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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3359件の記事が見つかりました。

中世山城「医王山城跡」

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▲医王山城跡(2011.5.8)
 標高340mの山頂に築かれた山城で、祝山城、岩尾山城とも表記されます。北東を大手、南を搦手とし南北に細長い曲輪を連ねています。本丸は北端にあり、東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。北の峰続きは堀切で遮断されています。二の丸は、本丸の南方に細長く続く平坦部で東側の一部に土塁が確認されます。さらに、その南方に三の丸が位置します。
 初めてこの地に築城したのは、南北朝期以前の上道是次であるとされています。その後、南北朝抗争の際、毛利方の湯原春綱が籠もり宇喜多勢と攻防を繰り広げますが最終的に美作は宇喜多領となりました。(文:『津山市の文化財』より)

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志見山 岩尾寺

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▲志見山 岩尾寺(2011.5.8)
縁起略 
聖武天皇の御宇、行基法師がこの地を訪れたときに、山中に病に臥す乞児を見つけられた。
上人が「どこか苦しいのか。もしよければ・・・」と訊ねたところ、乞児は「私は病に冒されていて、湯治に向かっているところでございます。」と答えたと言う。
それならばと、法師が乞児を扶けて、その温泉にいっしょに行くと、乞児は仏の姿となって「私は医王山に在る少彦名命(薬師如来の垂迹とされる湯治・病気平癒の神)である。仮に病の身となって、上人を試したのだ。」と告げ、忽ちに姿を消されたそうである。
これに感嘆された上人が、自ら薬師如来像を刻み、この温泉に安置されたのが、この寺の始まりとされている。(しかし、平成の今、寺内に温泉の湧出は無い。)

志見山 岩尾寺
所在 岡山県津山市吉見133
本尊 薬師如来
所属 真言宗大覚寺派

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「まじょりん」さんによる被災地応援ライブ

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まじょりんさんは今回の東日本大震災で罹災した福島県相馬市から岡山県に避難をしてきているミュージシャン兼整体師兼アーティストです。
縁あって毎年、岡山県に来てくださりライブ、絵画展、などを行なっています。
まじょりんさんは、被災地で救助・支援活動をしたり避難されている方々に少しでも疲労を回復してもらおうと、整体ヒーリングを行うボランティア活動を宮城県のNPOと一緒に計画されています。
今回はその活動資金を得るため津山のM&Y記念館でミニライブコンサートを行ないます。

まじょりんさんの歌は、優しくて、明るくて、みんなが元気になる歌です。東北地方や日本を元気にするためにがんばっているまじょりんさんの応援が出来ればということで実現しました。
また、コンサートを開いていただける場所も探していますのでご協力お願いいたします。


日 時:5月1日(日)14:00~15:00
場 所:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)
参加費:1000円(参加費はすべてまじょりんさんの被災地支援の活動費となります)
問合せ:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)まで 08687-27-3239

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中山神社のお田植え祭

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中山神社のお田植え祭(2011.4.29)

古来より牛馬の神として名高い。慶雲4年(707)の創建と伝えられる美作国の一宮。永禄2年(1559)に再建された本殿は国指定重要文化財。入母屋造と妻入に特徴のある神社建築様式が見られる。この建築様式は「中山造り」といわれ、美作地方における神社建築の主流となっている。神門は津山市指定重要文化財。また奥宮には『今昔物語』にも出てくる猿神社がある。
●中山神社お田植祭/4月29日/笛や太鼓に合わせて雌雄の獅子が舞い、鍬人が鍬を振って苗を植える様を演じる五穀豊穣を祈る祭り。(津山市HPより)

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嵯峨山(さら山)城跡、満開のつつじ

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▲2011年4月22日の美作国嵯峨山城跡は、つつじが満開です。(2011年3月に登ったときの様子)

