平成30年(2018)初日の出イベント
皆様、明けましておめでとうございます。昨年中はいろいろとお世話になり、心よりお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
皆様、明けましておめでとうございます。昨年中はいろいろとお世話になり、心よりお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
津山の春の風物詩、「津山さくらまつり」が2017年4月1日より市内各所で開催されますした。今年は4月1日~15日.まで開催され、楽しいイベントが盛りだくさんでした。郷土芸能ステージやお茶席、グルメイベントなど期間中は様々な催しがあり、取材した4月11日・12日はたくさんのお客様が来られていました。さくらの花も満開。また、ことしは桜の状態が良いため、4月16日まで津山さくらまつりが延長されました。
11月18日から11月23日まで、津山城鶴山公園にて、「津山城もみじまつり」が開催されております。期間中は鶴山公園内にある約300本のもみじがライトアップ(PM17:00~21:00)され、遠くからも石垣ともみじのコントラストがとても素敵です。
また、18・19日のステージイベント、ご当地グルメフェスティバル&つやま地域産品まつり、美作国大茶華会などイベント盛りだくさんの「津山城もみじまつり」でした。(撮影:2017年11月18日)
2017年11月5日の津山市は良いお天気になりました。午前10時~重要伝統的建造物群保存地区一帯で「第28回 出雲街道津山城東むかし町」が賑やかに催されました。
このイベントは、昔ながらの町並みが今も残る城東地区一帯を会場としたイベントです。出雲街道沿いの1.2kmが歩行者天国となり、時代行列や消防音楽隊パレード、時代仮装行列など様々なイベントが催され道行く人を楽しませてくださいました。出雲街道に着物姿の人々が往来していたんだと思うとロマンがありますね。(2016年の様子)
上紺屋町の町内神。浮田の名の由来は、不詳。
ここの道路の北側に稲荷社と金比羅社が把つであったが、明治の頃、町内の鳥羽屋に肥られていた御大師様と合わせ三体を並べて大師堂と称し町内でお記りするようになった。その歴史は明らかでないが、古くからのものと思われる。
所在:津山市上紺屋町 祭神:宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
創建:不詳 祭礼:秋祭10/第三日曜 (文:津山城下町まちなかお社巡りマップ 津山まちづくり本舗より抜粋)(撮影2017年4月23日)
浮田佐平は、慶応3年(1867)、父卯佐吉と母柳の間に生れました。
父卯佐吉は、幕末に筑後屋という屋号で米仲買頭をしていました。明治に入って貨幣改方手代を命じられ、明治21年(1898)には、津山銀行の支配人となりました。
母柳は明治10年に津山にあった岡山県勧業試験所を習了後、助教を命じられました。明治13年、同所が廃止されることになり、夫卯佐吉とともに養蚕所・製糸場を建設し、後進を養成しました。
浮田佐平は、両親から受け継いだ製糸業をはじめとして、多彩な事業を展開していました。
大正十一年(1922)、五十五歳のとき、陶磁器製造を始めます。佐平は、九谷焼・清水焼・伊万里焼など、全国的に有名な焼物のどれにも似ていない、独自の焼物を開発し、美作の特産品にしたいという目的を持っていました。海外、そして数百年先でも通用する美作特産佐平焼が完成すれば、津山の工業の発展につながると考えていたのです。
それは、「津山の生んだ事業界の偉傑」と語りつがれている浮田佐平の、壮大な戦いのはじまりでた。
坪井町の町内神は伏見稲荷より文政4年(1821)に勧請した髙守神社である。
髙守神社のある場所に髙砂屋金次郎という人が住んでいた。その屋敷神とし記られていたものが町内に引き継がれている。以前は髙森神社と称していたのを、明治24年(1891)に社殿が造営されたのを期に改めた。表通りからは見えずあまり知られていないが、きれいな町内神である。(文:『津山城下町まちなかお社巡りマップ』 津山まちづくり本舗)(撮影:2017年4月23日)
日本の教育や音楽隊などに本格的に西洋の音楽が導入されたのは、明治時代以降と言われていますが、江戸時代にも長崎出島を通じて洋楽はもたらされており、オランダ人と交流するわずかな機会を通じて、日本人もその調べを耳にすることができました。そのような状況の中で、津山藩の洋学者宇田川榕菴は、日本で初めて学術的に西洋音楽を研究し、「西洋楽律稿」などの稿本を残しました。
本展では、出島への伝来から、ペリー来航、開国に至るまでの江戸時代の西洋音楽受容の歴史と榕菴の研究について、版画や錦絵、榕菴の直筆資料を通じてご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより)(2017年10月17日撮影)
津山城の二階町門の前に、堀に沿って南北に続く町で、一説には、森藩時代の初期には、二階町を西京町と称していたが、その後、豪商の蔵合家が二階建ての家を建てたので、二階町と称したとされる。
蔵合家は、井原西鶴の「日本永代蔵」にも登場する豪商で、二階町の屋敷は、間口二十三間(約四十一 m )に及ぶものだった。
ランプの建物。昭和40年代にお好み焼き屋があった赤レンガのお洒落な建物。
2017年10月22日(日) ~29日(日) 「第55回 美風盆栽展」が津山市山下の津山城(鶴山公園)内の鶴山館で開催されています。2017年10月24日の台風一過の日に拝見してきました。会場内のとても立派な盆栽に驚き、小さな枝に大きく実った柿を見て随分丹精を込めて育てられたんだなぁ~と感動しました。また、鶴山館の外では即売などがあり、鉢植えがずらりと並んでいました。茶道裏千家の淡交会津山支部の抹茶のお接待もありました。ちなみにオープンの日10月22日は、接近してくる台風の為「津山まつり」の徳守神社と高野神社のお祭りのだんじりやお神輿の出動が取りやめになったくらい近年にはない雨や風の強い日となりました。(2017年10月24日撮影)