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取材記事内を検索ワード「秋」で検索した結果,494件の記事が見つかりました。

義信神社(安岡町)

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この近辺で義人を祀る神社というのは珍しいと思われる。安岡町の義信神社は渡辺藤左衛門義信という義人が祀られている。もと安岡町と茅町は津山の城下町になっていなくて城下町に比して重税に苦しんでいたと云う。元禄の頃安岡町に渡辺藤左衛門義信という浪人がいて町民の為に藩に直訴した処、願いが聞き届けられて城下編入が実現した。しかし、直訴は法度であり、義信は処刑されてしまう。町民は藤左衛門をあわれみ、その義挙を徳とし祠を建て神と崇めた。それが義信神社である。今も安岡町の人々はこの宮をあつく敬い、夏と秋にねんごろに祭祀を行っている。(文:つやま城西まるごとまち自慢より)

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八幡宮(宮尾)旧久米町 

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八幡神社(宮尾) 大字宮尾
 古老の伝える口癖によると、往古一郡の総鎮守として豊前の宇佐八幡の分霊を勧請したもので、其の際、定平家の先祖が御神体を奉持して帰り、其の後長年の間定平家が神事を掌どっていたが天文の頃(1532~1555、室町時代の後期)神職を他家にゆずり、定平家は秋の例祭に行われる宇佐八幡宮の神事にならった流鏑馬だけを勤めることとなった。
八幡様は武の神様であるので馬術と弓術を組み合わせた流鏑馬が神事として取り上げられたことは尤もなことである。然し乍ら神事としての流鏑馬は年を経るにつれて段々と象徴的となり、服装も羽織袴となり乗馬と共に神輿の前を歩くだけのこととなっていた。

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神田 神田荒神様

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神田 神田荒神様 (2015年5月2日取材)
神田荒神様の場所は、神田公会堂屋敷内の西にある。
7月12日夏祭り、10月12日秋祭り、毎年老人会主催で徳守神社の神官をお招き、祭礼を行っている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)

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医療の発展に貢献した久原家(二階町)

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久原茂良 1858(安政5)年~1927(昭和2)年
 茂良は洪哉の次男として津山で生まれました。最初「木藾」と称しますが、 1884(明治17)年に茂良と改めました。同年、東京大学医学部を卒業し、順天堂病院等で臨床研究を重ねました。1886(明治19)年に帰郷すると、 津山二階町(現・津山市二階町)で医院を開業します。

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久原洪哉生誕190周年記念 津山藩医久原家の幕末・明治

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津山藩医・久原家
 久原家に残された「先祖書」によると、久原家の始祖は森家の家臣熊野角右衛門であると伝えられています。角右衛門はその後、久原宗清良政と名を改めました。
 医家久原家の初代は宗清の跡を継いだ甫雲良賢です。良賢は1677(延宝5)年に幕府の医官であった西玄甫から「阿蘭陀流外科医術免許状」を授けられ、その後1708(宝永5)年に津山藩に藩医として、30人扶持で召抱えられ、椿高下に屋敷を与えられました。良賢以後、久原家は9代洪哉まで代々津山藩医を勤めることになります。

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ウッドパーク声ヶ乢のさくら

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2015年4月12日 ウッドパーク声ヶ乢のさくら
 広戸仙への登山口にある標高530mにあり、津山の町並みを一望できます。春にはソメイヨシノやヤエザクラ、ヤマザクラなど1,200本の桜目当てに多く の人が訪れます。
初夏には約2,000本のアジサイが咲き、秋にかけては眼下に雲海を見ることができます。

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上部神社(うわべじんじゃ)(草加部)

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上部神社 所在 神庭村大字草加部
 譽田別命を祀る。天照大御神及び天兒屋根命を相殿とす。初め欽明天皇32年天照大神を祀り上部大神宮と稱す。次て清和天皇貞勸2年更に譽田別命を勸請し天照大御神及び天兒屋根命を相殿に祀り上部八幡大神宮と改稱し、養和中初めて放生會を行ふ。明治6年村社に列せられ上部神社と改む。同40年神饌幣帛料供進神社に指定せらる。(文:苫田郡誌より抜粋)2014年9月26日取材

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クリスマスローズと山野草展がありました。

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クリスマスローズと山野草展が3月13日(金)~15日(日)「再々」津山市堺町5 (ソシオ一番街内)にて行われました。大切に育てられた数々のクリスマスローズや山野草が並んで、訪れる人を和ませていました。熱心に写真に撮られる方もおられて会場内はワイワイガヤガヤ。可愛いお花たちの側で可愛いお雛様もほほえんでいましたよ!(2015年3月15日取材)
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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)のエピソード

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)

 箕作秋坪は1825(文政8)年に菊池士郎と多美の二男として備中国下呰部村(あざえむら)に生まれました。13歳で父を亡くしますが、17歳頃から父の旧友・稲垣研嶽(いながきけんがく)の下で漢学を学び、さらに江戸へ出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)に弟子入りしました。

 1849(嘉永2)年には、大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入門。この時にはもう箕作家の養子になることが内々に決まっていたようです。翌年、藩に正式に養子として認められ、さらにその翌年、江戸へ戻って阮甫の三女つねと結婚。新進の医師として活動を始めました。この時秋坪は27歳でした。

 翌1852(嘉永5)年には、藩主松平斉民(まつだいらなりたみ)のお目見えもいただきました。

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白滝様(高野山西)

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 高野山西にある白滝様は、地元の方からお聞きすると「この地区で、戦後いろんなことが起きて地元の人が集まって建てたと聞いている。今でも、5軒ほどで春と秋にみんなで集まってお祭りをしています。回り当番制で、当番の人がお掃除をして、掃除が終わったら、当番さんの家で親睦を図っています。」とのことでした。由緒沿革は定かではないそうです。( 2014年7月3日取材)

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