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取材記事内を検索ワード「史跡」で検索した結果,182件の記事が見つかりました。

広野小 二宮金次郎像と奉安殿跡

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▲写真提供:広野小学校校長先生
 広野小校門を入っての石碑周辺は、戦前における広野小教育の歴史が、象徴的に凝縮されている感がある。創立期の松本譲先生の碑、尋常小学校時代の井上周平先生の碑、御大典記念(昭和天皇御即位記念)と刻まれた石柱、修身を代表する人物二宮金次郎の像、そして、社こそないが原型をとどめている奉安殿跡などがうかがえるからである。
 広野小の二宮金次郎像は、戦前の修身教育がさかんであった当時に建立された。台座裏面に、昭和9年7月10日橋北関平作とある。「勤倹」(きんけん)と書かれた立派な台座に比べ、塗りがはげてコンクリ部分が剥(む)き出しになっている、不自然に小さな像は、戦時中供出した銅像の代替品ではないかと想像されるが定かではない。

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福井 整った石室の土居「火のかま古墳」

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福井 整った石室の土居火のかま古墳 (2012.1.15取材)
 片山・桑田集落から四つ立橋を渡ると、大崎方面と勝央方面に道が別れている。
その福井から勝央町にぬけるゆるやかな坂道(工門勝央線)を数百m上って行くと、右手の道べりに木の茂った小さな墳丘が見られる。これが、土居火のかま古墳であり、別名穴塚と言われてい古墳である。
 墳丘部の東側は、ぽっかり穴が空いており、入口に「史跡土居火のかま古墳指定 広野地区文化財保護委員会」の標識が立てられている。昭和50年代後半に、広野の公民館活動のなかに文化財保護委員会ができ、こうした文化財標識を設置する活動が行われた。
 古墳の中は、大きな石を使って整えた石室が見られ、石室だけから言えば、がっちりとした立派な保存状態の横穴式石室である。この古墳の規模は、周辺が段差のある耕地となっていることから、基底部分はもっと広がっており、おそらくは今に倍する大きさの円墳ではなかったかと思われる。

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佐良山のふしぎ

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神南備山に昇る朝日(嵯峨山より)
押渕・下種・荒神山を経由して種から皿に至る旧出雲街道には後醍醐天皇にまつわる史跡が点在しますが、その中で「御駐輩場」と呼ばれる場所があります。ここには後醍醐天皇が隠岐島にご配流の際「輩」を止められ休まれた場所として、種地区の人たちの手で整備され、立派な歌碑が建てられています。

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箕作家の墓所

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箕作家の墓所

 箕作家の墓は、もと市内上之町の浄円寺内にあったが、阮甫が江戸に定住したあとここに移された。阮甫以降の省吾、麟祥など幕臣箕作家の墓所は、初め東京小石川の白山浄土寺にあったが、今は多磨霊園に移されている。秋坪・佳吉など津山箕作家の墓所や、奎吾・元八ら江戸箕作家の墓所ならびに大麓以降の菊池家の墓所は、ともに東京谷中墓地にある。

 箕作家旧宅が国の史跡に指定された昭和50年、宇田川・箕作顕彰会と津山市教育委員会により、解説板と標柱が設置された。しかし、歳月を経てそれらの傷みが激しいため、箕作阮甫の生誕二百周年にあたり、津山洋学資料館友の会が、広く市民の協力をえて整備したものである。(案内板より)
平成11年11月7日

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堂明様(堀坂地区)

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堂明様
 中土居にある堂明様は毎年4月3日を中心に土居でお祭りをしている八幡道地蔵(通称:堂明様)であり、寛文11年(1671年)新野上分字今宮から現在地に移したものです。この地蔵菩薩様は当時村落でよくないことが次々と起き、こうした悪事をおさめるため、お祀りされていると言い伝えられており、この時期は西法寺が堀坂へ引遷してきた同じ頃です。
 お地蔵様は広大無辺な宇宙を浄化する無限の徳相で、無信心の人でも罪多き人でも、一心にお地蔵さんに念じればその罪を浄化し、病苦も災難も全て救済してくださると伝えられています。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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瀧尾山 西法寺

