第80回 美作国万灯会
2019年6月29日(土)津山市小田中の本源寺に於いて「第80回 美作国万灯会」が美作国万灯会実行委員会主催で執り行われました。夜の8時過ぎに伺ったので生憎の雨模様になりましたが、多くの市民の皆様が参拝されていました。また、特別拝観が7月1日~7日まで、7月7日には初代津山藩主 森忠政公毎歳忌法要があり、特別講演もありました。(2017年の様子です。)
2019年6月29日(土)津山市小田中の本源寺に於いて「第80回 美作国万灯会」が美作国万灯会実行委員会主催で執り行われました。夜の8時過ぎに伺ったので生憎の雨模様になりましたが、多くの市民の皆様が参拝されていました。また、特別拝観が7月1日~7日まで、7月7日には初代津山藩主 森忠政公毎歳忌法要があり、特別講演もありました。(2017年の様子です。)
適塾(てきじゅく)で有名な緒方洪庵(おがたこうあん)は宇田川玄真の孫弟子にあたります。
日本に西洋医学の基礎を築いた緒方洪庵は、足守藩の佐伯惟因の末子で名を章といい、文化七年(1810)この屋敷に生まれた。はじめ、大阪の中天遊について和蘭学を修め、21歳の時江戸に出て坪井信道、宇田川玄真に蘭学を学び、また長崎に下り蘭医ニールマンに学ぶ。天保9年(1838)大阪に蘭学塾を開いたが、集まる門弟3千人と称せられ、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介などもその塾生であった。文久2年(1862)幕府奥医師兼西洋医学所頭取になったが、翌3年6月10日江戸で病没、54歳。この屋敷跡は岡山県史跡の指定されている。岡山県・岡山市(文:現地案内板より)
2019年5月18日に津山市新田にある有本由美枝さん宅のバラ園を、ご近所の橋本さんに案内されながらお尋ねしてきました。ここのお庭は初めてお尋ねしたのですが、季節の植物や見事なバラが沢山咲いていました。また、庭中には様々な植物も植えられ、緑の中に咲くバラの花がいっそう見ごたえあります。ご夫婦で丹精込めて作られたお庭のバラたち幸せですね。
橋本さんに案内いただいて、2019年5月18日に津山市新田の宗平さんのお宅へ壁バラを見に行って来ました。ここのバラの特徴は壁にバラの花を誘引してあって、大きなバラと小さなバラの壁があります。それぞれ大きなバラと小さなバラの花を数種類アレンジしてあって可愛らしく「わぁ~可愛い!」と思わず叫びたくなります。(昨年の様子です。)
2019年5月18日、津山市新田の橋本さん宅のすぐ裏の有本さん宅のバラを見せて頂きました。
橋本さんに案内されて、有本さん宅に伺いました。ここのお庭は綺麗に敷き詰められたブロックの両脇に沢山のバラが植えられています。また、バナナの木があり、丁度バナナの香りのする花が満開でした。これから沢山のバラの花が咲き乱れる事でしょう。(昨年の様子です。)
2019年5月18日津山市新田の橋本さん宅のバラ園をお訪ねしてきました。今年も見事に咲いたバラたちが迎えてくれました。橋本さんは趣味を多くお持ちで受賞歴もおありなのですが、大病を患った後からバラを育てるようになったとお聞きしました。今ではバラだけではなく庭中に四季折々の草花が咲いています。また、娘さんご夫婦もバラを育てるのが趣味でご主人が熱心に庭の手入れをされていました。本当にバラを愛してやまないご家族です。(昨年の様子です。)
令和1年5月23日(木)~28日(火)AM9:00~PM6:00までオープンガーデンを開催されます。
道祖神はいろいろな信仰を含んでいる。旅の神・道の神など考える人も多い。また村の入り口や峠などに祀られている所もあり、境を守る神、悪魔を追い払う神などともいえる。
道祖神は普通サエノカミ・サイノカミなどと呼ばれている。その信仰はほとんど全国にわたっている。道祖神の像塔が見られるようになるのは概ね寛文以後のことのようであり、それ以前はおそらく自然石を神体としていたと思われる。
山形の道祖神は磧石または花崗岩を丸くした自然石に「道祖神」と浅刻されており、色・形状は男性の象徴を思わせ、道祖本来の原形を偲ばせて微笑ましい。
2019年3月5日の津山城(鶴山公園)の石垣です。上記の写真の場所は本丸の東面の石垣です。
本丸にあるこちらの石垣は一番古い組み方です。この階段は武者走りの石段(全国でもまれ)で、丹後山からの攻撃を受けないように、わざわざ築かれた石垣ですが、現在は傷みが激しいです。津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。
沖縄や南西諸島及び九州南部で道路の突き当りや、門・橋などに「石敢當」の三文字を刻んで建ててある石碑で、中国伝来の民俗で悪魔除けの一種である。
「敢當」とは向かうところ敵が無いの意で、災いを除くために橋・門または路上などに石敢當の三文字を刻んで建てた石碑。
中国伝来の民俗で悪魔除けの一種で、我が国に伝わり、九州地方ではよく見ることができ勝北中学校とに新野小学校にあり、災い除けの意で建てたものであろう。
鷹山に中世の城砦と思われる跡がある。
加茂川沿いの近長道に接する鷹山の頂上は南から西、北と非常に眺望がよく、以前から村人のお花見場として親しまれていた。この山頂に削平された南北二段の平地がある。30㎝ほどの段差で上段南側は一辺約12mの方形、下段北側はやや広い不定形の平地である。尾根続きの40mほど東にも現在は墓地になっているが平坦地がある。ここから東に5、60mのところには尾根を馬の背のように削り出した通路が残っていて陸橋の跡である。なお東に続く尾根には土塁の跡を疑わせるところもあり、一帯が城砦の跡と思われる。