マンゲツロウバイの花(津山市日本原)
知人から、「今、ロウバイの花が美しく咲いているわよ~」と教えていただき、津山市日本原の竹下鹿女子さん宅へ伺いました。このロウバイはマンゲツロウバイ(満月蝋梅)だそうで植えてから20年くらいたっているそうです。大粒の花であま~い香りがただよって、黄色の花が青空に映えていました。とっても綺麗でしたよ。2014年1月27日撮影
知人から、「今、ロウバイの花が美しく咲いているわよ~」と教えていただき、津山市日本原の竹下鹿女子さん宅へ伺いました。このロウバイはマンゲツロウバイ(満月蝋梅)だそうで植えてから20年くらいたっているそうです。大粒の花であま~い香りがただよって、黄色の花が青空に映えていました。とっても綺麗でしたよ。2014年1月27日撮影
小田中安国寺近くの道沿いにあります。ここのロウバイは背が高く、隣の竹ヤブと高さを競っているように見えます。ここのロウバイも中が赤い色をしています。これはきっとトウロウバイ(唐蝋梅)だと思います。2014年1月27日撮影
2014年1月19日、今年初めての積雪があり、小田中を散歩してみました。途中、畑の隅に植えてあるロウバイの花が雪の中で美しく可憐に咲いておりましたので撮ってきました。この1月に部屋の外で咲く花はロウバイ、水仙、椿、寒牡丹などがありますね。
2014年1月14日の沼弥生住居址群の様子です。
津山市沼、津山盆地が見渡せる丘の上にある弥生時代の集落跡。竪穴式住居・高床式倉庫・作業場があったとされ、現在ではそのうち、竪穴式住居1棟と高床式倉庫1棟が復元されています。隣接の津山弥生の里文化財センター(入場無料)で発掘成果などを見学できます。
平成26年1月11日(日)津山総合体育館 (↑上記写真提供:津山市秘書広報室)
津山市体育協会津山武道学園は、青少年の健全育成に資するとともに、スポーツ・武道
愛好者が心ゆくまで錬成に打ち込み、一般観客を集めての各種の武道大会が円滑に開催できる総合武道館の建設推進を重点目標に掲げており、その啓発事業として、市民の武道への関心と理解を深め、より一層の武道の振興の図ることを目的として、毎年開催している。
作陽誌には、 「當寺清泰院は、上田邑の長継山千年寺の艮に在り、江戸時代の住職快長は、岩竇の中に聖牌を視つけました。牌面には、文治三年(1187)七月七日の文字が刻まれていました。
昔、赤松入道世貞は、兵を神楽尾城に據りました。山名時氏を撃ち抜き、安養寺で武運の祈祷と亡者の菩提を弔いました。
幕末の洋学者で、明治の啓蒙思想家として知られる津田真道が生まれたのは上之町で18歳まで過ごした生家跡がある。生家跡の取材はこちら
真道は文政12年(1829)津山藩士津田文行の長男として、ここ津山字林田上(現津山市上之町)に生まれた。幼名を貴久、次いで鶴太郎、また亀太郎と言い、長じて真一郎・行彦と称し、明治維新のころ真道と改めた。
生活は決して恵まれたものとは言えなかったが、真道は幼い頃から読書が好きで「座臥常に巻を釈てず」「津田真道」と伝えられている。
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岩谷山 妙福寺(日蓮宗)沿革 (2012年5月13日取材)
日蓮宗妙福寺の開基は、文明元年(1469年室町中期)日了聖人によるものであります。当初は坪井上福本の「寺山」にあったが、天正12年(1584年桃山中期)花房職秀により、現在の地に移されました。
妙福寺は、岩屋城と関係は深く、天正10年(1582年)には、本能寺の変があり、続いて高松城の落城、この時の岩屋城主は中村頼宗でありました。頼宗は元来、毛利方であり、美作には毛利恩顧の者は多く、死をもって忠誠を表すことを決意していました。
阮甫は生涯一医者にとどまらず、経済・天文・法学・地理・物理・兵学など洋学者として、広く学問を修め、幕府の外交政策等にかかわり、近代日本の文明開化の先がけとなった一人で多くの業績を残した。まさに郷土の誇りである。勿論日本の誇りでもある。孫の菊池大麓は、東京大学の理学部教授・理学部長を経て、総長まで務め、のちに文部大臣、京都大学総長も務めました。(情報提供:津山洋学資料館)
2014年1月12日(日)午前10時から作陽高校下吉井川河川敷(南岸)において津山市消防出初式が執り行われました。津山市消防団と津山圏域消防組合、消防職員、女性消防団員、婦人防火クラブ、少年消防クラブなどが参加。また、吉井川河川敷北岸であったふれあいコーナーではうどんやたこ焼きの屋台もあったそうです。来場者には風船のプレゼントや甘酒やぜんざいも振舞われたそうです。