永礼孝二・日下賢二の木版画
上記写真は永礼孝二 雪景(海)(制作年不詳)
津山郷土博物館3階(展示室の一部)で、永礼孝二・日下賢二の木版画展(2022年1月15日(土)~2022年2月13日(日)まで)が開催されています。
永礼孝二さんの作品がとても好きな私は早速ワクワクしながら訪ねてみました。そんなに多くの作品展示数ではありませんが、拝見すると、心穏やかな気持ちになれる期待通りの作品ばかりでした。多くの方に是非本物を見ていただきたいと思います。
上記写真は永礼孝二 雪景(海)(制作年不詳)
津山郷土博物館3階(展示室の一部)で、永礼孝二・日下賢二の木版画展(2022年1月15日(土)~2022年2月13日(日)まで)が開催されています。
永礼孝二さんの作品がとても好きな私は早速ワクワクしながら訪ねてみました。そんなに多くの作品展示数ではありませんが、拝見すると、心穏やかな気持ちになれる期待通りの作品ばかりでした。多くの方に是非本物を見ていただきたいと思います。
布は生活になくてはならないものです。「衣」になるもの、「袋」になるもの、様々な用途があり、人々にとって一番身近な存在と言えるかもしれません。今回のミニ企画展では花の刺繍をあしらったスザニを中心に展示します。スザニとは、主にウズベキスタンで制作されてきた大型の刺繍布で、壁掛けや掛布などとして使用されてきました。また、スザニは花嫁道具の一つで、一族の女性達が分担して刺繍をしたと言われています。大胆な色使いと繊細な刺繍を楽しんでいただければと思います。(津山郷土博物館3階展示室の一部)会期:令和3年7月31日(土)~9月5日(日)
※残念ながら9月12日(日)までコロナ禍の為臨時休館となっています。
(文:津山郷土博物館チラシより)(撮影:2021年8月)
田中治平 明治3年12月15日~大正2年4月29日(1871~1913)
岡山県英田郡粟井村大字鷺巣(現美作市鷺巣)生まれ。軍人をこころざして明治26年(1893)に海軍少尉候補生となり。日清・日露戦争に従軍。東郷平八郎で有名な日露戦争・日本海海戦では、第2艦隊司令部・旗艦出雲の副官だった。大正元年(1912)、日本が外国に発注した最後の大型艦船である巡洋戦艦金剛を英国に引き取りに赴き、その地で病死した。
海軍兵学校出身、第20期、明治26年12月19日卒
津山市鳥瞰図(つやましちょうかんず)吉田初三郎 館蔵
この絵図は、2021年4月1日~5月9日まで津山郷土博物館3階展示室で《春季企画展》古い写真で見る津山の鉄道展の会場に展示してあったもので、絵で見ると歴史がよくわかるのでご紹介してみます。(ガラス越しなのでぼやけていますがご容赦を。)
鶴山公園と津山駅が中心に描かれ、鉄道沿線の観光名所を描いた鳥瞰図。博覧会開催に際し、この鳥瞰図を利用して折り込み式の絵葉書が協賛会により作成されている。津山駅の近くには、昭和11年(1936)に建設された扇形機関車庫も描かれている。(文:郷土博物館展示案内より)(2021年4月16日撮影)
津山には、現存するなかで国内2番目の規模をほこる扇形機関車庫や、昔の風情を残す駅舎など、鉄道にまつわる多くの近代化遺産が残されています。この展覧会では、大正から昭和にかけて撮影された古い写真を中心に、鉄道にまつわる在りし日の津山のようすをご紹介します。
会期:令和3年4月1日(木)~5月9日(日)
ごあいさつ
このたび春季企画展として、「古い写真でみる津山の鉄道展」を開催する運びとなりました。
本市には、津山駅の扇形機関車庫をはじめ鉄道関連の多くの近代化遺産が残されています。
今回展示しております写真は、江見写真館所蔵の写真の内、鉄道関係を中心に展示しておりますが、より良い展示になるよう写真の補修作業には、同写真館にご協力をいただいております。
また、これら写真以外にも鉄道関連の資料を多数展示しております。これら資料には今回初めて展示されたものも多く、津山に鉄道が敷かれた当時の歴史や風俗など、この機会にごゆっくりご観覧していただければと思います。最後になりましたが、本企画展開催にあたりましてご協力いただきました、関係各位に対し厚く御礼申し上げます。令和3年4月1日 津山郷土博物館
津山郷土博物館ミニ企画展「世界の布1-インドネシアの絣」(令和2年12月12日~令和3年2月14日)が、郷土博物館3階展示室の一部に展示してあります。
