取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「津山市」で検索した結果,1565件の記事が見つかりました。

片金山明王院 金龍寺(津山市加茂町室尾)

橋.jpg
片金山明王院 金龍寺縁記
 当寺は、真言宗醍醐派に所属し、片金山明王院金龍寺と称し「千手十一面の二相両具をそなえた観世音菩薩、千手観世音菩薩」を本尊とし室町時代の文安5年(1448)行基菩薩の法系孫と言われる恵秀法印の開基になり、当初は、裏山、現在の寺山の中腹(当青柳の庄時代交通の要路であったと言われる)にあり七堂伽藍をかまえそなえた寺院であったが、天文21年3月(1552)火災にかかり、ことごとく焼失し、同年8月寺地を現在の処に移し、開基より三代目、数円法印再建す
 その後、元和元年(1615)津山城主、森忠政公の命により津山留錫の玉林院法印智観の資子、宥智東蔵坊法印、これを継承し、室尾城主、河端丹後守公の祈願寺として、寺領250石を賜り周辺村(現在の部落)わ檀家とし、尚神仏習合寺院として現在の三宝神社の別当を勤め、別寺名を実安山神宮寺とも称し、当山派系(真言宗醍醐三宝院末寺)の修験道寺院をも加えた密教寺院であった。
 然し、明治元年(1868)神仏分離令に加えて排仏毀釈に会い解体せられ、その上、明治5年(1872)修験道廃止令に依り衰退し,本宗(密教系寺院)の寺院の姿の一部を止めるに至り現在に至っている。
 然し、今当寺に相承の法流は、真言密教の中核、小野三宝院流、及び修験道の大峯山法、恵印三未耶法流である。
玉林院智観法印とは、大和国大峯山直轄の密教寺院であり、勅願所である内山永久寺(明治初年の排仏毀釈により廃寺)の正大先達頭として諸国を歴訪し、津山に留杖し森公の相談役として家老待遇で迎えられていた。2012.9.20取材(文:案内板より)

片金山明王院 金龍寺(津山市加茂町室尾)の続きを読む

「秋の風の音ミニコンサート!」は美しい調べでした。

zenin3.jpg

▲2012年11月4日(日)14時~ 鏡野ペスタロッチ夢ホールにおいて、秋の風の音コンサートが開かれました。誰かが「やさしい、澄んだ音色で、背中を撫でられているようね。」と言っていました。聞こえてきた音は、本当に優しく、演奏される方の心が澄んでいるからだろうなと感じたコンサートでした。(情報提供:風の音コンサート岡山・津山)

「秋の風の音ミニコンサート!」は美しい調べでした。の続きを読む

津山市吉見にある志見山 岩尾寺で盛大な御開帳がありました。

dai1.jpg
 2012年11月3日、志見山 岩尾寺で御開帳がありました。


※開帳(かいちょう)とは、仏教寺院で本尊をはじめとする仏像について、その像を安置するお堂や厨子の扉を開いて拝観できるようにすること。

普段秘仏となっている仏像を公開する周期は、縁日など毎年特定の日に開帳する寺院もあれば、数年から数十年に一度特定の日にしか開帳しない寺院もあり、開帳の間隔は寺院によってさまざまである。2011年5月の岩尾寺の様子

津山市吉見にある志見山 岩尾寺で盛大な御開帳がありました。の続きを読む

新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)

ni4.jpg

2012年11月3日(土)「新野まつり」がありました。

新野まつり
作州三大まつりの一つに数えられる「新野まつり」は、新野山形の八幡宮を親神様として二松・天穂日・天津・天満神社の氏子たちが御輿をかつぎ、稲塚野の神事場に集まって豊穣の秋を祝い、新野郷すべての人々が喜びを確かめあい励ましあう一郷一所の大祭である。各神社の社伝は古く伝承行事もさまざまであるが、まつりの形態が今日のように郷土団結の様子を整えてきたのはおよそ室町期の頃であると推定されている。
 素朴な農民の心が大切にされ、今日まで受け継がれていることは吾が町・勝北の誇りである。祭日十一月三日

