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取材記事内を検索ワード「霊場」で検索した結果,247件の記事が見つかりました。

鏡野八景 尊光院 圓通寺

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 高野山真言宗準別格本山尊光院圓通寺は、元総持院と号した。弘法大師帰朝後この美作の地に密教を広めるため、当山を建立したと伝えられる。
古来より西の高野また二ノ宮高野神社の奥の院と称せられたが、永禄年中福田玄蕃盛昌(毛利の武将)桝形城を築き、寺を外衛として軍士の大半を住居させた。よって城陥るに及び寺も全焼す。
時の院主成瑜法印焼趾に草庵をいとなみ法灯を守る。現在別所と称する土地で、広大な敷地跡があり、昭和二十二年「金銅仏」が掘り出された。
三十八世覚清上人檀越を説き、現在地へ再建された。
 津山森氏入封の後、当寺へ対する帰依浅からず寺領百石を寄進されている。四十七世秀範上人の時、再度焼失したが再建され、本堂の棟木に「寛延四年(一七五一)秀範七十二才これを建つ」の文字が見られ、現在の建物は二百四十数年の歴史を有す。
 近世の高僧として知られる竺道契・新弘栄師(両師に付いては岡山県大百科辞典参照)が住した。寺宝・文化財は数十点有する。(文:美作 高野山真言宗八十八ヶ所霊場HPより抜粋)(2016年12月25日撮影)

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江部山 善福寺(大字里公文)旧久米町

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 作陽誌によると、昔、此のあたりに住んでいた肩野部氏の家に強盗が入り、肩野部氏は強盗により深手をおい再起不能となった。そこで、肩野部氏は妻に対して、「自分は命をとりとめることはとうてい出来ない。おまへは未だ歳も若いのだから、自分の死後は、やもめ暮らしをすることなく新しく夫を持って幸福にくらしてくれ。」と申し渡した。之に対して妻の曰く、「あなたが此の様な災難に遭ったのは天命であり、私が若くして夫に別れるのも亦(また)天命です。今後私のとるべき道は只一つ、天命に随(したが)うことで、それ以外に道はありません」と、早速に自分で髪を斬って再婚の意志の無いことを示した。そして夫の死後は尼となり、居宅を捨てて寺とした。善福寺がこれである。(取材2014年9月18日)

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中部第七十二番霊場(津山市種)

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津山市種にある中部第七十二番霊場(2016年11月13日取材)
岡山県道449号押淵皿線県沿いに、ひっそり佇んでいるお社の横には燈籠があり、道行く人を見守ってくださっています。また、綺麗な祠を見ると地域の人達が大切にお祀りされている様子が解ります。

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東松原 大師堂(津山市林田)

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四国58番 東松原 大師堂(2014年6月29日撮影)
四国霊場の『栴檀山香園寺』を勧請しており、子安大師として地元の方々の信仰を集めています。先代が亡くなられ詳しい事はわかりませんでしたが、今でもご近所におられる方がきちんとお祀りされていて、掃除も行き届いていた大師堂です。

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中部 第四十四番霊場(桑下)旧久米町

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 久米町史によれば観世音菩薩とあり、中の地蔵には、神實山 願主 信州竹馬群今井村・・・と彫ってあります。この霊場は、慈恩寺の案内石柱があるとおり、慈恩寺へ行く途中の急なカーブの所に立っている中部 第四十四番霊場です。「昔は20人~30人の方がお参りに来られて賑やかでしたが、今では少なくなって10人程の方がお見えです。」と慈恩寺さんから教えていただきました。(2014年9月18日取材)

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幻住寺(げんじゅうじ)のサツキ(美咲町)

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2016年6月4日に美咲町にある幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番に行って来ました。
ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。(昨年の様子)

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頼久寺(らいきゅうじ)庭園 (高梁市)

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頼久寺由来
天柱山安国頼久禅寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国より帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。後に永正年間(1504年)松山城主上野頼久公が大檀越となり寺観を一新し大永元年逝去したので、頼久の二字を加えて安国頼久寺と寺号を改称した。 尚、当山御本尊は、聖観世音菩薩で備中西国第五番の札所であり、昭和60年3月に開創された瀬戸内観音霊場第十三番の札所である。(2016年4月23日取材)

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油地蔵(勝央町 壽福山 東光寺)

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油地蔵(岡山県指定重要文化財)
 字 石佛の土中より堀り出されたもので旧県道沿いに安座していたものを大正14年東光寺山門前に移したもの。花崗岩の上部を舟形におとし佛像を刻んでいる。右手には錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵の相で重厚の感じの像容である。
 左に「庚暦二庚申二月二十九日亥午後」(1380年)右脇に願主円佛敬白の銘がある。油をかけると如何なる難病にも御利益があると云われその為、油地蔵と呼ばれている。
 県内外からの参拝者も多い。昭和34年1月13日、県の重要文化財として指定される。

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福本観音堂と地神様(坪井上)

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お大師めぐり(久米・苫田八十八ヶ所霊場)弘法大師信仰で四国八十八ヶ所霊場を巡拝するには余の規模が大きすぎるので、地方にそれぞれ八十八ヶ所をつくり巡拝するもので、福本観音堂は八十番札所となっている。本尊は観也音菩薩である。
参考 安清は阿弥陀如来が本尊。八十一番札所、木原は阿弥陀如来で七十九番札所(文:北恵兆さん)

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