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阿波川沿いの六地蔵尊(阿波)

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 六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の衆生を済度するという思想から、六尊の立像を半肉彫したもので六体それぞれ異なる特物印想をあらわしており、平安時代から六地蔵信仰も始まったといわれている。因みに仏像図絵による六地蔵は次のとおりである。(『日本石仏辞典』による)
地持地蔵(護讃地蔵)両手で念珠を持つ
陀羅尼地蔵(弁尼地蔵)右手施無畏印・左手引摂印
宝性地蔵(破勝地蔵)合掌
鶏亀地蔵(延命地蔵)右手錫杖・左手如意珠
法性地蔵(木休息地蔵)両手で柄香炉を持つ
法印地蔵(讃竜地蔵)両手で幢幡を持つ
 大高下ふるさと村は、今も茅葺きの民家の多い農村であるが、豪雨が続くと阿波川が氾濫し、水害を被ることしばしばであった。改修した川土手の内側に並ぶ地蔵尊の列は、出水に洗われて乱れた共同墓地などから集めてきたもので、水の平和を見守る地蔵菩薩のお姿です。
 このほか、阿波村は高福寺前の首無し六地蔵、尾所の六地蔵旧道に残る道しるべ兼用の地蔵など、村の民族史にかかわる石仏が多い。阿波村(文:立札より)

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道しるべ・材木供養塔・一畑薬師(久米川南)

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・道しるべ 西側の小さい石碑 出雲街道の表示
・材木供養塔 中央の碑
・一畑薬師 東側の碑
「昔、目の病が流行り、早く治るようにと願い、人畑薬師様に参拝した。
 今後この様な病気が流行らないようお願いをし、また薬師如来を勧請(神仏の分霊を請じ迎えて祀ること)し、碑を建てた。地区では毎年7月に地域の人が集まって、円光寺さんに拝んでもらい、いつのころか始まったかは不明。

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出雲街道を歩こう会「坪井宿」

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 2020年11月8日特別企画(第2弾)「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第6区)」に参加してきました。久米ふれあい学習館をバスで出発、岩屋城麓に着き簡単な説明を受け徒歩出発しました。約4時間ほどかけて無事久米ふれあい学習館に戻ってきました。
 出雲街道とは、播磨の国 姫路を発し、出雲の国 松江に至る約215kmの古道を言う。また、終点は松江を過ぎ、出雲大社とも言われている。
 今回は「つながる出雲街道(東部Ⅱ)」を歩こう会より、特別企画 第2弾として、大井西の会の応援を得て、共催で開催されました。津山市・中北上~同・宮尾間7.8km(実質9.0km)

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出雲街道を歩こう会「勝間田宿」

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2020年9月27日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
 出雲街道とは、播磨の国 姫路を発し、出雲の国 松江に至る約215kmの古道を言う。また、終点は松江を過ぎ、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国平定をしたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和狸に国譲りが行われ、朝廷より優遇されて、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。街道は人、物、文化を運ぶ役を果たし、その重要性は五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵し、同等の街道として発展しました。その後の街道も時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存し得いる道で合理性が高く、最も古い道を採用しています。今回は「出雲街道(東部Ⅱ)」よりの特別企画第一弾として、勝間田宿の会の主催で、3区を歩こう会を開催いたします。(文:案内資料より)

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妙見宮道(宮部下)

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 久米町を走る出雲街道には西の端に追分の道しるべと、東の端には中須賀の石燈籠がある。此の出雲街道は、今の久米町の幹線道路とも言うべき道路であるが、此の道路から分れて、宮部川に沿う道を遡って見ることとする。
 大字中北下を過ぎ、宮部下地内に入ると、中正小学校のすぐ下流、「青木橋」のたもとに「妙見宮道」という道しるべがある。
 妙見宮というのは標高560mの桧ヶ仙の頂上に祀られている北辰妙見宮のことで、桧ヶ仙は、人が宮部の谷を遡る時、右側に見える山並のうち、一番高くよく目につく山で、此の山が久米町の北限かとも思われるけれども、此の山は實は苫田郡鏡野町の地内にある山であり、お宮なのである。

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日本一の石の鳥居と蒜山 郷原宿探訪(真庭市)

