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 津山城(鶴山公園)内にあった鶴山塾(現在は小田中の旧鶴山幼稚園跡へ移転)の建物は、令和4年に全て取り壊されました。
 平素から津山城(鶴山公園)へと上がるのに、津山圏域雇用労働センター横の階段を使用していたものですから、その階段を上がりきった所にあるこの門は何だろう?と長年思っていました。今年に入りその建物が取り壊されると聞いて、この建物の歴史を知りたくなって調べてみました。
 写真に写っている建物は「鶴山塾」で、その前身は、「ありもと旅館」だったという事が解り、その「ありもと旅館」を調べていくうちに、津山城が取り壊された後の明治20年頃の津山城跡の様子など、いろんなことが解りました。

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津山・城西まるごと博物館フェア2022

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 2022年10月2日(日)10時〜15時、作州民芸館周辺で、新型コロナ感染症の為に中止されていた「城西まるごと博物館フェア2022」(主催:城西まちづくり協議会)が2年ぶりに再会されました。当日はお天気も良くて大勢の人出があり、久々に城西地区が活気づきました。
 手仕事のまちがよみがえるアート&クラフト展と題して、ステージイベントに加え、津山市内の出店者によるクラフト市、模擬店が出店しました。
 2020年12月に「津山市城西地区伝統的建造物群保存地区」に選定された保存地区全体を博物館と考え、 伝統的工芸品の実演・職人によるガラス細工や陶芸等の販売 で町人文化を演出し、市民や来場者に楽しんでいただこうと企画されたフェアです。

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蒜山の戦争遺跡を訪ねて

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2022年8月25日(木)美作歴史ネットの地域研修会があり、参加してきました。
 さて、今年で最後となる地域研修は、真庭市蒜山原の戦争遺跡を訪ねることにしました。蒜山原には、古くは明治35年(1902)から大正6年(1917)まで置かれていた陸軍軍馬育成場、そして昭和10年(1935)から同20年(1945)まで秘かに軍事訓練が行われた蒜山原陸軍演習場がありました。これらに関する遺構は、戦後77年を経た現在も往時の面影を留めてくれています。演習場の実態に少しでも触れ、先人の大戦を再考する機会にしていただければと思います。(文:橋本惣司会長)


蒜山高原と戦争
 1935年(昭和10年)から終戦までの1945年(昭和20年)にかけて、蒜山高原には陸軍の演習場がありました。日中戦争と太平洋戦争の時代です。演習場とは、実際の戦争を想定して訓練する場所のことです。当時、蒜山原陸軍演習場は日本一の規模でした。観光地として知られる蒜山高原ですが、戦時中は戦車や砲弾を用いた大規模な模擬戦争、毒ガス使用、射撃や行軍(こうぐん)など厳しい訓練が、昼夜行われていました。蒜山には当時の遺跡がいくつか残されています。

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在りし日の田渕家住宅(旧永田家住宅)

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津山城下の武家地であった田町地区の南西部に位置する旧田淵邸の長屋門です。
 規模は桁行14.82m、梁間3.96mで、門扉は西に寄せられており、外観は漆喰塗で、街路に面した南側は下見板張、切妻屋根桟瓦葺きの建物です。
 建築時期は、天保11年(1840)に田淵守助がこの屋敷を拝領した頃と推定されます。
その頃の田淵家の実禄は50石で、料理人から、郡代・町奉行・勘定奉行・祐筆・槍術指南役などを勤めました。
 田淵家が拝領する以前のこの屋敷には、津山藩儒官の永田敬蔵が居住していました。
 学問修行中の箕作阮甫は医術修行で上京する前、永田家にしばらく寄寓していたという記録があり、その場所がこの屋敷であれば、津山洋学ゆかりの地でもあります。
平成27年3月 津山市(2016年7月23日撮影)(文:案内板より)

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知新館の土蔵「家引き」で大改修

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 平成10年10月に国の登録有形文化財となった「知新館」は、岡山県北の城下町津山市の南新座に伝わる武家屋敷で、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎(1867~1952)の別邸として建てられたものです。
 土蔵は木造二階建桟瓦葺、塀は土塀桟瓦葺、また表門は腕木門桟瓦葺であり、中級武士住宅の典型的な形態をとった建物です。
 その中の土蔵の基礎が古くなり、土蔵自体が傾いてしまったので修復をすることになりました。修復の方法は家曳き移動です。建物を基礎から切り離し、その下にレールとなる鋼材を敷きこんで、その上をゆっくりと移動させ、その後、再度基礎の上に家を据える方法です。
(2022年1月28日・4月4日撮影)

