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2024 白加美神社の夏祭り

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 令和6年(2024)7月20日(土)、津山市小田中にある白加美神社境内で夏祭りが賑やかに行われました。午後4時30分から神事が執り行われ、午後5時からお涼みがあり、子ども達は綿菓子、ゲーム、お楽しみ抽選会、花火大会、参拝者にはお楽しみ抽選会や試飲会(生ビール・ジュース)があり、また、青壮年売店では、焼きそば、やきとり等々で大いに親交を深めておられました。こういった昔からの行事は、希薄となった町内会の人々との関係を深められるよい機会です。是非、町内会の行事に出かけてみましょう。
小田中(地域別/津山市/津山地域)、(過去のお涼みの取材記事)、(過去の夏祭りの取材記事

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿)
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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御代官 池田仙九郎・重田又兵衛様塚

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 幕府の出先である代官が苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)を行なったり、凶作や飢饉に際して救助の手段をとらなかったりの場合が多くあった為か、代官とは冷酷無比と印象づけられている。しかし多くの役人の中には温情をもって政治にあたった者もまた多く、前に述べた早川八郎左衛門のように名代官と慕われているものもある。
 町内にも滝本及び宮内に代官塚が建てられている。文化12年に之を建てたと記されて、寛政末から文化の初めに勝北の地を支配していた代官を祀ったもので、善政を布いた代官の頌徳碑(しょうとくひ)と伝えられている。
 碑面に 御代官 池田仙九郎 重田又兵衛様塚と刻まれている。建碑の経緯はさだかでないが、役人と百姓の温かいつながりが感ぜられる。(文:『奈義町史』)(2024-年6月14日撮影)

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名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)

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早川代官の経歴と施政の大要
 代官のうちで早川八郎左衛門正紀(まさとし)は名代官と仰がれ、久世ではいくたの遺徳をしのぶ物語が伝えられている。
 早川が久世を支配したのは天明10年(1787)6月から享和元年(1802)10月関東地廻代官に転ずるまでの14か年であった。この在任年数は数多い代官のなかでも群を抜く、すなわち他の代官では初代窪島の9年、平岡・武島の7年、藤本の5年が長い方で、16名のうち半数は1~2年で交代している。早川に対する管下百姓たちの敬仰の念は、もとより早川の他と異なる施策に対するものであるが、その施策の実現は1~2年の在任では不可能で、この長期在任を基盤にはじめて可能であったということができる。
 しかし、長期在任必ずしも名大官としての施策を生むとは限らない。代官にその人を得ること、教養と経験に富む代官にしてはじめて可能であることはいうまでもない。早川はその点でも秀れた代官であった。

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2024年4月7日の高野神社のさくら

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津山市二宮にある美作国二宮「高野神社」は森藩2代藩主長継が再建した神社です。
 2024年4月7日に高野神社で「春祭」が行われました。残念ながら催しには参加できなかったのですが、午後から参道のさくら並木を訪ねてきました。中でも私のお気に入りは、宇那提の森(ムクノキ)(市指定天然記念物)で、度々訪れてきました。長い年月佇んで何を見てきたのか問いたくなります。
海外の青年たちと2009年の秋祭りに参加)(二宮地区の情報も入れていりますのでご覧くださいね。

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「テラスカフェ in 津山文化センター」オープン!

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2024年3月27日(水)~4月14日(日)津山文化センターのリニューアルにより新設された2階の屋外テラスにて、期間限定のカフェ「テラスカフェ in 津山文化センター」(雨天時は3Fアートギャラリーで、10:00~16:00)がオープンしております。
 「テラスカフェ in 津山文化センター」は、津山文化センター主催で、ゆっくりお茶を飲みながら、目の前に広がる鶴山公園のさくらを楽しむことができます。また、雨天時は同じく新設されたアートライブラリーで雨でも濡れることなく、お花見を楽しめます。おススメです。

