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映画「ホルモン女」撮影風景【三枝さんで練習編】

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▲この日の撮影を終えて、三枝さんにて鉄板焼きの練習をする山下リオさん。

山下さんは疲れていた様子でしたが、それでも三枝さんに来るとマスターの教え方が良いのか?元気よく笑顔で練習に励んでいましたよ。

沖縄国際映画祭 津山編 2011年2月11日(金)「ホルモン女」 山下リオ(坂井ひろこ)・増田修一朗(松本大樹)

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映画「ホルモン女」撮影風景【橋野食堂編】

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▲沖縄国際映画祭 津山編 2011年2月11日(金)「ホルモン女」橋野食堂撮影風景

この日も寒い寒い一日で、撮影現場では山下リオさんはじめ、スタッフのみなさんも寒さをこらえながら一生懸命でした。出演者:山下リオ(坂井ひろこ)

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篠山城跡【さら山地区】

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▲篠山城跡(2011.4.10)

  早春の佐良山の東面に位置する山々は、可憐な白い花弁を一杯に広げた純白の「辛夷」の花で彩られます。その中でも一番美しい群生を見せる場所として、「篠山」があげられます。
 佐良山には「佐良山三座」と称される山々があります。「嵯峨山」「神南備山」そしてこの「篠山」です。古歌に「美作や久米のさら山さらさらに わが名は立てじ萬代までに」と謡われた「久米のさら山」を巡って、諸説が飛び交いいまだ決着を見ていない佐良山を取り巻く秀峰をいつしか「佐良山三座」と呼ぶようになりました。
 ちなみに嵯峨山には、これぞ「久米のさら山」であるという「佐良山碑」(市文化財)が津山藩により1816年に建立されていますが、それはそれとして佐良山の人たちはこの美しい山々をこだわりなく誇りに思っていると思われます。

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睨み合いの松・院庄東公園

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▲にらみ合いの松は院庄字石守の田圃中にあり、にらみ合いの松で有名です。墓趾は南北に分かれてその上に植えられている古松が当時を物語るかのようである。また、ここは院庄東公園内であり、その中ににらみ合いの松が植えられています。(2011.4.9)

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嵯峨井堰・嵯峨用水【さら山地区】

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▲嵯峨井堰(2011.4.11)(2016年の嵯峨用水にかかる水車の記事)(嵯峨山のつつじ
 寛永9年(1632年)津山藩主森忠政が改修を命じたのが始まりとされています。
 工事は難航し、村のために自ら人身御供になった「お福」さんの悲しい伝説も残ります。
 昭和37年の台風で決壊し、改修工事に着手し昭和47年に完成して、現在に至ります。
 (全長240m、満水時保有水量4万t)

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津山城(鶴山公園)さくらまつりのイベントの様子です。

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津山さくらまつり 津山城(鶴山公園)
毎年春に行われる「津山さくらまつり」。大きく立派な石垣の上に約1,000本の桜が咲き乱れ、日本のさくら名所100選にも選ばれています。
期間:平成23年4月1日~15日 入園料金:300円(小中学生は無料 30人以上2割引)
開園時間:さくらまつり期間中は7:30~22:00 (4月~9月は8:40~19:00) (10月~3月は8:40~17:00)

関連リンク:
津山観光協会 津山さくらまつり2011(会場図などこちら)
津山市公式サイト

津山市駐車場情報(空車状況がわかります)

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萬福寺

和銅元年(西暦708年)正月十三日 黒沢山の檜の梢に虚空蔵様が来降された。その霊瑞に居合わせた惣薪太夫という猟師(のちに僧となる)によって堂が結ばれたのが萬福寺の始まりとされている。
旧正月の12・13日は(今2月の最終金・土・日を縁日としています。)福笹は縁起物で商売繁盛・家運長久を願って買い求められます。「福銭」は翌年倍にして返すと、ご利益があるといわれます。
本堂のほかに百人収容できる道場があり、座禅、研修の宿泊施設がととのっている。奥の院にはミニ八十八ヶ所が作られて、新しい名所ともなっている。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/manpukuzi/index.html

善應寺

当山は比叡山延暦寺第四祖慈覚大師が美作の国を御巡教の際、美作一の宮である中山神社にご参ろうの折、東北の山頂に紫雲のたなびくのを見て、霊地のある事を知り、深山に分け入られると、にわかに甘露が降り、雲中より蟠龍が頭を挙げて、大師の登山を歓び迎える様をしたので、山号を龍頭山と名付け、大師護持の一寸八分の観音像を本尊の体内に納めて当寺の本尊とし、一宇の草堂を建立されました。その後次第に栄え、三十三所の観音を末寺として大伽籃を構えていたが、兵火の為焼失し衰微したが、慶長年間に秀円法印が再興し、その後中興第10世宥盛法印の宝暦年間に元に服したが、文政年中に野火に遭い焼失し、再建中に再度火災に遭い、慶応2年に復興しました。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/zenouji/index.html