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竹之下地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第25番札所)

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 津山市阿波の摩尼山高福寺を訪問する途中の畑の中に立っている霊場です。この近くにお住いの方がお掃除などのお世話をなさっているそうです。なんでも阿波の霊場巡りはコロナで今年はできていないそうです。本尊は地蔵菩薩です。(2021年8月1日撮影)


 天保年間(1810~1843)に竹ノ下地区内に悪病が流行した時、庄屋寺坂常右ヱ門が住民と協議の上寺坂貞兵衛と二人で、四国阿波徳島88ヶ所の19番札所で軸物と地蔵菩薩を受けて帰り、「衆病悉徐・抜苦与楽・寿命長遠」の延命地蔵菩薩として堂に安置した。それから地蔵堂と呼ばれるようになった。
堂の周囲には古い墓石がたくさんあり、京保2年(1749)宝暦2年(1749)宝暦・明和年号の記入された墓石があることから考えると竹ノ下地区堂は既にこの時代に古く建立されていただろう。
春の彼岸に百万遍念仏、秋の彼岸には、2夜3日の塔婆を建立してお籠りをして、4,5軒が組んで昼はむすびと煮物を持ち寄り接待し、同じく夜はみんなで夜食を共にする。中日には竹ノ下地区の子供は全部集まり菓子やむすびを桑の葉に包んで喜んで食べたものである。

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東美作路名木百選「酒本家のムクノキ」と「髙仁姫宮の碑」(勝央町)

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 勝央町の文化財保護委員長の赤木耕三さんに案内していただいて、「東美作路名木百選 酒本家のムクノキ(ニレ科)」と「髙仁姫宮の碑」を巡って来ました。
 ムクノキの巨木はまるで髙仁姫宮の碑を囲んでいるように根を張っています。その髙仁姫宮の碑の裏には酒本同族会が建立した酒本家のルーツが書いてありました。また、近くには後南朝初代高福天皇の第一皇子尊秀親王のお墓と伝えられている地や、如意輪観音寺跡がありました。(2021年8月28日取材)

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岡山県重要無形文化財「上田繁男氏」

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 重要無形文化財/手漉和紙(三椏紙)/上田繁男(昭和17年6月1日)津山市上横野
 津山市上横野に伝わる手漉和紙は、現在では横野和紙と呼ばれている。上横野における三椏(みつまた)紙の製造は、明治時代中頃に津山の実業家である浅倉斧吉(あさくらおのきち)が、三椏の成育に適した自然条件と良質な水を見つけて上横野地区の人びとに生産を勧めたことが発端である。三椏の刈り取りから靭皮繊維(じんぴせんい)の取り出し、紙料とするための裁断、流し漉き、板干しという工程で作られる三椏紙は、薄く、かさばらず、わずかな凸凹を持ちながらも表面が滑らかで金箔を傷つけることがないため、金箔を挟む箔合紙としての需要は大きく、我が国の伝統産業にとって重要である。
 上田繁男(うえだしげお)氏は、三椏紙製造の伝統技術を踏襲して和紙を製作している。氏は、文化年間(1804~1818年)に津山藩の御用紙を漉くことを拝命して以来、200年以上にわたり手漉和紙の技術を継承する上田家の6代目として岡山県津山市に生まれた。父の5代上田菊治に師事して昭和33(1958)年、16歳で手漉和紙の全工程を習得している。三椏紙以外にも様々な楮(こうぞ)和紙も漉く等、製作の幅は広く、平成17(2005)年には津山工芸展津山市文化協会理事長賞受賞、令和元(2019)年には第77回山陽新聞奨励賞(文化部門)を受賞している。全国手すき和紙連合会会員として弟子・後継者育成に力を尽くしながらも、地元小学校の児童に手漉和紙の指導を行う等、手漉和紙技術の継承・普及にも積極的に取り組んでいる。(文:岡山県HPより)

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