久米の佐良山については作陽誌に【嵯峨山城跡とは】
「佐良山付古城 在中島村倭歌の詠ずるところの久米の佐良山はこれなり。一名嵯峨山と名づく。或人は言う、篠山と嵯峨山とは相去ること遠からず。何れがその佐良山たるかを詳しくせず。しかも篠山は佐良山村に在り、嵯峨山は中島村在る。佐良山に在るを以って真となすべきと言う。この説は是ならず。古は中島村、古城村、暮田村、佐良村は一村なり。総べてこれを佐良村と言う。近来邑里分割し山川の隋判は其原を詳しくせず、これに疑有り。今山上を縦目するに、風景は嵯峨山を勝となす。真の名山はただこの山なるかと記されている。
  なお篠山をもってこれに擬し、或いは神南備山をもって佐良山に擬するなど諸説に分かれているが、この嵯峨山には文化13年(1816年)秋8月に小島広厚誌、太田貞幹書両氏により佐良山の碑が建立されている。この碑文によると、一応この山をもって佐良山としている。

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映画「ホルモン女」撮影風景【お食事処 高倉編】

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▲この日も朝早く(AM7:00~)から雪の中を自転車を押して頑張る山下さん、スタッフのみなさんです。

沖縄国際映画祭 津山編 2011年2月15日(火)「ホルモン女」お食事処 高倉さんの撮影風景

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津山城(鶴山公園)さくらまつりイベント

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▲2011.4.17(日)津山さくらまつりのイベント会場

多くのお客様にお出でいただきお陰さまで完売となりました。ありがとうございました。

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津山城(鶴山公園)にご当地アイドル登場!

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▲津山さくらまつりのイベントに出店しました。2011年4月10日(日)

先週とは打って変わって素晴らしい天気になり会場も大いに賑わいました。また、この日デビューした可愛い「津山ご当地アイドル」さんと記念撮影したメンバーの顔がにこやか。これから津山の良いところを全国へどんどんアピールしてくださいね!

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院の庄【津山市院庄地域】

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▲院の庄地図(2011.4.16)。(昭和54年10月23日発行:院庄誌より)

 院庄の地は美作の略(ほぼ)中央にあたり、西から東に吉井川が流れ土地は平坦で水陸交通の便に恵まれ上古より美作の中心として栄えて来た所である。
 崇神天皇の御宇(316-391)諸国に神戸(じんご)を定め給うや吉備の神戸は苫西郡神戸郷に置かれたと、古書にあるから、それが立地条件から見て院庄の地であることは容易に諾ける。神戸とは諸国総鎮守の祭典、修理の用に充てるための領地で、美作一宮即ち中山神社、美作二宮即ち高野神社の神領になる訳である。
また、大化の改新の昔、院庄平野条理(現在の農地基盤整備)が行われていることから推しても、古くから肥沃な耕地が開けていたことが伺われる。下って王朝時代後鳥羽院の荘園となり、ここから院の荘(庄)の名が生まれたことは広く世に知られているところである。
 次いで源頼朝が鎌倉に幕府を開いて武家政治を始めるに当たって諸国に守護職を置き地方の統治を行ったが美作守護職の館は院庄に置かれており、今の作楽神社境内がその遺跡を留めている。
元弘2年、後醍醐天皇は北条高時のために捕えられて隠岐に遷(うつ)されたが、その途中院庄の守護職館に3泊4日御逗留(とうりゅう)になったと伝えられている。その時備前の国の住人児島高徳が、ひそかに行在所に忍び入り桜を削って有名な「天勾践ヲ空シウスル莫レ時二范蠡無キニシモ非ズ」の十字の詩を書き記し、聖慮を慰め奉ったことは余りにも有名である。
「天莫空勾践 時非無范蠡」(「天よ、越王勾践にあたる後醍醐天皇を見殺しに してはならない。時には、越王を助けた范蠡のような忠臣、つまり、この私高徳がいるのだから」)というように解釈しているようです。

天皇御駐輦中の御製に次の二首がある。
あはれとはなれも見るらむわが民を
   思ふこころは今もかはらず

よそにのみ思ひぞやりし思ひきや
   民のかまどをかくて見むとは

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