2016年2月のイナバ化粧品店
2016年2月28日(日)イナバ化粧品店に伺いました。あいにくとママにはお目にかかれませんでしたが、店員の皆さんとワイワイガヤガヤお話ししてきました。津山ではもうすぐ「お雛まつり」や4月になると津山城(鶴山公園)である「津山さくらまつり」、また、「旧津山扇形機関車庫」・展示施設「津山まなびの鉄道館」が4月2日から営業開始となり賑やかになります。是非、この機会に津山にお出で下さいね。(上の写真はイナバ化粧品店さんから頂きました。)
2016年2月28日(日)イナバ化粧品店に伺いました。あいにくとママにはお目にかかれませんでしたが、店員の皆さんとワイワイガヤガヤお話ししてきました。津山ではもうすぐ「お雛まつり」や4月になると津山城(鶴山公園)である「津山さくらまつり」、また、「旧津山扇形機関車庫」・展示施設「津山まなびの鉄道館」が4月2日から営業開始となり賑やかになります。是非、この機会に津山にお出で下さいね。(上の写真はイナバ化粧品店さんから頂きました。)
2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、宗永寺(本堂内・森家墓所)を拝見してきました。
宗永寺の由緒:山号は法源山、臨済宗東海派。長継が生母・渓花院の供養のため創建。家臣の市村重政・各務元正を奉行として堂宇を建立させ、明暦2年(1656)落成。方丈・書院・庫裏・廊下・中門・外門など、いずれも美麗を極めたという。渓花院の住持・正伝を開祖とし、渓花院の法名にちなんで宗永寺と命名、寺領として150石を寄進。森家の改易後は徐々に衰退し、天保年間に火災に遭うなどして、伽羅は昔の規模をとどめていないが、幕末に田中諦堂が住職となり、堂宇の修繕に努めた。明治17年(1884)の時点で境内は東西19間(約34m)・南北49間(約88m)あり、現状よりも北に大きく広がっていた。現在の本堂はかつて観音堂で、33体の観音像のほか、渓花院をはじめとする森家一門の位牌を安置する。(矢吹正則『津山誌』ほか参照)(文:津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐりより)
当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)
津山城(鶴山公園)は、春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れます。桜の季節は、ぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。 また、新緑の頃の藤、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、 本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。そこで、往時を忍んで天守閣の特集をしてみました。『津山城の石垣についての取材はこちら』
『津山城(鶴山公園)の過去の取材はこちら』2015年4月2日津山城(鶴山公園)内の銅版を撮影(複製写真:弥生の里文化財センター許可済み)
長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した千年寺に椿の花を求めて行って来ました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は 鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(詳しくは2009年の取材をご覧ください) 2015年12月28日撮影
2015年12月23日津山市大田の地産地消センター「サンヒルズの年末感謝祭」があり、年末年始用の食材を求めて大勢の方が来られていました。テントでは実演きねつき餅やぜんざいを美味しそうに食べている親子さんや、焼きそば、お好み焼き、焼き立ての魚をほおばるおじぃちゃんとお孫さんなどが微笑ましい光景でした。行ったのが終わりがけだったので人出はそれほどでもなかったのですが、それでも多くの人々が、花やお飾りなど沢山のお正月用品を買い求めていらっしゃいました。
田邊城について(2015年5月5日取材)
田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)
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矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)(2011年~2015年10月31日取材)
矢筈城(高山城)は、津山市加茂町山下から知和にまたがる標高756メートルの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主の草苅衡継が、天文元年(1532)から翌2年(1533)にかけて築いた山城で、東西1,600メートル・南北500メートルの壮大な規模を誇る岡山県内で最大の中世山城です。
阿波といえば、岡山県北にあり、深山渓谷をはじめ落合渓谷、布滝などダイナミックで見ごたえのある観光スポットがあります。春にはコブシの花をはじめ、ウド、ワラビ、ゼンマイに葉ワサビと言った山菜もいっせいに芽吹きます。また、夏はホタルが飛びかい、秋にはきのこと紅葉。冬には朝、目覚めると一面の雪景色になるところです。そして、乳液いらずのお肌つるつるあば温泉でゆっくりとおくつろぎください。(2015年10月30日取材)
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河原大イチョウ(2015年10月19日・11月11日)
本樹は樹高30M、元から二幹に分岐し、すぐまた六枝に分岐している。根元の周囲9.1M、目通り周囲9.7枝張り南北22M、東西17.4Mで推定樹齢600年、県下屈指の巨木である。本樹は雄で銀杏はならない。樹形は二枝が合着したもの、或いは最初の幹が失われて、その株から新枝が再生して今日の姿に成長したものと考えられ、イチョウ本来の姿とは梢趣を異にしている。
昔から銘木として知られ、元禄2年(1689)「川原村名物」の記事にも載っている。傍らに燈籠がたっていて嘉永元年(1848)在銘であるところを見ると、この地は天神様の境内地で昔から神木として崇められていたものであろう。
ここに集落環境整備事業によりイチョウの木の周辺を地区のシンボルとして又、憩いの広場として整備し、その地にある歴史を大切にした景観づくりを図るものである。
・昭和47年6月15日 町指定天然記念物
・平成4年3月 集落環境整備事業により銀杏広場として整備
平成4年 梢に春風吹く頃
勝央町 河原地区 (文:説明板より)