美作の大庄屋巡り「植月家 植月六郎右衛門」

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 植月家 植月六郎右衛門 久米南条郡一方村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 植月氏は、美作菅家七党の一つである。家譜によれば、その子孫が宇喜多氏に仕えて一方村を与えられ、神南備山北麓に居を構えた。これが一方村植月氏の祖である。新右衛門が森藩の大庄屋を勤め、その後明治まで続いた。
大庄屋として
 植月新右衛門は承応2年(1653)の一方村の「山上り」や、延宝7年(1679)の皿川改修工事による広い新田作りに功績があった。皿川改修には下弓削村大庄屋河原善右衛門とともに尽力した。六郎右衛門は元禄一揆の記録を残し、山中一揆が起ると、120名の人夫を連れ、弓や鉄砲などを携帯して、鎮圧に出動する準備をした。澄江は、慶応2年(1866)長州戦争に郷夫隊総取締として従軍した。

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所在地
 一方村は、津山城下の南西、神南備山北側の吉井川、皿川の氾濫原にある。備前往来が通り、城下から1里の位置にあたる。
屋敷・墓地
 備前往来に沿う広い屋敷地には、庭園の面影を残す亀石や灯籠があるが、現在は分割されて宅地になっている。墓地は佐良神社の南山麓に散在する。菩提寺は真言宗聖徳寺(津山市小田中)である。
子孫
 植月家最後の大庄屋澄江、その子重祐は美作自由党に参加し、重祐は佐良山村議会議員や村長、久米郡議会議員を歴任した。一族は多い。

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遠州流燈籠です。                亀石です。

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植月家のざくろが大きくなっていました。     お隣の山田さんに案内していただきました。
(2019年8月17日撮影)(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)