美作の大庄屋巡り「近藤家」(真庭市)

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近藤家 近藤忠左衛門 大庭郡上河内村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 津山市宮尾の近藤家に残されている『始祖伝』によれば、近藤三郎が高田城主三浦氏に仕えたという。その後宇喜多氏に仕え、宇喜多氏滅亡後、上河内村に帰農し、森藩により大庄屋に任命された。
大庄屋として
 享保12年(1727)、松平家が5万石に減封されたときに大庄屋を解任されたが、山中一揆の記録に、大庄屋近藤忠左衛門の名がある。文化14年(1817)、松平藩が10万石に復帰した時、再び大庄屋となり明治まで勤めた。

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所在地
 上河内村は、旭川支流の河内川上流域の山間地にある。出雲往来は坪井上村より河内乢を超え、上河内村より上河内村宿を経て目木村に至る。近藤家は宿から旭川の西原川湊へ続く道に沿っている。

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大きなモミジの木が茂っています。

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庭                       蔵

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当時のままの厠が残っています。

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庭の大きな木

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屋敷・墓地
 屋敷は宿の南、三浦氏が築いた持家(じげ)城の東麓にある。母屋は建て替えられているが、一部古い家屋・庭園の古木が残り、子孫が居住している。墓地は背後の山麓にある。菩提寺は天台宗円融寺(真庭市上河内)である。
子孫
 近藤猛男は明治末期に河内村村長。隆は鉄道省本庁に勤務し、その長男は農学博士、次男は農林省に勤務した。子孫は上河内で会社を経営している。(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2021年10月27日撮影)

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古いお墓

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右の一段高いところを上ると持家城跡へ行けるそうです。