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郷原漆器のふるさと 郷原(ごうばら)宿(岡山県指定重要無形民俗文化財)
  郷原宿(真庭市蒜山西茅部)は、美作・伯耆両国を結び、大山参詣や牛馬市へ向かう人々が盛んに行き交った「大山みち」の宿場町で、戦前まで盛んに作られていた「郷原漆器」の産地集落として広く知られています。
 郷原漆器は主に栗の木を使い、輪切りにした生木をろくろで挽く独特な製法で椀や皿を作る実用的な製品です。その始まりは明徳4年(1393)など諸説がありますが、江戸時代には漆器の産地として広く知られ、地元勝山藩でも特産品として着目されています。
 技術改善や購買組合の設立で、大正時代末に生産量は最高に達しましたが、戦争による物資統制などで衰退、昭和20年(1945)の終戦ののち、まもなく伝統的な漆器生産は一度終焉を迎えました。
 そうしたなか、昭和時代末から始まった漆器復興の取り組みは、平成4年(1992)の「郷原漆器生産振興会」設立、岡山県からの郷土伝統的工芸品への指定、同8年の拠点施設「郷原漆器の館」(蒜山上福田)建設につながり、同18年には生産振興会の保持する製作技術が民俗技術として県下で初めて重要無形民俗文化財の指定を受けるなど高く評価され、蒜山地域に新たな活力を生み、さまざまな可能性の広がりを見せつつあります。
真庭市教育委員会 (文:現地看板より)(2020年8月22日撮影)(大山みちを歩こう会第6区

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中須賀の石燈籠三基は常夜燈

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 久米町を走る出雲街道の東の端は、大字宮尾、字中須賀で、ここに三基の石燈籠がある。昭和44年、此の三基を一括にして久米町指定として保護されている。此の中須賀の地は、宮尾・領家・久米川南・中北下と西に続く穀倉築をひかえ、高瀬舟の舟着き場として、明治になっても茶屋があり、飲食店もあって、にぎわったところである。石燈籠は三基とも常夜燈で、昭和10年代まで中須賀の人は順番で此の石燈籠に点燈してきたもので、道しるべとは多少意味がちがうにしても、吉井川を登り降りする高瀬舟の目じるしとなっただろうことはまちがいあるまい。

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追分の道しるべ

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 久米町をほゞ東西に走る出雲街道の西の端、大字坪井上の追分(正確には真庭郡落合町の地内である=今は真庭市)に大きな六角柱の道しるべがある。昭和47年6月16日、落合町の指定になって保護されている。今では土に埋もってわからないが、礎石もあるそうである。
 此の道しるべをたてることを主唱し、骨を折った人達は、全員とまではゆかない迄も、殆ど大部分の人がその姓名からして久米町の人達であると言ってもよいのではあるまいか。
 六角柱の各面に目標の神様と、その神様までの里程が刻まれていることは図の通りである。文久三(1863)年の建立である。(文:『久米町誌下巻』より抜粋)(2019年6月29日撮影)

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左:出雲、右:京大阪道。坪井町東角に道しるべ

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 現在、津山郷土博物館の前に、「左・出雲」、「右・京大阪、左・一ノ宮」、右・出雲」、「明治16年8月建之、坪井町」と刻まれたあ石碑が建てられている。この石碑の文字はもう少し続くが、埋められているためこれ以上判読することはできない。この道しるべについて、今井三郎さん(故人)は『津山坪井町の歩み』の中で次のように取り上げている。
「坪井町一番地の東南の角、道路に沿って大きな津山石製の道標があった。いまは撤去され、津山郷土博物館に保管してある。高さ五尺(約1.5㍍)、幅九寸(約27㌢)の四角柱形の立派なもの。文字は赤松寸雲先生。時代のずれと舗装道路改修で廃棄された。文字は"右・京大阪、左・一ノ宮""右・出雲街道""明治16年8月建之、坪井町、志茂意平、田口半治郎、片桐秀吉"とある」

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大山みちを歩こう会(第6区)

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大山みちを歩こう会(第6区)立石~延助間(9.7㎞ 実質距離 10.5㎞)
 令和元年5月19日(日)、主催:出雲街道 勝山宿の会
■大山みちとは
現在の真庭市久世を中心として、東西には五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵する、重要な出雲街道(姫路~松江)があります。出雲街道は雲州と大和朝廷や京大阪を結ぶ、幹線となっていました。また南北には、古くより「大山みち」と呼ばれた古道があり、備中の国分寺跡を発し、足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~鰻出~鹿出~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、御机~鍵掛峠~伯耆大山寺に通ずる道があります。陰陽を結ぶ代表的な路線であり、人、物、牛馬、文化を運び、また、農民一揆の道でもあり、大山詣での信仰の道でもありました。現在ではその殆どは、一般道路に併合吸収されて昔の姿は止めていません。

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