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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3418件の記事が見つかりました。

備中国分寺(総社市)を訪ねました。

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 備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つです。
 その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定されますが、江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができます。国指定史跡。 (文:総社市公式観光WEBサイトより)(2019年5月3日撮影)

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文人画家・廣瀬臺山と飯塚竹斎展

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 2019年6月8日・9日と津山市山下の「旅館 お多福」の作州維新文庫で「第9回 作州維新文庫 特別展」文人画家・廣瀬臺山と飯塚竹斎展が開催されました。二人の山水画や花鳥画がすぐ近くで見ることができラッキーでした。8日の画人談議は津山郷土博物館前館長の尾島治さんと作州維新文庫の竹内佑宜さんでした。廣瀬臺山と飯塚竹斎は年代は違っても同じ時期を過ごし、廣瀬臺山に影響を受けたであろう飯塚竹斎さんの話を興味深く聞くことができました。9日の画人談議は作州地域の郷土史を研究している竹内佑宜さんと岡山県立美術館学芸員の古川文子さんでした。
 また、竹内さんは「臺山、竹斎とも全国に通用する作品を残した郷土の偉人」と話されました。

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津山城(鶴山公園)のアジサイ2019

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 2019年6月13日の良く晴れた日、久しぶりに津山城(鶴山公園)にアジサイの花を求めて行って来ました。受付で「アジサイ咲いているよ~。」と教えて頂き、早速アジサイの咲くところまで行って来ました。日中なので萎れていないか心配でしたが、頑張って上を向いて咲いていました。時折、吹く風が涼しくて気持ち良かったです。

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「玄米 Bread Cafe 母恵夢」でリニューアルオープン

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 2019年6月9日(日)津山市院庄にある「玄米 Bread Cafe 母恵夢」でリニューアルオープンがありました。オープン記念に、今話題の萬屋手話本舗ぷ~&み~企画の「ぷ~&み~の漫談」があり、沢山の皆さんが朝からお笑いもいいもんだ!と楽しんでおられました。その後、みんなでウクレレ手話で手のひらを太陽になどを歌い大いに楽しみました。

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天灯!夢はばたく津山城

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 2019年6月16日、津山青年会議所のイベントで「天灯!夢はばたく津山城」が津山城(鶴山公園)本丸で開催されました。この事業は、津山城の歴史や、まちをつくるひとがどのようにまちづくりに関わってきたかを学び、つやまに住まう若者のつやまへの愛着と誇りを育むことを目的として行われました。天灯式は20時~でしたが、小雨がぱらつき、風も時折強く吹いて少し心配しましたが、点灯式の頃は雨も止み、風も少しおさまりイベントも無事に終わりました。
 大勢の子ども連れの家族や若者、また、津山圏域の高校生、高専生、大学生が参加して本丸でランタンを飛ばし賑やかでしたよ。

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津山第一病院で「地域ふれあいフェスティバル」がありました。

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 爽やかに晴れた2019年6月9日の午前10:00~、津山第一病院で恒例の「第14回 地域ふれあいフェスティバル」が開催されました。年1回一日病院を地域の人に開放して、院内見学や体験会、焼きそば、おにぎりなどの食べ物販売などで地域の人との交流会が行われます。玄関先では、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい等親子で楽しんでおられました。また、屋台コーナーでは5本で200円の焼き鳥が大人気で長い列ができていました。院内では、沢山の家族連れで超満員でした。

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飯岡花めぐり「和風の家」(美咲町)

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2019年5月26日、飯岡花めぐり「和風の家」に伺って来ました。ここは、すぐ近くに足王様社跡礎石があるそうです。このお宅のお庭を抜け、奥に進むと清楚で可愛らしいお花が出迎えてくれます。山野草なども数多く植えられていました。工夫を凝らしたオブジェが来る人を和ませてくれます。
(来年は「花めぐりの会」の活動をお休みします。」とのことです。)

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親子エコフェスタ2019

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 2019年6月9日に「親子エコフェスタ2019」がアルネ津山4階地域交流センター、図書館前、アルネ東広場、ソシオ一番街で開かれました。「COOL CHOICE ~未来のために、いま選ぼう~」をテーマに、行政、学校、企業、市民団体等がブースを展示し、多くの親子が体験を楽しみながら環境について学びました。今年で15回目を数える体験型環境学習イベントです。

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稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)

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 稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)
石灯籠は2基あり、左側は文政9年(1826)、右側は天保8年(1837)に寄進され、何れも坪井宿の中央を流れる水路のほとりにあったものである。
 豊川稲荷は挙母藩陣屋に祀られていたもので廃藩置県後、亀山城跡に移された。
 七森神社への途中約500m北にある七森宮石灯籠は嘉永5年(1852)に寄進。「是ヨリ七森宮へ九丁」と刻んである。これは坪井宿から約900mということであり、これも水路のほとりにあったものである。

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坪井陣屋(代官所)跡

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 現在の久米町のほぼ1/5の面積を占める、旧久米北条郡十二ヵ村は、慶長八年(1603)以降、森氏(津山藩)の領内であった。
 しかしながら、元禄十年(1697)八月に四代藩主森長成が後嗣なく死去したことにより、森氏が断絶し、美作国全土は一時幕府領となった。このことにより上記十二ヵ村を含む美作国勝南・久米南条・久米北条・真島の四郡については、翌 元禄十一年九月、幕府の代官所が坪井下村におかれ、代官として西与一左衛門が着任、領内を統治した。
 その後、元禄十五年(1702)九月二十三日、上記の十二ヵ村は上野安中城主内藤氏の領するところとなった。内藤氏は、それまで陸奥国岩城城主であったが、内藤政森(1683~1738)の代に上野国碓氷と久米北条の二郡を所領とし、上野安中城に居所を置いた。(安中藩)その後内藤政苗(延享三年(1746)襲封)の代に、上野国分の所領を三河国加茂・遠江国周知・榛原の三郡に移され、三河国加茂郡拳母(現 愛知県豊田市)に築城したが(拳母藩)、久米北条郡については引き続き領有が続き、明治四年(1871)の廃藩置県に至るのである。
 元禄十一年に幕府領となった際、坪井下村に置かれた代官所は、その後幕府から内藤藩に譲渡され、陣屋として明治まで継承したが、坪井宿内のほぼ中心であるこの場所にあったと伝えられている。内藤藩時代の陣屋は、五百七十坪の敷地を有し、この中に三百三十坪程の面積の建物があったという。そして、拳母城から郡奉行以下八名が出張し(一年毎に半数が交代)、これらの人数と領内から任用した大庄屋二名を選び、領邑を統治したということである。

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