新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)の続きを読む

津山人 【陶芸家】天狗寺 陶白人氏

425512_.jpg

 天狗寺 陶白人(てんぐうじ とうはくじん)さんは、岡山県苫田郡加茂町出身の陶芸家で、( 岡山県津山市にある山、天狗寺山が名前の由来だそうです。)
 天狗寺さんは、「美作地方(津山市綾部の土)の土単味でつくる」窖窯研究・美作土の造形研究38年だそうです。また絵画(洋画、日本画)、篆刻・彫刻・書・山水画・陶芸品の制作など多才な方で、いつもニコニコ笑顔が印象的な方です。お邪魔したときは、窯出し後で、焼きあがった作品がずらりと並んでいました。取材2012年11月6日

天狗寺 陶白人さんのプロフィール
2012 沖縄県 那覇市立壺屋焼物博物館企画個展
2011 岡山県 奈義町現代美術館企画個展
    鳥取県 重要文化財石谷家企画個展
2008 第25回 茶の湯の造形展
2005 第3回現代茶陶展
    第22回 茶の湯の造形展
    2005大滝村北海道陶芸展
    第17回 抹茶茶碗コンテスト『奨励賞』受賞
2004 第16回 織部の心作陶展
2003 第15回 織部の心作陶展
    第20回 茶の湯の造形展
2001 世界工芸コンペテション金沢
    第13回 織部の心作陶展
    金沢わんon大賞展
1998 第2回 益子陶芸展
1997 第8回 使ってみたい北の菓子器展 『大賞』受賞
    岡山県美術展 『地域奨励賞』受賞
    国際色絵陶磁器フェア79九谷
1996 第5回 バレンタイン美術展 『バレンタイン賞』受賞
    第7回 使ってみたい北の菓子器展
1995 現代茶陶展
1991 中国ガラスアート展1991
1990 第2回 しんわ美術展 『努力賞』受賞
1989 第18回 長三賞陶芸展
    第1回 しんわ美術展 『特別賞』受賞
1985 第2回 茶の湯の造形展
1980 天狗寺 陶白人の号を賜る
1974 天狗寺窯開窯Tenguuji Factory Of Artで働く
1972 藤川デザイン学院を卒業
1968 津山工業高等学校を卒業
1951 誕生日: 1951年2月16日

津山人 【陶芸家】天狗寺 陶白人氏の続きを読む

第15回「さら山時代祭」が執り行われました。

sara3.jpg

2012年11月4日、第15回歩いてみんちゃいさら山「さら山時代祭」が執り行われました。小雨降る中、出雲街道うぉ~きんぐ、喜楽童のライブコンサート等などのイベントも行われたそうです。上の写真は鳴子と風鈴と風船で鮮やかに飾られたカキ谷古墳広場の様子。(写真提供:さら山時代まつり実行委員会・津山市秘書広報室)

第15回「さら山時代祭」が執り行われました。の続きを読む

菊水山 公卿寺(加茂)

ku1.jpg
菊水山 公卿寺 (津山市加茂町公郷1309)
縁起
 当寺は公郷にあり、菊水山公郷寺と号し、聖観音を本尊とする天台宗比叡延暦寺の末寺である。
 『東作誌』によれば、開基は「貞観二丙辰年(貞観二年は庚辰-筆者)慈覚大師作州に台宗の仏寺を開かれし六十余ヶ寺の其一員なるべし」と推定している。明和年間(1764~71)に旧称水尾山真福寺の寺号を菊水山公郷寺と改めた。「東西百間余。南北百二十間余」の広い境内(『東作誌』)をもち繁栄したこの寺は、文化十二年(1815)には「漸く寺号を残して苧堂に等しき一宇を遺すのみ」(『東作誌』)と衰退していた。
 本尊聖観音像は、慈覚大師円仁(794~864)作と伝えられる(『東作誌』)一尺二寸の寄木造の木造仏である。また現存する三間四面の本堂および門は文久年間に建てられたものである。檀家は文化十二年(1815)に二百四十戸、現在二百五十戸である。寺の年中行事に、正月の日待祭がある。
本尊 聖観音、年中行事/正月 日待祭(「加茂町史」神社と寺院より)2012年8月22日取材

菊水山 公卿寺(加茂)の続きを読む

2012年 徳守神社の秋まつり

tokumori1.jpg

徳守神社の秋祭りが2012年10月28日(日)・《宵祭り:10月27日(土)》ありました。例祭(10月第4日曜日)では、神輿ご巡幸に供奉を加えて、行列の長さが500メートルにも及ぶ時代絵巻が繰り広げられます。 このように長年市民に親しまれている行事であり、津山の誇れる文化遺産として評価され、平成10年8月4日に津山市教育委員会より、有形民俗文化財の指定を受けました。
大御輿は、日本三大大御輿の一つと云われており、縦、横1.7m、高さ2.8m、重さ1tに及び、交替要員を含め150名の人員が必要とされ、近隣に類例のない大きさを有していいます。

