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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3417件の記事が見つかりました。

大山あじさいロード(湯郷)

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 2019年7月6日に、湯郷にある大山あじさいロードを訪ねてきました。
記念碑に「市道大山線、総延長2,190m、工事期間:昭和61年着工 平成8年完成。平成10年から大山住民により新たな観光地を目指し、あじさいの植栽に着手、現植栽本数 約2,700株、本年大山あじさいロード事業完了を記念し、記念碑を建立する 平成27年9月吉日 大山部落」と書いてありました。 綺麗に咲いている色とりどりのあじさいの花を拝見して、大山部落の皆様の努力に感激しました。

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7月のイナバ化粧品店と登城記念・御朱印

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 令和1年7月9日のイナバ化粧品店内の様子です。
1年7月8日に撮られた写真を拝見しました。8日は沢山の方が来られて、川崎八幡神社へお参りに行って御朱印をもらってきたそうです。また、神社のお世話係のおじいさんが、B'zファンの方とお会いできるのを楽しみにしていらっしゃるそうです。この日もお店に来られてママとお話をされていました。ママ曰く、おじいさんも生きがいが出来て楽しんでいる様子だそうです。

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第69番~第79番>

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 2019年3月30日・31日 今回は第61番 香園寺~第79番 天皇寺までの19ヶ寺を(一泊二日)で巡ってきました。清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝。
順路は、第64番 前神寺 ⇒ 第63番 吉祥寺 ⇒ 第62番宝寿寺 ⇒ 第61番 香園寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 第65番 三角寺 ⇒ 第66番 雲辺寺 ⇒ 第67番 大興寺 ⇒ 第70番 本山寺 ⇒ 第75番 善通寺(泊)宿坊 ⇒ 第74番 甲山寺 ⇒ 第73番 出釈迦寺 ⇒ 第72番 曼陀羅寺 ⇒ 第71番 弥谷寺 ⇒ 観音寺(昼) ⇒ 第68番 神恵院 ⇒ 第69番 観音寺 ⇒ 第76番 金倉寺 ⇒ 第77番 道隆寺 ⇒ 第78番 郷照寺 ⇒ 第79番 天皇寺 坂出北IC ⇒児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。

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大日如来(上村・新野山形)

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 牛が病死すると、万人講と言ってみんなで少しづつ金を出し合って供養を行う。またその金の一部を残し次の牛の購入代金の足しにする習わしはどの村でも行われた。
 農家では「牛は主人の身代わり」とも言われて、死んだ牛が家の災難を背負っていったという意識が強かった。死んだ牛の供養のために村では、馬頭観音や大日如来の像や文字を刻んだ石碑を村境などに建て、牛の供養や安全を祈願した。
 村の大日様・大日如来をもって牛の守り本尊とする習わしは、岡山・鳥取・島根の一部の地方に限られた信仰と言われており、牛は農家の経済にとって重要な存在でどこの家でも俗に「内厩」と言って母屋の内に牛舎を設け、家族同様の扱いがなされた。
 石碑に刻まれた大日如来の文字の力強さは牛に対する慈悲が込められている。

(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)(2019年2月12日撮影)

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2019 佐平焼展(山下)

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 2019年5月18日(土)・19日(日)10:00~17:00、津山市山下の佐平館に於いて「佐平焼展」が開催されました。今回は模様替えした佐平焼と浮田家の蔵に眠ってた明治から昭和初期の古い着物も拝見できました。上記写真は明治四十三年生まれの嫁入り時の着物・打掛け等だそうです。(前回の様子)

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旧足守藩侍屋敷遺構(県指定重要文化財)

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 足守藩主木下家は、平氏の出身でもとは杉原と称していました。杉原家定は織田信長の家臣でしたが、妹の「ねね」は、木下籐吉郎(後の羽柴秀吉・豊臣秀吉)に嫁ぎ、秀吉の天下人に伴って「北の政所」となりました。このため、ねねの実家が秀吉一族として木下姓を名乗ることを許され、さらに豊臣の称号も与えられました。
 関が原合戦に際して、2万5千石を領有して姫路城主であった木下家定は、北の政所を守護して中立を採り、合戦の後の慶長6年(1601)3月27日に、同じ石高で備中国足守に所領替となりました。ここに足守藩主木下家が始まり、一時中断があったものの、家定の子孫が明治維新まで13代にわたって藩主として、足守陣屋町の整備に尽力しました。

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美作の丘のアジサイ(高野本郷)

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 2019年6月30日、曇りと小雨で蒸し暑い日になった津山地方、アジサイを見たくて美作の丘に行ってきました。ここの紫陽花の花は、ピンク系で可愛い色のアジサイの花が多くて癒されます。今が見頃のアジサイの花が園内いたるところで咲いていました。お子様連れで来られても可愛いうさぎさんやニワトリさんと出会え、しかも、遊具がある楽しい公園が併設されていておススメです。また、天気なら庭でバーベキューをしながら、ビールで一杯もいいかなぁ~と思いました。
 美作の丘のさくらの咲くころ (美作の丘

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宇田川玄真の孫弟子、緒方洪庵生誕地(県指定史跡)

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 適塾(てきじゅく)で有名な緒方洪庵(おがたこうあん)は宇田川玄真の孫弟子にあたります。
日本に西洋医学の基礎を築いた緒方洪庵は、足守藩の佐伯惟因の末子で名を章といい、文化七年(1810)この屋敷に生まれた。はじめ、大阪の中天遊について和蘭学を修め、21歳の時江戸に出て坪井信道、宇田川玄真に蘭学を学び、また長崎に下り蘭医ニールマンに学ぶ。天保9年(1838)大阪に蘭学塾を開いたが、集まる門弟3千人と称せられ、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介などもその塾生であった。文久2年(1862)幕府奥医師兼西洋医学所頭取になったが、翌3年6月10日江戸で病没、54歳。この屋敷跡は岡山県史跡の指定されている。岡山県・岡山市(文:現地案内板より)

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高松城址公園(岡山市北区高松)

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高松城の水攻め 
 今から約400年前の天正10年(1582)、織田信長の命を受け羽柴秀吉は、3万の大軍をもって、備中国南東部に侵入し毛利方の諸城を次々と攻略するとともに、備中高松城を攻めた。秀吉は、高松城に城主清水宗治に利をもって降伏するよう勧めたが、義を重んじる宗治はこれに応じなかった。高松城は深田や沼沢の中にかこまれた平城で水面との比高がわずかに4mしかなく、人馬の進み難い要害の城であった。秀吉は参謀黒田官兵衛の献策に戦史にも稀な水攻を断行し、兵糧攻めにした。秀吉は、備前国主宇喜多氏の家臣千原九衛門勝則を奉行とし、3千mに及ぶ堤もわずか12日間で完成させた。時あたかも梅雨の頃で、増水した足守川の水を流し込み、たちまちにして188haの大湖水ができた城は孤立した。
 6月2日の未明、京都本能寺で信長は明智光秀に討たれた。秀吉はこれをかたく秘めて毛利方の軍師、安国事恵瓊を招き「今日中に和を結べば毛利から領土はとらない。宗治の首級だけで城兵の命は助ける」という条件で宗治を説かした。宗治は「主家の安泰と部下5千の命が助かるなら明4日切腹する」と自刃を承諾した。

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備中国分寺(総社市)を訪ねました。

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 備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つです。
 その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定されますが、江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができます。国指定史跡。 (文:総社市公式観光WEBサイトより)(2019年5月3日撮影)

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