美作の大庄屋巡り「安黒家」

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安黒家 安黒和助 東北条郡大篠村 松平蕃
大庄屋まで
 安黒氏は、赤松氏の家臣であったといわれる。
嘉吉元年(1441)嘉吉の乱によって赤松満祐が滅んだ時、津山の林田に逃れ、安黒姓に変えたという。林田には安黒谷の地名が残っている
 大篠の屋敷跡の南にある台山城城主として尼子氏・浦上氏・毛利氏に従った後帰農した。
 元文5年(1740)安黒和助が大庄屋に任命された。
大庄屋として
 大庄屋としての記録がなく、不明である。安黒豪平は津山藩士広瀬家の養子になり、その子広瀬臺山は、津山藩のお抱え絵師として有名である。臺山は山水画を得意とした

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安黒家屋敷跡の入口付近の石垣

所在地
 大篠村は、津山盆地の北東部の丘陵地域にある。秀吉の鳥取攻めによって宇喜多氏と毛利氏の決戦場となった医王山城の毛利方の補給路になった村である。利元峠など三つの峠を越えて加茂へ行く交通の要地であった。
屋敷・墓地
 屋敷跡は、西に低地を臨む山麓に位置し、背後の山麓に善応寺がある。山を切り崩した広い屋敷地には昭和20年代までは家屋があり、現在は竹藪になっている。石垣や庭園跡などを残す。
 墓地は、屋敷跡より東に一段高い場所にある。経1mぐらいの塚を石で覆う古い形の墓が並ぶ。屋敷跡の西の山にも多くの墓石が並ぶ墓地がある。菩提寺は天台宗善応寺(津山市大篠)である。
子孫
 最後の大庄屋安黒基は、美作自由党の中心として国会開設運動などで活躍した。
 また、一族から出た安黒一枝は、津山市の吉井川右岸地域の開発に尽力した。津山市昭和町の国道沿いに「安黒一枝翁之碑」が建てられ顕彰されている。(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)

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史跡巡りで何度か訪れてきましたが、竹が多くて全ぼうが見えないのが残念です。

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竹藪を進むといたるところに石垣が見えます。

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竹藪をさらに進むと墓地が見えてきます。

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安黒和泉守久重之墓です。

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ずらりと並んだ安黒家歴代の墓地です。(撮影は2014年6月29日)

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ご近所の方に教えていただいた「台山城跡」(津山市大篠)です。(2020年6月7日撮影)

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吉井川右岸地域の開発に尽力した安黒一枝の碑です。(2020年6月9日撮影)