福本観音堂と地神様(坪井上)

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お大師めぐり(久米・苫田八十八ヶ所霊場)弘法大師信仰で四国八十八ヶ所霊場を巡拝するには余の規模が大きすぎるので、地方にそれぞれ八十八ヶ所をつくり巡拝するもので、福本観音堂は八十番札所となっている。本尊は観也音菩薩である。
参考 安清は阿弥陀如来が本尊。八十一番札所、木原は阿弥陀如来で七十九番札所(文:北恵兆さん)

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観音堂と公会堂の遠景

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お賽銭はこの格子戸の中へ

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観音堂


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地神様
自然石に地神と刻んだ碑が公会堂の前に建てられてる。碑には明治5年申年8月氏子中と側面にある。これは建立した年である。昭和15年頃までは旧2月社日にお祭りがされていた(記録には午後2時より酒8升を供えて祭典が催されていた)地の神、土の神として大切に祭られていた。

(文:北恵兆さん)(2016年2月6日撮影)


福本の観音堂 大字坪井上
 建物は瓦葺入母屋作りで正面4m91㎝奥行4m85㎝、それに1m80㎝に4m50㎝の物置がついている。といった大きさである。現在の建物は昭和13年の建築で新しいものであるけれ共内部に使われている用材にはその前の観音堂の用材をそのまま使ってあるらしい部分もあり、幾度か改築されことが物語られているようである。
 此の観音堂にはその名の示すように十一面観音の座像が安置されており此の座像は木像で寄木であるが保存状態が良く仏体も台座もしゃんとしており、彩色に自然の時代がついて荘重感を更に加えている。
 此の十一面観音座像には何も書かれておらず又、何の記録もなく、語り伝えられている事も聞かないので全然わからないが此の仏像は、観音堂や堂内にある什物と共に在り来ったものであろうから、それらのものの年号を見ることに依って此の仏像の安置されたおよその年代をおぼろげ乍ら知ることが出来るかもしれない。
 此の観音堂は多数の人達の寄付によって成立しているもので、その寄付者の名前を書き列ねた板の芳名録がある。その芳名録の年号が安永5年と読みとることが出来た。また白木の位牌形のものに「安永9年5月18日」又「寛永6年」というのがあり、「寛永8年」がある。「三界萬靈塔」と書かれた少し大型の位牌形木製品には「天明五乙巳歳正月三十日爲徳立之」とあっていづれも安永5年以後のものである。(久米町史より)