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取材記事内を検索ワード「春」で検索した結果,382件の記事が見つかりました。

山の神(原)

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 「春に山より下りてきて田の神になる山の神は五穀豊穣をもたらす農耕の神であり秋終りにはまた山に帰って山の神となる。」とも言われ山村に住む人たちの信仰する山の神の呼び名があり、ダンナサマ・ジュウニサマ・サガミサマ・ノタガミなどとも呼ばれている。
 石造としては祠の物が多くあるが、自然石に「山神」「大山祗命」などと彫ったものが各地にもある。

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千手観音菩薩(大吉 五穀寺)

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 変化観音の一つで千手千眼観自在菩薩といい、千の慈眼・千の慈悲を持って衆生を済度するという。普通は胸前の合掌する両手を除き、左右ニ十手ずつの四十手像で、掌中に各一眼をもつ。
 一手はよく二十五有界の衆生を救うとされることから、四十手で合計千手となる。また十六手のものもあり、それらの手にはいずれも仏具類を持ち、頭上には一面・九面・十一面または二十七面のものもある。
 千手観音は十一面観音とともに奈良時代より庶民の信仰を集めている。石仏としては私達の身近に見られるこの仏は、手の数も頭上面も儀軌(この場合は仏像彫刻上の約束事)によらないものが多い。
 なお五穀寺にある石仏については十一面千手観音菩薩と思われるが、見る人によっては十一面観音菩薩と思われるかもしれない。

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まほらでいちご狩り。

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2019年2月17日に「まほらファーム」へいちご狩りに行って来ました。外は風がピューピューと吹いて寒かったのですが、ハウスの中はポカポカ陽気であったかです。一歩入ると、いちごのあま~い香りが漂って食欲をそそります。ハウスの中では沢山の家族や若者が夢中でいちごを食べていましたよ。

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津山洋学資料館冬季企画展「美作地域の華岡門人」

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 2018年12月1日(土) 2019年2月24日(日)9:00 〜 17:00まで、津山洋学資料館 企画展示室で、冬季企画展「美作地域の華岡門人」が開かれています。


 紀州(現在の和歌山県)の医師華岡青洲は、1804(文化元)年、世界で初めての全身麻酔による乳癌摘出手術を成功させました。青洲のもとには、その医術を学ぼうと全国からたくさんの医師が集まりました。美作地域からも、記録に残っているだけで30人以上の医師が、青洲やその後裔たちのひらいた医塾に入門しています。本展では、華岡流の医術を学び、地域の医療に貢献した美作の医師たちについて紹介します。
 主な展示資料...「華岡流外科医術絵巻」、「横山香杏一代記録」、華岡流外科器具、「乳巖図」など約30点(文:洋学資料館HPより)


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鷹山の削平跡(楢)

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 鷹山に中世の城砦と思われる跡がある。
 加茂川沿いの近長道に接する鷹山の頂上は南から西、北と非常に眺望がよく、以前から村人のお花見場として親しまれていた。この山頂に削平された南北二段の平地がある。30㎝ほどの段差で上段南側は一辺約12mの方形、下段北側はやや広い不定形の平地である。尾根続きの40mほど東にも現在は墓地になっているが平坦地がある。ここから東に5、60mのところには尾根を馬の背のように削り出した通路が残っていて陸橋の跡である。なお東に続く尾根には土塁の跡を疑わせるところもあり、一帯が城砦の跡と思われる。

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2019 雪の衆楽園

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 2019年1月26日、枯れ木残らず花が咲く衆楽園の雪景色です。
いつもと同じ雪景色と思われがちですが、そんな中でも新しい発見があるものだと感じました。今年は枝に積もった雪がふんわりしていてとてもソフトに感じられましたし、雪を冠った梅の蕾はピンクになっていました。もう春の気配のする衆楽園でした。

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西今町

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 城下町建設当初は、町場ではなかったのですが、寛文年間(1661~1673)城下町に編入されました。古名を「茅町」といいましたが、編入時に改名したと伝えられています。東側を流れる川沿いの通りを藺田町(湯田まちともいう)と呼び、岡山往来の出発点として繁盛しました。西今町には、翁橋があります。これは、津山城下の西部を北から南へ流れる藺田川に架かる橋で、旧出雲街道筋にあたり東側に西の大番所がありました。翁橋は、国の登録有形文化財で「この建造物は貴重な国民的財産です」と記されています。その西側には、作州民芸館があります。この建物は、大正9年(1920)、旧土居銀行本店として建設されました。外観は正円アーチと直線で構成されるルネッサンス様式を基本にした建築物で、国の「登録有形文化財」になっています。

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笠松(小田中)

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 城西地域の中で北西の位置にあり、市街地から少し外れた丘陵地の見晴らしの良い高台にあります。戸数は100戸少々で東西に長く、面積はかなりあるものの家は点在し坂道が多いです。
 昔は30戸余りの野菜栽培の専業農家ばかりの小さな町内で、畑地帯で市民の台所でしたが、町の中心部に近いことから新興住宅地として戸数もどんどん増え、今は農家は少なくなりました。笠松地内に西陵団地ができ、やがて独立町内になりました。
 笠松の名前の由来は江戸時代この地帯は大きな松が茂り笠のようであったということでです。その松は今は全く無い畑地帯になっています。山を切り開いて畑にしたので山畑地帯とも呼ばれています。

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西陵団地(小田中)

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 昭和54年(1979)5月1日に津山市小田中笠松地内に誕生しました。そして昭和59年(1984)1月に町内会として独立しました。
「企業は人なり、額に汗して社会に奉仕する人々のより幸せを求めて、この西陵の地に新しいまちづくりが完成いたしました。」西陵花壇の三本のくすのきの下に、この言葉が刻まれた石碑があります。
 昭和48年春、岡山県立津山商業高等学校OB中心の、津山市内企業26社で協同組合西陵団地設立、組合企業従業員の持ち家制度として83区画の建設事業が始まりました。

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水墨画家 阿部風木子氏(1923~2018)

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 墨に生きる 書・水墨画等思い出と感謝 阿部風木子
 2018年11月23日に亡くなった阿部風木子(阿部正直)氏ですが、いつかお目にかかりたいと思いながら月日が経ってしまいました。ただ生前に掲載の許可だけは戴いていましたので掲載させて頂きました。生家から生前の風木子氏の事も伺って来ました。
 岡山県美作市出身。大正12年生まれ。水墨画や書は、教育者だった父の影響で幼いころから始めた。雅号の「風木子」は、父(風木)の子だから風木子。

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