取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「春」で検索した結果,382件の記事が見つかりました。

田邊城址(津山市中北上と宮部下)

tanabe19.jpg

田邊城について(2015年5月5日取材)
 田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
 山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
 所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
 十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)

田邊城址(津山市中北上と宮部下)の続きを読む

矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)

yahazu12.jpg
矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)(2011年~2015年10月31日取材)
 矢筈城(高山城)は、津山市加茂町山下から知和にまたがる標高756メートルの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主の草苅衡継が、天文元年(1532)から翌2年(1533)にかけて築いた山城で、東西1,600メートル・南北500メートルの壮大な規模を誇る岡山県内で最大の中世山城です。

矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)の続きを読む

もえぎの里「あば交流館」です。

kouryukan2012-11-12-1.jpg

阿波といえば、岡山県北にあり、深山渓谷をはじめ落合渓谷、布滝などダイナミックで見ごたえのある観光スポットがあります。春にはコブシの花をはじめ、ウド、ワラビ、ゼンマイに葉ワサビと言った山菜もいっせいに芽吹きます。また、夏はホタルが飛びかい、秋にはきのこと紅葉。冬には朝、目覚めると一面の雪景色になるところです。そして、乳液いらずのお肌つるつるあば温泉でゆっくりとおくつろぎください。(2015年10月30日取材)

もえぎの里「あば交流館」です。の続きを読む

河原大イチョウ(勝央町 河原地区)

10-19-2.jpg
河原大イチョウ(2015年10月19日・11月11日)
 本樹は樹高30M、元から二幹に分岐し、すぐまた六枝に分岐している。根元の周囲9.1M、目通り周囲9.7枝張り南北22M、東西17.4Mで推定樹齢600年、県下屈指の巨木である。本樹は雄で銀杏はならない。樹形は二枝が合着したもの、或いは最初の幹が失われて、その株から新枝が再生して今日の姿に成長したものと考えられ、イチョウ本来の姿とは梢趣を異にしている。
昔から銘木として知られ、元禄2年(1689)「川原村名物」の記事にも載っている。傍らに燈籠がたっていて嘉永元年(1848)在銘であるところを見ると、この地は天神様の境内地で昔から神木として崇められていたものであろう。
 ここに集落環境整備事業によりイチョウの木の周辺を地区のシンボルとして又、憩いの広場として整備し、その地にある歴史を大切にした景観づくりを図るものである。
・昭和47年6月15日 町指定天然記念物
・平成4年3月 集落環境整備事業により銀杏広場として整備
  平成4年 梢に春風吹く頃
  勝央町 河原地区           (文:説明板より)

河原大イチョウ(勝央町 河原地区)の続きを読む

真福寺(勝間田)の大銀杏

katsumada13.jpg

岡山県勝田郡勝央町勝間田647 真福寺

弘仁五年、僧空海開基と伝え、美作の国間山に、天長年間、仁海常上人がこれを開山した。天文年間戦火により消失す。
その後、勝北町平村に再建せしも再び火災に遭い、天正十六年(一五八八)勝間田の住人(福田玄蕃勝昌の子孫)福田左兵衛門氏が勝間田西方の田地の寄進あり、 正保年間、快養和尚が再建、天明二年(一七八二)自盈和尚本堂を再建、嵯峨大覚寺末寺となる。
戦後昭和二十四年高野山真言宗となり記念事業とし当山第二十一世全戒和尚により鐘楼堂を建立現在に至る。(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより抜粋)2014年11月16日取材

真福寺(勝間田)の大銀杏の続きを読む

天石門別(あめのいわとわけ)神社(美作)

12.jpg

 美作三宮といわれる天石門別(あめのいわとわけ)神社は、社殿の後に滝があることから滝宮とも呼ば れています。創建は不詳ですが、社伝によると吉備津彦命が古代吉備の国平定のため西下した際、当社の祭神天手力男命(あめのたじかろうのみこと)の助けで 平定できたお礼として、当地を選び、自ら祭主となって鎮斎されたと伝えられています。社地には、籠殿、拝殿、本殿が整っているうえに、古代祭祀遺跡「盤 境」(いわくら)といわれる石積の塚も残っています。環境庁・岡山県(看板より)

天石門別(あめのいわとわけ)神社(美作)の続きを読む

300年の歴史を誇る「多胡本家酒造場」

6.jpg

津山市楢」で三百年の伝統を築いてきたのが「多胡本家酒造場」です。(取材2015年9月15日)
 かつて楢村は江戸時代に陸と河川交通の要衝の地として川湊が発達し、吉井川流域の物資を運搬していた高瀬舟の終着点で、米の集散地でした。往時の面影は津山百景に選ばれた常夜灯と、その下の川面に係留された高瀬舟のある風景からしのぶことができます。
 多胡本家酒造場の「加茂五葉」は全国でも屈指の好適米「山田錦」と岡山県産「日本晴」を主な原料米とし、中国山地の秀峰、那岐山麓から流れる加茂川の伏流水を汲み上げ、それに熟練の名杜氏や蔵人たちの技とこころが加味された銘品です。(文:多胡本家酒造場HPより一部抜粋)

300年の歴史を誇る「多胡本家酒造場」の続きを読む

『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~

my31.jpg

『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~がM&Y(棟方志功・柳井道弘記念館)で開催されています。2015年9月4日展示に先立ち、中島美樹夫氏がM&Yに来られたところを取材。その後、用事で津山に来られていた鈴木東京国立博物館館長も中島氏を訪ねてM&Yに来られ楽しそうにお話をされていました。

〇開催期間2015年9月5日(土)~2015年12月27日(日)
第1期:『家族の思い出』9月5日(土)~10月4日(日)
第2期:『少年の夢』10月10日(土)~11月15日(日)
第3期:『デザイナーの記憶』11月21日(土)~12月27日(日)
※中島美樹夫ギャラリートーク:12月5日(土)12:30~14:00
『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~の続きを読む

『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~

s-1-2.キャロルR360.jpg

『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~
〇開催期間2015年9月5日(土)~2015年12月27日(日)
第1期:『家族の思い出』9月5日(土)~10月4日(日)
第2期:『少年の夢』10月10日(土)~11月15日(日)
第3期:『デザイナーの記憶』11月21日(土)~12月27日(日)
※中島美樹夫ギャラリートーク:12月5日(土)12:30~14:00
〇入館料:500円(2F棟方志功常設展もご覧になれます。)
『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~の続きを読む

真木山 長福寺(美作市真神)

06 (2).jpg

長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
 当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)

真木山 長福寺(美作市真神)の続きを読む