大山みちを歩こう会(第6区)

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大山みちを歩こう会(第6区)立石~延助間(9.7㎞ 実質距離 10.5㎞)
 令和元年5月19日(日)、主催:出雲街道 勝山宿の会
■大山みちとは
現在の真庭市久世を中心として、東西には五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵する、重要な出雲街道(姫路~松江)があります。出雲街道は雲州と大和朝廷や京大阪を結ぶ、幹線となっていました。また南北には、古くより「大山みち」と呼ばれた古道があり、備中の国分寺跡を発し、足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~鰻出~鹿出~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、御机~鍵掛峠~伯耆大山寺に通ずる道があります。陰陽を結ぶ代表的な路線であり、人、物、牛馬、文化を運び、また、農民一揆の道でもあり、大山詣での信仰の道でもありました。現在ではその殆どは、一般道路に併合吸収されて昔の姿は止めていません。

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美味しいお弁当をいただきました。

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■道しるべ石(立石)
 立石の四つ角にある、立石コミニティハウスの前庭に、二つの道しるべがあります。
1.「道は映す村の姿」
 施行 勝山 角南組 とあり昭和30年に、湯原ダム補償工事として、立石~野田間の記念として、寄贈建立されました。
2.「道しるべ石」
 文字は読み取れませんが「みちも備ちう(中)」「このわ いせ(伊勢)道」

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曇り空だったので比較的楽に歩けました。

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中山乢・中山天王宮       ドローンで撮影         地神・牛馬祠

■中山乢・中山天王宮
 立石の四つ角を県道より右へ分岐して、中山道の急坂を400m程登ると、中山乢の頂上に至り、その少し先へ「中山天王様」の小さな鳥居があり、その奥へ「天王様」の祠が鎮座している。中山集落の氏神様であり、歯の神様と伝えられています。

■地神・牛馬祠 
 中山乢より坂を下り、中山集落を抜け、飯山城跡の登坂道を右に見て進むと、藤森の集落が見えてきます。地蔵堂の裏手に「地神様と牛馬供養塚」が並んで建っています。

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地蔵堂                     藤森集落

■地蔵堂
 藤森集落の入り口の四つ角に、古い地蔵堂があります。
■藤森集落
 藤森集落は、明治以前は勝山藩の飛地領であり、小童谷組(小童谷 黒杭 藤森 粟谷 大杉分 種 桑瀬分等)14ヶ村が属していた。
弘化4年(1847)勝山藩では小童谷村の日尾山に藩直営の鉄山経営を計画し、同年9月より事業が開始された。
松本清張箸 長編小説『西海道談綺』によれば、1巻の最初に勝山が登場し、その中の文献として小童谷銅山が紹介され「元慶元年(877)美作国銅を進む・・・」とあり、文中の比智奈井山が真島郡小童谷の銅山であると記載されている。

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建部神社                            三界萬霊塚

■建部神社
 藤森 黒杭 小童谷(小童谷は湯原ダムで水没し地名のみ残っている)の氏神
祭神(日本武尊 素盞鳴尊 大山祗神 速秋津彦命 速秋津姫命 外)
美作国十二社記により「建部郷一宮藤森に在り大宮大明神と言う」とあり、建部郷絵加唯一の神社で藤森村 黒杭村 小童谷村 粟谷村 大杉分 桑瀬分 下見村7ヵ村の大産土神であった。
明治44年に黒杭の「黒杭神社」小童谷の「佐山神社」を合祀した。
■秋葉神社
 藤森村は古くから、大山往来の宿場のため、道の両側に家の軒が連なり、密集していたため、度々の火事が発生し、全焼の被害を被むる事も多かった。
京都の防火神「秋葉宮」を、藤森の町裏の高台に勧請した。古い棟札によると、最初の建立は明和8年(1722)とされている。
■三界萬霊塚
 藤森の宿場の中に、三界萬霊塚が祀られている。

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■藤森 道しるべ
 宿の西外れに「道しるべ(自然石)」と、大山みち標識(木製)が建っている。道しるべには 右は くら吉 左は だいせん 施主 村中世話人 横野村 治助 文化10年(1814)10月と読める。

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■鳥居峠・大山神門・大山みち道しるべ(木製)
 藤森より奥出を通って、鳥居峠に至る道は藤森川に沿って、緩やかな登りで途中には何も無く歩くのみです。奥出は地図には地名が残っていますが、住人は居ないように静かで、耕作放棄の田畑が目に入ります。
高速自動車道に接触して、一寸急坂を登れば鳥居峠に到着です。
古老の話によれば、昔は鳥居が有り、大正10年頃までは有ったそうだが、現在は跡形も無い。大山信仰を示す神門の有ったところで、ここは南門に当たる。北の鳥居(淀江町)のほか東の鳥居(関金町)西の鳥居(黒坂町)との説がある。
神門の高さは13m 径は60cmの石柱2本で、右に「大山大権現遙拝処」左に「奉再造建石門表」と刻んである。神門は文政4年(1821)に再建されたと、伝承されている。
道路反対側に木製の「大山みち」の標識がある。

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                        弘法大師座像

■弘法大師座像
 鳥居峠から下り坂となり、下郷原の手前の道路法面に「大師座像」がある。
弘法大師像は、座像で真言宗の法具の三鈷杵を、右手に持っている。文久3年(1864)9月 施主 郷原 因幡屋武ェ門と刻まれている。

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途中で出逢った牛が驚いてじっとこちらを見つめていました。

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                        大山みち道しるべ(木製) 下郷原

■大山みち道しるべ(木製) 下郷原
 下郷原の集落に、木製の「大山みち」の標識がある。

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地神                              愛宕宮(郷原宿)

■愛宕宮(郷原宿)
 郷原集落に入ってすぐ、防火の神様愛宕宮の祠が祀ってある。

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郷原集落を歩く

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牛馬繁石                    石風呂

■牛馬繁石・石風呂
 宿の中央付近の谷田家の前には、往来する牛馬の休憩のため、繁石が残っている。その先には、石風呂石(馬の裏返しの字が刻んである)が据えてある。

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■大鳥居 (茅部神社)
 集落の西には茅部神社の、石の大鳥居が建つ、日本一の大きさを誇っています。
高さは13m 脚回りは3.3mあり、文久3年(1863)の建立である。
今回は時間及び歩行距離の関係で、お祀りはしませんが、鳥居より西へ約1kmで神社へ到着します。また途中には郷原漆器の工房もあり、見学や講人も出来ます。
祭神は、天照大神 外22神を祀ってあります。当社の創立は詳らかでないが、延宝5年(1677)初めて本社を建立した。明治維新に茅部神社と改称された。

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■観音堂(郷原)
 鳥居の門前より、急な上り坂の石段があり、観音堂が鎮座している。

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六地蔵(郷原)                         舟形地蔵(延助)

■六地蔵(郷原)
 観音堂より上手の墓地の中に、六体地蔵と三界萬霊塚がある。
■舟形地蔵(延助)
 米子自動車道の手前に、舟形地蔵立像(道しるべ)がある。
右 大山道 左 新庄道 天明6年(1787)5月 施主 山形屋 米田屋とある。

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■大山みち道しるべ(木製)
 延助集落の手前の分岐点に、木製の「大山みち」の標識がある。

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■念仏道しるべ石
 延助宿の中の町角に、念仏道しるべがあります。高さ1.9m 30cm角
右 いせ道 左 くらよし道 明和5年(1769)子年 施主 法華順治良 柴田太兵衛

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■釈迦堂
 町中に釈迦堂があります。

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大山みち                    道の駅・風の家無事到着

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