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瀧尾山 西法寺(2011.7.10取材)
 この寺は天台宗(伝教大師・最澄)瀧尾山西法寺といい、天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。昔は妙原の大谷山にありましたが、山津波にあって寺が壊れたため、寛文11年(1671年)に堀坂へ移したもので、ご本尊は不動明王です。
 お不動さんは右手に剣を左手に綱を持ち、左目を閉じ口を斜めに噛みしめ、しかめた顔をして体の色は青黒く、火炎を背中に負って険しい岩場に立っています。
 大日如来の命令を受けて、人の心に住む悪魔を退治するといわれています。恐ろしい姿でですが、本当は心のさしい仏様で、心がよくない方向に向かっていると正しい方向へ戻してくださるといわれています。
 この本堂は文政8年(1825年)に建てられたもので、本堂が無事に完成することを願って参道口に六体地蔵が寄付建立されました。また平成14年4月に内仏殿と庫裏を改築し内仏殿には阿弥陀如来を中心に、伝教大師最澄、檀信徒のご先祖を祀っています。
 この寺は、加茂郷88ヶ所霊場第54番札所です。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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本谷山 神宮寺(観音様)

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本谷山 神宮寺(観音様)御堂(2011.7月9日、7月17日取材)
 神宮寺(観音様)は元禄7年(1694年)掘坂と妙原の人々の浄財により建てられた十一面観世音菩薩が祀ってあります。今でも毎年7月16日の夕方から18日の夕方まで、人々が替わり合って昼夜鉦(かね)をたたき念仏を唱え、いろいろな災難や病気に罹らないように、一心に祈る習慣が続いています。
 御堂の正面の壁(漆喰)には、鏝絵(こてえ)と言われる珍しい絵が鏝で描かれています。また御堂のなかには百万遍の念仏を唱えるのに使った数珠があります。
 観音様を“南無観世音菩薩”と唱えると、火難、賊難、雷難、蝮難、薬難、病難、不慮の事故などからのがれると、お釈迦様が説かれた観音経の中にあります。
  十一面観世音菩薩は頭の前に三つの優しい顔、左に三つの怒った顔、右に牙を出してほめている顔三つ、そして真後ろは大笑いしている顔一つ、正面を向いている顔一つ、これは同行二人を表しており、観音様の顔を入れて十二の顔となっています。
 ここは、加茂郷88ヶ所霊場第53番札所でもあります。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

 

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堀坂神社

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▲堀坂神社(2011.7.9取材)
 堀坂神社は老松山1047番地の山林の中に厳粛に建っています。神社の創立は承安3年(1173年)の頃、社号は天満大自在天神宮(天満宮)で、一般的には天神様をお祀りしているといわれています。ご祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)学問の神様菅原道真公の先祖神と、大国主命(おおくにぬしのみこと)縁結びの神を祀っています。社殿は本殿、弊殿(へいでん)、拝殿、社務所、神楽殿、神輿庫で神輿は2基です。社殿も再々火災にあいましたが、今の本殿は宝暦2年(1752年)堀坂村領主、常陸国土屋藩(茨城県土浦市)土屋能登守篤直が再建したものです。昭和57年に拝殿を中心に改築し、同時に神楽殿の屋根及び神輿庫も改修しました。 
 境内には荒神社、若宮神社、愛宕神社、松稲荷神社、祖霊社、外2社があります。
 歳旦祭 1月1日 祈念祭(春祭り) 3月25日 夏祓祭(夏祭り) 7月24日 秋例祭(秋祭り) 10月25日(近い日曜日) 新穀感謝祭 11月23日 除夜祭 12月31日(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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津山で一番早い夏祭り「八頭(やかみ)神社」

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▲八頭(やかみ)神社の夏祭りが2011年7月3日(日)にありました。この夏祭りは津山市の中で一番早い夏祭りだそうです。ちなみに秋祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の夏祭りが始まります。

八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われているようです。近年お御輿もあるのだそうですが、修復も中々前に進まないそうです。

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