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取材記事内を検索ワード「サムハラ神社」で検索した結果,21件の記事が見つかりました。

ママの驚きの行動にビックリよ!

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 2018年5月14日、昨日の雨もすっかり止んで津山は晴天なり!
ママとサムハラ神社へ行こうと非番の藤井さんを伴って3人で出かけました。まずは山々が新緑で美しい事に感動。金刀比羅宮に参拝後、サムハラ神社に参拝「ここへ参った後、言うようになったのは有難うだわ~、お願いばかりじゃなく感謝せにぁなぁ~!」と教えてくださいました。そこまでは良かったのですが、強力な助っ人を得て気が大きくなったママはなんと金刀比羅宮のある山の頂上に登ると決断、「えらいわ~、しんどうわぁ~」と3人で励まし合いながら展望台まで辿り着く。その後、何を思ったかママは高い展望台にすたこら登って行きました。降りがけに私が手すりを持ったら「あんたぁ~、高所恐怖症なん?、私はなんともないわぁ~」と満面の笑みでした。

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ママと金刀比羅宮・サムハラ神社・福力荒神様へ

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 昨年のお礼と今年のみんなの幸せを願って、金刀比羅宮とサムハラ神社にお参りして来ました。サムハラ様にお参りする途中の車内でオリンピックのフィギアスケート、羽生選手の演技が始まったので「車を止めてテレビを観る?」というとママは「私がテレビを見ると負けるかもしれないから見たくない。」「えっ!ママもそう思うの?私もそう思うわ~。」と大笑い。ほどなくして金刀比羅宮に到着。車を降りて金刀比羅宮とサムハラ神社にお参りして来ました。ちなみにサムハラ神社から車へ戻ると羽生選手はみごと1位でした。ママ、大喜び!その後、気を良くして旧暦のお正月にいつもお参りする福力荒神様へお参りしてきました。(2018年2月17日撮影)

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【津山人】田中富三郎(加茂町)

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 1868年(明治元年)3月3日に美作加茂で生まれる。万年筆業界の先駆者で「田中大元堂」を経営。加茂西小学校に図書館を建設、奨学資金を贈るなど児童育成に貢献し紺綬褒章を授与される。サムハラ大神をあつく信仰していたため日清戦争と日露戦争で数々の危難をまぬがれ、サムハラ大神の霊徳を世の人々に分かつため私財でサムハラ神社を建立。神前扉材は伊勢神宮より賜った。戦時中に兵士にお守りを贈る活動をしていたが、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し無料で人々に配布していた。多くの要人にも贈呈をした。90歳までは自転車を乗り回すことも平易だった。97歳の時でも壮健であり自らを青年と称した。「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱。毎朝参拝を欠かしたことはなかった。1967年(昭和42年)12月3日逝去。享年100。サムハラ神社境内に胸像がある。宮司は養子が継いだ。(文:ウィキペディアより)

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サムハラ神社奥の宮(旧鎮座地)

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 金刀比羅神社を少し上に上った所を右折すると、元サムハラ神社が鎮座されていた祠があります。古より古祠があり、中に石があり何と書いてあるかはわからぬというが、古老はサムハラ様のご神体であると言っていた。田中富三郎氏は、昭和10年(1935年)郷里の日詰山の金刀比羅神社近くにあって荒れていたサムハラの祠を復興するも翌年には岡山県特高課から無許可神社として取り締まりを受け、自主的に撤去しました。今から約80年前です。戦後、昭和21年(1946年)にサムハラ神社奥の宮は再び田中富三郎によって再建されました。それがこの祠です。その後、日詰山の金刀比羅神社近くの現在地に遷座されました。案内してくださったのは金尾文正様です。(2017年6月22日撮影)

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日詰山頂上の大きな木(加茂町)

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加茂の金刀比羅神社やサムハラ神社奥の宮の鎮座されている日詰山のてっぺんに生えているこの木は遠くからでもよく目立っています。この日詰山頂上の木は「楠」で、樹齢不明だそうです。また、地元の方にお尋ねしたところ「展望台そのものは平成12年に、当時の金刀比羅神社の総代長の発案でできたものであり、目的は展望の良さを皆に知って貰いたかったからと聞いている。戦国時代には、あそこには百百城(別名;落合城。秀吉側)があった。そして、毛利勢の髙山城(矢筈城)や川下の津山方面、倉見川方向の谷筋を一望することが出来る最良の場所であったであろう。」とのことでした。(2017年11月23日撮影)

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日詰山の山中に生えていた大きなイヌシデ(ソロノキ)

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 この木何の木、気になる木です。日詰山の金刀比羅神社の近くにある元サムハラ神社旧奥の宮の上にあった木です。これは何の木か深く印象に残っているので撮影しました。(撮影2017年6月22日)
 【新事実発覚!】なんと残念なことに2017年12月13日に加茂町にお住いの金尾さんが調べに行ってくださったときは既に倒れていたそうです。でも、せっかくなので記しておきます。樹種は「イヌシデ(ソロノキ)」というそうです。

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サムハラ神社(大阪)

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祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神であり、サムハラは三神の総称である。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。 1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。戦後ほこらは再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がいる。(文:ウィキペディアより抜粋)(2017年8月11日撮影)

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ママと7.22津山公演の成功祈願にサムハラ神社へ

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2017年7月12日、毎日のように雨が降る今日この頃ですが、午前中は雨も小降りなので、イナママとお花の取材(あやべ花野みち)を兼ねて出かけてきました。ほんの少しのドライブですが、ママにとっては思いがけない出会いがあり、また、偶然にも、サムハラ神社への参拝も出来て良きドライブとなりました。ちなみに午後からはどしゃ降りの雨でした。

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加茂インフォーメーションセンター

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加茂地域の観光案内、特産品・農産物販売を行っているところです。津山瓦版も加茂の取材の時はお世話になっています。津山市加茂町は、軒戸神社の大イチョウ、サムハラ神社、金比羅山など多くの歴史が眠っているところです。多くたたら遺跡が今も残っており、7世紀頃から製鉄作業が盛んに行われ、人々はその頃から豊富な水の恩恵を受けていたことが知られています。(2015年10月30日撮影)

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サムハラ神社(加茂町中原)

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 織田信長の安土城が出来た年である天正9年(1581年)今の津山市加茂町中原にある日詰山に築かれた落合城に羽柴秀吉の家臣木下備中守宮部善祥が駐留していました。
落合城 http://www.hb.pei.jp/shiro/mimasaka/ochiai-jyo/
落合城にサムハラと神字で書かれた石碑がありました。
その石碑を拝み、その神字を紙などに写して身に付けた武者は矢や鉄砲の弾が当たらないということで熱心に拝まれており、さらには災厄除けとして拝まれていました。
 
その後本能寺の変で織田信長は世を去り、羽柴秀吉は豊臣秀吉となり太閤となり、さらには関ヶ原の戦いで徳川の天下となり江戸時代が1868年まで続きます。その300年間もサムハラの護符は地元の人々に信奉されていました。

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