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【津山人】ピアニスト 中島結里愛さん

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 2024年3月24日に行われた「10周年記念津山音楽コンクールの上位入賞者披露コンサート」が、音楽文化ホールベルフォーレ津山にて開催されました。
 その会場に史上最年少で「ショパン国際ピアノコンクール in ASIA」プロフェッショナル部門で銀賞を受賞した中島結里愛(ゆりあ)さんを訪ねてきました。
 中島結里愛さんは、現在14歳(岡山県立津山中学校2年生)で、昨年12月28日に横浜みなとみらいホールで行われた第14回ヨーロッパ国際ピアノコンクール in ジャパン特級部門(年齢制限なし)において、金賞(第1位)と、杉谷昭子賞及びグランプリをトリプル受賞されています。

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2024 本行寺のさくら満開です。

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204年3月27日津山市西寺町にある日蓮宗 延寿山 本行寺境内のひがん桜が満開を迎えています。
 先日、新しく植えられた啓翁桜(けいおうざくら)が満開になっていると連絡を頂き3月19日と27日に伺って来ました。10年前には境内になった見事なしだれ桜の木もあったのですが、老木となり淋しい姿になっていました。啓翁桜はまだ若木でそんなに大きくはないのですが、ひがん桜よりはやや薄いピンクの可憐な花びらが咲いていて、とても可愛いさくらの花でした。また、根元には他の数本の啓翁桜も咲いていて、これから大きくなって楽しませてくれると思います。

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津山商工会議所女性会2月例会で淡路島日帰りバス旅行

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 2024年3月7日津山商工会議所女性会の2月例会(親睦委員会主催)で、淡路島日帰りバス旅行に参加してきました。午前9時津山を出発して一路淡路島へ向かい、昼食会場のオーベルジュフレンチの森にて昼食をいただき、昼食会場から淡路島の沿岸のリゾート施設を眺めながら約30分後、目的地の水仙の丘へ到着、早速清々しい空気を胸一杯吸いながら水仙の丘を散策。その後、すぐ近くの伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に参拝。途中から語り部の方がバスの中で絵本を見ながら説明をしてくださいました。伊弉諾神宮では神社の由来や君が代、さざれ石の由来、神宮参拝の作法など多くの事を学ばせて頂きました。そして、たこせんべいの里、淡路ハイウエイオアシスでお土産を買い込み帰路へ着きました。皆さん、大変楽しい旅で大喜びでした。

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済露山 高蔵寺(佐用町)

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済露山 高蔵寺(真言宗御室派)の由来
 聖武天皇の御代、神亀三年二月、今から約千二百年前に僧行基が創建したものといわれ、観音堂(開山堂ともいう)の本尊は千手観音である。
 後醍醐天皇は隠岐配流の時、当寺に立ち寄り、建武中興後千手堂を修補したと云う。
 森家の建てた御霊屋(おたまや)には藩祖森長俊の座像を中心に、左右には可児弥五左衛門(かにやござえもん)と河合斉宮(かわいいつき)という初代両家老木像が祀ってある。なお、現在の本堂ともいうべき大師堂には、弘法大師を祀り、高蔵寺中興の祖ともいうべき仁可上人の木像が横に安置してある。(文:『森一族秘話』より転載)

神亀2(725)年、播州佐用郡に虹光に耀き良い香り漂う山があるとの報せを受けた聖武天皇は、行基上人にその調査を命ぜられた。上人は、その山を巡り一心に祈り七日目に白髪の翁が現れ「汝が来るのを待っていた。我が像を刻んで祀らば人々に利益を与えん」と告げ千手観音にその姿を変えた。それから千日かけて彫り上げたのが本尊の千手観音と云われている。古くから朝廷や歴代領主に庇護され、後醍醐天皇は元弘の乱で隠岐に配流された際に立ち寄り、再起の戦勝祈願を行った。江戸時代には三日月藩主・森家の菩提寺となり、霊廟や三重塔が建てられるなど隆盛した。播磨西国三十三箇所10番札所。西日本播磨美作七福神のひとつ。(文:佐用町観光協会HPより転載)

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