妙見宮道(宮部下)

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 久米町を走る出雲街道には西の端に追分の道しるべと、東の端には中須賀の石燈籠がある。此の出雲街道は、今の久米町の幹線道路とも言うべき道路であるが、此の道路から分れて、宮部川に沿う道を遡って見ることとする。
 大字中北下を過ぎ、宮部下地内に入ると、中正小学校のすぐ下流、「青木橋」のたもとに「妙見宮道」という道しるべがある。
 妙見宮というのは標高560mの桧ヶ仙の頂上に祀られている北辰妙見宮のことで、桧ヶ仙は、人が宮部の谷を遡る時、右側に見える山並のうち、一番高くよく目につく山で、此の山が久米町の北限かとも思われるけれども、此の山は實は苫田郡鏡野町の地内にある山であり、お宮なのである。

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「苫田郡誌」によれば、往時、妙見菩薩を勧請したが、維新当時神仏混淆を禁ぜられたので、仏体は郷村(鏡野町)の福泉寺境内にうつした。山頂は眺望が絶佳で、晴天には西北の山々をへだてて伯州の大山が見え、他の三面は作州諸郡の連峰・平野を指願することが出来る。山中には行者谷・天狗岩の奇勝があり、登山道は郷村(鏡野町)より、中谷(鏡野町)より、久米郡大井東村大字宮部(久米町)よりするもの三道がある。と書かれている。
 筆者は宮部に育ったもので、小学校時代(大正の初年)の記憶によれば、宮部の道から桧ヶ仙への登山口は数ヶ所に分かれていて、普段でも妙見様詣りの人を見かけたし、旧暦11月8日のお祭り日にはどの登山口からもおびただしい人が登ってゆき、又降りて来たものであり、桧ヶ仙の山頂の境内の雑踏はすさまじいものであった。

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 青木橋のたもとの道しるべは、此の桧ヶ仙の妙見様への道しるべであり、桑下村、公文中村・公文下村・一色村・南方中村から大垪和東村・打穴西下村の遠方の人迄協力して建立したものである。

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 青木橋の道標から遡り、蔭部落を大部分通り抜けたあたりの道の左側、堀切橋のたもとに、四角柱の道しるべがある。これも桧ヶ仙の妙見様への道しるべで、堀切橋を南から渡り、宮部の街道を直角に横切る道が妙見道であると教えているのである。

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 堀切橋北詰の道標から、宮部の街道を宮部川に沿って遡ると約100mばかりの所に右に分岐する道があって、その分岐点にも妙見様への道しるべがある。

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 矢張り四角柱で、河原寺部落のはずれにはなるが、前記堀切橋北詰めの標柱との間はきれいな田圃で見通しもよくなぜこんなに接近して道しるべをたてたものかと不思議に思うのであるが古老の語るところによると、今でこそ川の北側に沿って一直線に道路も出来、きれいな田圃になっているけれども昔は川の北側は一面の竹藪で、道も何もあったものではなかったそうで、そうした状況下において此の道標がたてられたとするならば、成程と思われる。(文:『久米町誌下巻』より抜粋)