千光寺の「樽墓について」(津山市上之町)

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 千光寺の墓地には珍しい墓碑が二基ある。その一つは、槍の形をした鉄製の墓碑で、"宗越作藩舊臣本多監物重威貫一虚空居士"と戒名が刻まれ、慶応3年(1867)に鋳物師百済助順が建てたと刻まれている。
 いま一つは、酒を入れる角樽の形をした墓石で、水鉢が盃形、花筒が徳利形(現在、花筒は破損し竹になっている)の立派な墓碑である。夫婦墓で、樽形の墓石に"桃林樹仙信士"(宝暦3年3月15日没)、"空山恵光信女"(宝暦3年8月19日没)と戒名が刻まれ、台石にその子息と思われる者が、建碑の趣旨を次のように刻んでいる。

「予が父いまそかりし時、酒を好む事人に越へたりといへども、いた御起さらになかりけり、宝暦三酉の弥生、七十余り三の齢をとじ免にて、報士の旅客になり侍りぬ、我若かりし時、故ありて東武に住み付ぬれば、父母に仕へざるの悔歎くとも甲斐なし、指を折りてことし十つあまり三つの回にあたり侍る、法道足踏み分け佐時の孝心およばざれども、新たに一基を営みて聊か寸志を告ぐるのみ。

 好まれし酒も菩薩ぞ山ざくら
  東都住 山田聰八郎永貞  明和二年三月一五日」

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子息が父母に対して十分な孝養が尽くせなかったことを悔み、生前、人一倍酒を好んだ父親のことを想いおこし、一三回忌にあたり、酒樽形の墓碑を建てている。親を想う子の気持を刻んだ碑文を読むとき、わがことのような感動にうたれ、しばし、黙祷を捧げずにはいられない墓地である。(資料提供:千光寺)

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上之町にある千光寺さんの駐車場からお寺の右手の墓地に樽墓、槍墓があります。

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「槍墓」は津山松平藩の譜代の家臣本多監物・貫一虚空居士の墓で、子孫も重用され年
寄役についています。

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千光寺さんにお聞きすると、昭和40年代までは、この樽墓に備前・播磨の人が首から上の病に効くと言ってお酒を持ってお参りに来られていたとのことです。(2013年12月~2014年1月取材)