その大きさと美麗さから、日本三大神輿のひとつといわれていますが根拠は不明です。(写真提供:津山市秘書広報室)

お問合せ:徳守神社(津山市宮脇町5 TEL 0868-22-9532)

2012年 徳守神社の秋まつりの続きを読む

青柳神社(津山市加茂)

青柳本殿2.jpg
青柳神社
御祭神 天照大神荒魂 金山彦命 天日筒男命
例大祭 十月十日
中祭  春祭四月 夏祭七月 冬至祭十二月
由緒・沿革
 本神社の創建由緒は不詳であるが、古人伝え云ふ。
天平勝宝年中(749~56年)直金を掘収したが失敗し、片金山の柳神社に祈願したところ、金山彦命、天日筒男命を奉賽せよと告げられ、柳神社を相殿として宮殿を造り、社号を中山神社としたのが其の起源である云われている。
 又、美作六十六社の一社であり、寛文8年(1668) に再建したとも云われている。「作陽誌」にも中山神社とあり外に国司大明神が祭られていたと云ふ。
 其の後、明治6年(1874)青柳神社と改称し、同9年、金山彦命、天照大神荒魂、天日筒男命を合祀して村社に列せられた。明治42年に大字青柳内の水分神社、経津主神社、伊勢神社、滝神社を合祀した。大正2年、時の流れに依り、上加茂神社(現千盤神社)に合祀された。
 それ以前は現在地より上の段に双殿として奉賽されていた。現在の本殿は其の一つの宮殿であった。それ以来、遥拝所となり昭和24年再び旧宮山に遷座奉賽される。
 平成6年10月、本殿、拝殿等老朽化が激しく、敷地を新しく造成し、本殿の修復、上屋・拝殿を氏子の浄財寄進等により、造営する。
平成9年6月吉日 氏子中  (2012年9月20日取材)(文:案内板より)

青柳神社(津山市加茂)の続きを読む

龍王山 金剛寺(津山市西上)

kon26.jpg

金剛寺は1000余年の歴史を持つ真言宗のお寺で、開祖は第三代天台座主の円仁阿闍梨(慈覚大師)。
円仁阿闍梨は、天台宗を開いた最澄の愛弟子であり、最後の遣唐僧として天台宗を完成させました。日本で最初に朝廷から「大師」の名を授かった人であり、日本各地に多数の寺を開山されております。そのうちのひとつが、龍王山 金剛寺です。
開山のいわれ 
金剛寺 第四世 玉林院宗盛法印により 延宝五年(丁巳)卯月朔日 記載
 今から約1000年ほど前に、貞観年中に比叡山第三世の僧、円仁阿闍梨という僧が、中国地方を行脚し、新野村 (現在の津山市 西上・西中・西下にあたる) に一宿されました。
 そのとき、ある主人から
  「この頃、山のふもとに光るものが出る」
ということを聞かされ、不思議に思って行ってみたところ、丈5寸(長さ15センチほど)の聖観音様がゆったりと石の上に立っておられ、そのそばに一人の翁が灯明を捧げておりました。
阿闍梨は「なにゆえここに居られるのか?」と問われました。
翁、答えていわく
 「この観音菩薩は、九ヶ月以前に辰巳のほうより一人の行者持ち来たり、利益のある菩薩から、これを護ってくださる人を待っておった。我はこの山の主、龍王なり。」といい、峰に昇り去りました。
 円仁阿闍梨は早速信者を集め、力をあわせて伽藍を建立し皆と共に信仰することとなりました。その寺を「龍王山 金剛寺」 と名づけ、神仏を祀り諸々の供養をしたりしているうちに、円仁阿闍梨は、再び諸国行脚の旅に出られました。
 その後、観音堂は月覚聖人、掘坂村の内村宗盛を経て、楠木氏後胤、大先達玉林院智観法印よりその子孫に受け継がれ続け、第十七世となる現住職まで続いている。(情報提供:龍王山 金剛寺)
龍王山 金剛寺 〒708-1221 岡山県津山市西上502
電話0868-36-5738/HPはこちらです。 (2012年10月2日取材)

龍王山 金剛寺(津山市西上)の続きを読む