津山弥生の里文化財センターのお雛さま
2019年3月8日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター2階の展示室に今年初めてお雛さまが飾られました。過去の取材の時にも展示室で眠っておられたお雛さまも、このように晴れの舞台に飾られて嬉しそうですね。(2019年3月8日撮影)
2019年3月8日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター2階の展示室に今年初めてお雛さまが飾られました。過去の取材の時にも展示室で眠っておられたお雛さまも、このように晴れの舞台に飾られて嬉しそうですね。(2019年3月8日撮影)
城東むかし町家(梶村家)は江戸時代苗字帯刀を許された津山藩の「札元」両替商といった豪商の家柄で、のち皇族の方もお泊りになった大変格式のある家です。蔵が2つあり、東蔵は大正時代・西蔵は昭和時代です。このように江戸・明治・大正・昭和の各時代の建物が一つの屋敷内にある変化に富んだ町家での雛様達です。是非、ご覧ください。
2019年3月5日に津山市神代梅の里公園にある「梅まつり」へ行って来ました。
梅の花は満開には少し早目だったようですが、満開に近い梅の木もあり楽しめました。車を降りるとぷ~んと梅の花の香りが漂ってきます。お天気も良くて沢山の方々が梅の花を見にお出でになっていました。(2013年の記事)
2019年3月3日に「第22回津山武道祭」が津山総合体育館で催されました。
この武道祭は急速に進む少子化や子どものスポーツ離れを背景に武道人口が減少する中、武道の普及推進と競技者の増加を目的として開催されたものです。多くの小学生が大人を負かして得意気な顔をしたり、武道の楽しさを体験していました。同時に親子で武道体験スタンプラリーも楽しんでいました。
また、会場内では柔道場でフリーマーケット(11店舗)、玄関前では模擬店(ポップコーン、焼きそば、うどん、コーヒー、フランクフルト)が賑やかに開催されました。
2019年3月5日津山城(鶴山公園)内にある鶴山館で華麗なおひな様を拝見してきました。
天神様や豪華な段飾りには五人ばやしや官女なども加わって勢ぞろいです。また、雛飾りの傍にはこれまた豪華なお花が活けてあり、とてもマッチしていて素敵でした。
ところで、京都国立博物館によると、3月3日の節句におひなさまをかざるようになったのは、江戸時代になってからのことなのだそうです。
「春に山より下りてきて田の神になる山の神は五穀豊穣をもたらす農耕の神であり秋終りにはまた山に帰って山の神となる。」とも言われ山村に住む人たちの信仰する山の神の呼び名があり、ダンナサマ・ジュウニサマ・サガミサマ・ノタガミなどとも呼ばれている。
石造としては祠の物が多くあるが、自然石に「山神」「大山祗命」などと彫ったものが各地にもある。
江戸期以前の楢村についての記録はないが「穴塚」と呼ばれている古墳や、十寸鏡神社のある通称「宮山」に六基の小さな円墳が残っている。
穴塚は、小足谷の北の尾根に南向きに造られた円墳で、盛り土の径18m、奥行約10mの横穴式石室を持つ。この古墳については次の記録がある。
「石室幅約六尺、高さ五尺、奥行三十五尺、巨石を以て覆われ、円丘高さ約廿尺、径九十尺、古来から火の雨塚と呼ばれている。」
西上の山形仙のふもとに天狗供養塔の石碑がある。この天狗供養塔は昔鞍馬山に住んでいた天狗(修験者)が、この西上の地に舞い降り無病息災を祈願し暮らしていた。
時が過ぎて天狗の話も薄らいでいたが、ある時土地の住民が家を建てて暮らしていると、主人が病にかかり祈祷師に拝んでもらうと「この家の下に鞍馬から来た天狗が居り、自然石で供養塔を立てなさい」とのお告げがあったと言われさっそく供養塔を建てると主人も良くなった。
天狗の命日には(旧暦一月十八日)主人が拝んでいたそうだ。また、供養塔の下には般若心経の一字一石の文字を書いた石を埋めてあるとも言われている。
金毘羅宮は香川県多度津郡琴平町に鎮座し、祭神は大物主神で、この神社は明治7年に現在の金毘羅宮となるまでは象頭山金毘羅大権現と称していた。一般庶民の信仰も深くほとんど全国的で、特に船に乗る人はこの神を厚く信仰している。
原の岩逧の金毘羅さまの石碑は二百余年前の作で、その盤座のもとに石工伊八の銘が彫り込まれている。松尾伊八は泉州の名工で多くの石碑を遺している。
金毘羅とは、梵語でクンピーラといって昔のインドの国で鰐を神格化した仏法の守護神として祀られ、江戸時代に入り航海の安全や猟師の祈願として信仰され、更に 水の神・農の神として広く信仰されるようになった。
不動明王の性格で特に際立つのが怨敵降伏の力である。右手に悪魔を断ち切る剣を持ち、左手に人を引き寄せる、あるいは悪魔を縛る羂索を持つ不動明王は、目を吊り上げ牙をむき出し怒りを表す忿怒の表情である。
不動明王の刻像は十三仏の中にも見られるが、独尊としての石仏造立が多くみられ、造形形式には不動一尊のものと衿羯羅(こんがら)・制吨迦(せいたか)の二童子を脇侍とする三尊形式のものとがある。
西下の不動明王:右手に構えた利剣、左手の風になびく羂索剣で衆生の煩悩を断ち切り索で迷える者を縛って仏道に導き、背後に猛煙が追っても動かず、不動の心を持って信仰の道を進めという仏法保護の像である。
不動明王像は五大明王の中心的な存在で、大日如来の使者となり悪を断じ禅を修し真言行者を守護する役割を担っている。