2023 愛染寺のぼたんの花
2023年4月23日に津山市西寺町の愛染寺にぼたんの花を観に行ってきました。毎年4月中旬〜5月初旬には境内の牡丹が見頃です。 愛染寺は西寺町を東西に走る旧出雲街道に面しており、鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、森家二代藩主森長継公祈願所。鐘楼門及び仁王堂は岡山県指定重要文化財となっています。大師堂裏に赤穂義士神崎与五郎生母の墓があります。
2023年4月23日に津山市西寺町の愛染寺にぼたんの花を観に行ってきました。毎年4月中旬〜5月初旬には境内の牡丹が見頃です。 愛染寺は西寺町を東西に走る旧出雲街道に面しており、鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、森家二代藩主森長継公祈願所。鐘楼門及び仁王堂は岡山県指定重要文化財となっています。大師堂裏に赤穂義士神崎与五郎生母の墓があります。
2023年4月16日に行われた「第30回記念 津山加茂郷フルマラソン全国大会」と、昨年2022年4月17日に行われた「第29回 津山加茂郷フルマラソン全国大会」をまとめてみました。
2023年の今年の大会は、全国から集まった1,200人が、加茂町スポーツセンター総合グラウンドを出発して加茂地区や阿波地区を走り抜けました。今年は30周年の節目を記念して、備前市出身のロンドン五輪女子マラソン代表重友梨佐さんがゲストランナーで参加。沿道では大勢の方々が熱い声援を送っておられました。(第27回 津山加茂郷フルマラソン全国大会)
農薬・化学肥料は一切使わずお野菜を栽培しているこだわりのお店が集まる「オーガニックマルシェ」(Y'sfarm主催)が、津山市大田のグリーンヒルズ津山トリムの森南側多目的広場で10:00~15:00まで開かれました。子育て世代に向け、おしごと体験や子ども達が遊びの中で学び、家族の笑顔溢れる温かい空間にしたいと毎月行われているそうです。青空の下でのびのびと過ごす子ども連れの家族で賑わっていました。(2023年4月22日撮影)
2023年3月30日の千年寺の満開のさくら
長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2009年4月5日取材)(2014年4月6日取材)
徳川幕府と後水尾法皇は中国よりの渡来僧隠元禅師に帰依され宇治の地(後水尾法皇のご生母中和門院の別荘)を付与し、摂津国麻田藩主(青木氏一万石)を普請奉行として黄檗山万福寺を創建されました。
美作の国主森長継公(十八万六千五百石)も又隠元禅師に帰依し、領内に教義を具現する長継山千年禅寺の造営を発願されました。それは「泰国安民武運長久」を祈念すると同時に一種の公共事業でもありました。鎌田源太兵衛を普請奉行として農閑期に作業をし手当ては毎日支給をするように・・・又戦乱に備える要害としての機能も持たせています。
神楽尾の山城を一望に治める千年寺は鶴山城とも連繋されていたのです。千年寺一帯は西に紫竹川が流れ周囲の山を利用して進入路を大門(田邑川東向公会堂)に集結させ龍吟径を通って寺に入るようにし、他は谷の湿田を利用して侵入を防げました。
寛文八(1668)年十一月七日、長継山千年寺は創建され翌年の春、二月五日開山鉄堂和尚(美濃の出身)が入山致しました。
2023年4月8日・14日に津山市西下1100−1にある勝北総合スポーツ公園のツツジを観にやって来ました。毎年のようにツツジが咲くころ、散歩に来るのですが今年も綺麗なツツジが見えました。
綺麗にお手入れされた山々ですが、長年御世話されていた方が亡くなられてしまい、少し手が回らなそうですが、散歩道を整備してくださっている地区の人達に感謝です。
瑠璃山 本光寺案内