インドネシアは 10,000 以上の島々からなり、異なる言語と習俗をもつ 200 以上の民族によって構成され、その多彩な文化が布にも現れています。インドネシア語で「ろうけつ染」という意味がある「バティック」と、同じくインドネシア語で「括(くく)る」という意味のある「イカット」はそれぞれ世界共有の専門用語となっており、いかにインドネシアの布が世界的に人気があるかわかります。
今回は多彩なインドネシアの布のなかから、主にスンバ島の絣(イカット)を中心に展示します。(文:津山郷土博物館チラシより)
「令和2年の干支、子(ね)と令和3年の干支、丑(うし)にちなみ、ねずみや牛に関する作品が展示します。その他にもお正月に関する資料などを展示し、博物館の新年をおめでたい雰囲気で迎えます。」とのキャッチフレーズに思わず行ってみたくなり、遅ればせながら1月16日に津山郷土博物館を訪れてきました。3階の会場の一角にコーナーがあり、ひときわ目を引いたのは、飯塚竹斎の大根鼠図でした。これは「大根食うねずみ」と「大黒ねずみ」をかけたモチーフであると考えられ、おめでたい図柄だそうです。津山郷土博物館にはお宝がいっぱいです。
現在、津山郷土博物館の前に、「左・出雲」、「右・京大阪、左・一ノ宮」、右・出雲」、「明治16年8月建之、坪井町」と刻まれたあ石碑が建てられている。この石碑の文字はもう少し続くが、埋められているためこれ以上判読することはできない。この道しるべについて、今井三郎さん(故人)は『津山坪井町の歩み』の中で次のように取り上げている。
「坪井町一番地の東南の角、道路に沿って大きな津山石製の道標があった。いまは撤去され、津山郷土博物館に保管してある。高さ五尺(約1.5㍍)、幅九寸(約27㌢)の四角柱形の立派なもの。文字は赤松寸雲先生。時代のずれと舗装道路改修で廃棄された。文字は"右・京大阪、左・一ノ宮""右・出雲街道""明治16年8月建之、坪井町、志茂意平、田口半治郎、片桐秀吉"とある」
さくらの開花が宣言されていたので、2020年3月29日に津山城(鶴山公園)まで行ってきました。
さくらの花は一部が満開となっていましたが、本番はこれからです。菜の花の黄色と緑、そしてさくらのピンクがとても美しく、来られていた方が「わぁ~きれい!」と写真を撮られていました。
世界中がコロナウイルス感染の恐怖のためにお客様の数も激減していましたが、来られていた方々は静かにさくらを鑑賞したら足早に帰っておられました。
久米廃寺出土塑像仏(そぞうぶつ)及び塼仏(せんぶつ)50点(津山郷土博物館)
津山市久米廃寺は、吉井川の左岸の丘陵南裾に立地する飛鳥時代から平安時代前期にかけての寺院跡である。塔を中心に東に金堂、西に講堂が近接し、それらを回廊で取り囲む伽藍配置が確認されている。寺域は東西約130メートル、南北約110メートルである。複数棟の寺院建造物跡が検出された地方寺院跡として学術的価値が高く、昭和52(1977)年4月8日に県指定史跡に指定されている。
出土遺物には多量の瓦片や土器片に加え青銅製相輪や石帯等があり、その中に塑像仏の破片と仏が含まれている。出土地点は塔及び金堂周辺であるが、特に塔の周囲からは焼土、壁土が混在して出土しており、一括廃棄の可能性が高い。
塑像仏は小片であるが、様々な部位が確認されている。如来像としては螺髪が確認され、その大きさから丈六仏と推測されている。また、頭髪部分や顔面、臂釧、指先、裳や裙といった衣装、胸甲、台座反花が見られ、複数軀の像が存在したことを示す。頭髪の様相から菩薩像の存在が、胸甲から天部像の存在が確認される。いずれも被熱しているものの、顔面や衣装は表面を仕上げ土で滑らかに整形し、丁寧に造作されたことが窺える。
塼仏は火頭形で、独尊形式の如来坐像を表現したものと三尊仏を表現したものがある。2点出土した独尊形式の如来坐像の塼仏は同笵と考えられ、顔面に金箔が認められるものがある。
塑像仏の出土事例は県内でも限られ、特に菩薩像や天部像は本遺跡での確認に留まり希少価値が高い。
また、複数種類の塑像仏の存在は堂内荘厳をよく示し、7世紀における地方寺院の信仰形態を考える上で重要であると同時に、造形の素晴らしさは中央との繋がりも示唆し、学術研究上で貴重である。