長徳(995)のころより薬師如来を安置して、神徳寺と称す。
寛文(1661)のはじめ津山藩二代目森長継(ながつぐ)、黄檗(おおばく)の木庵禅師の高弟鉄堂に帰依し本光寺と改名。
東一宮中村(ちゅうむら)七十五石六升六合、西一宮湯谷(ゆだに)村七十四石九斗二升四合、計百五十石を禄高として復興、森家菩提寺となる。
元禄十年(1697)、森家改易と共に一時寺領退転となるも、森家の族、播州乃井野の城主、森對馬(もりつしま)守長俊、同備中新見の城主、関備前守長治(せきびぜんのかみながはる)、同赤穂加里屋の城主、森和泉守長直(いずみのかみながなお)等の諸候より茶湯料(ちゃとうりょう)として各高十石宛寄附あり。
且、松平家津山へ入城の後、その由緒特殊なるを以って、寺格取扱最鄭重にして年々高米寄附あり しかし明治維新に及び諸候の寄付は全く廃絶 戦後の農地改革(昭和22年)、を経て今日に至る。
境内は天然の砦を成していて、両側の外堀「放生池(ほうじょういけ)」を通って境内に入る。門前に鉾立(ほこたて)石、土塀には銃眼もみられる。また、裏庭は自然をとり入れた「蓬莱(ほうらい)の庭」と呼ばれ造園は衆楽園と同じ長継である。
国史跡の津山城跡整備事業の一環として、令和元年度から津山市が行っていた二の丸東側石垣の修理工事が終了したので、2023年3月11日に現地見学会が行われました。当日はお天気も良く汗ばむくらいの中、普段は入れない所での見学会でした。この工事で一番大変だったのは、東側は狭くて大きな重機が入れないので、石垣を挟んだ見えない本丸からのクレーン操作だったそうです。
この石垣修理工事は令和元年12月~令和5年3月、工事金額は171,523,000円、解体した石のは約950個(築石および大きめの間詰石含む概数)、解体面積は242㎡(表面228㎡、背面14㎡)、取り替えた石は(築石サイズ)約70個(破損によるものと、花崗岩の取り替え)
(2021年11月28日の二の丸東側石垣修理工事の現地見学会の様子)
(上記:『津山の人物Ⅱ』平成3年10月17日津山市文化協会発行より)
植原六郎左衛門は幕末の津山藩士で海防家・水練家として名高いサムライ。古式泳法神伝流の第十世宗師。嘉永元年(1848)津山藩の水練師役となり、嘉永六年(1853)幕命により出府、同藩士はもとより多くの他藩の士にも教授した。その時代から水戸藩尊攘家の人々と交友を深め、安政四年(1857)勤王儒者藤森弘庵は槇原に会うべく来津してもいる。文久三年(1863)幕府より六郎座衛門に大砲製造の命令が下り、以後そのことにあたるも明治元年(1868)十一月、自邸内にて自決した。享年五十三。(上之町4丁目植原六郎左衛門旧宅跡看板より)
2023年3月25日「津山さくらまつり」のオープニングセレモニーが開催されました。
津山地方は前日降っていた雨は止みましたが、日中はどんよりとした曇り空となり、少し肌寒い日となりました。さくらの花も開花が進み、ソメイヨシノは満開とはいえないのですが、早咲きのさくらは満開でした。今年もオープニングを華やかに彩ったのは津山情緒保存会の皆さんによる踊りでした。
令和5年「梅まつり」が、津山市神代(こうじろ)の梅の里公園で2023年2月26日~3月26日まで開かれています。梅の花はもう少しで満開になるようですが、3月14日の園内では可愛い梅の花が沢山咲いています。香りのよいロウバイの花は既に終わっていましたが、老木にちよこっと咲く梅の花がとても可愛い感じです。しだれ梅が満開になる頃は園内は華やかでしょうね。
「梅まつり」の期間中はテント村でホルモンうどん、焼き栗、うどん、ぜんざい、ホルモンコロッケ、ホルモンカレー、杵つき餅などが販売されます。また、3月18日にはバンド演奏・19日にはカラオケのイベントもあるようです。