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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1117件の記事が見つかりました。

スポーツクライミング・ボルダリング

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 2020年東京五輪の追加種目として決定した、スポーツクライミング・ボルダリングです。
テレビでも盛んに報道されている今最も注目されるクライミングを実際に見てみたいとジムがある津山市下高倉西地区(フォーチュンタカクラ合同会社のカーショップのガレージ内)に伺って来ました。
ホールドと呼ばれる突起物をチョーク(滑り止め)を使いながら壁を登るスポーツで、手足の力やバランスを使って登るので、力の弱い女性や子どもも楽しめるスポーツで、全身運動のため筋力や体幹力、柔軟性を鍛えることができるそうです。

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愛宕神社(旧勝北)

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 2017年6月24日、アジサイの花を観に声ヶ乢まで行って来ました。声ヶ乢には広戸仙の登山道があり、今は道が整備されています。せっかくなので車で行ける所まで行ってみようと思い、金山林道を辿っていくと愛宕神社の看板と鳥居が見えてきました。車を降りて鳥居をくぐると東屋のような休憩所があり、更に進むと滝と愛宕神社が見えてきました。愛宕神社の詳しい由緒は解りません。(2007年8月27日取材のプチ旅行)(峠の茶屋は閉じられていました。)

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下種神社(旧村社格)

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 2017年10月9日に多禰神社を取材させていただきましたが、その時、宮司さんや村人の方から「下種神社がこの下にあるのでよかったら取材してください。」とお話があったので行って見る事にしました。僅かな戸数でお祀りしておられるそうです。由緒などはわかりませんが、大切にお祀りされている様子です。

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琴弾の滝(ことびきのたき)

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 岡山県美作市滝宮に天石門別神社がある。別名「滝の宮」がこのあたりの地名の由来にもなり、御祭神の鎮座は2000年も前に遡るという歴史ある天石門別(あめのいわとわけ)神社。
 こちらの境内の奥へすすむと、落差13m、幅5mの「琴弾の滝」を見ることができます。滝は2段からなり、上の滝を雄滝(おんたき)、下の滝を雌滝(めんたき)と呼ばれ、古くから知られている名瀑です。夏は天然の涼場となり、秋は紅葉の美しいことで知られています。
 静寂に包まれた一帯は、滝や自然のマイナスイイオンとともに清清しい雰囲気が漂うパワースポットとしても人気の名所です。(文:美作市HPより抜粋)(2017年11月19日撮影)

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広戸神社の尼子杉(天然記念物)

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 広戸神社の拝殿前にあります。樹高28m、目通り周囲5.6mで、推定樹齢は500年です。別名尼子杉と呼ばれています。
 天文2(1533)年に出雲国富田城主尼子径久が矢櫃城を攻めた時、本社は兵火で焼失してしまいました。戦勝した尼子氏は、神慮を慰めるため社殿を再建し、その社頭にスギ、フジを植えたと言われています。尼子杉の名称は、この事に由来しています。(文:2008年津山市教育委員会発行『津山市の文化財』より)(2017年6月4日撮影)

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杉宮の八幡様(津山市杉宮)

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 ここは、旧勝北町の下村地区です。西加茂神社をすこし北に行ったところにあります。ご近所の土井さんにお聞きすると「旧勝加茂村の時は下村の八幡様と呼んでいました。詳しい事は解りませんが下村の人達で現在までお祀りしてきました。」と教えてくださいました。(2012年12月14日撮影)

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【津山人】浅本鶴山 -放浪の陶工-

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 放浪の陶工、鶴山は明治18年(1885年)津山に生まれ、2歳のとき、林田で開窯していた浅本房吉(旧姓杉崎)のもらい子になった。高等小学校卒業のころのちょうど13歳のとき、当時津山市二宮の窯へ移っていた父房吉から轆轤の手ほどきを受けたという。以後、淡路の眠平焼に行って修業を積み、さらに、兵庫県出石の「シケ場」へ。その後、伊部、明石の朝霧焼、稲見へ次から次へと、それこそ、轆轤一丁肩にかけ、ひょうひょうと、渡り歩くこと約十数年。しかも、その間、京都陶器試験場の場長の藤江氏の世話になったり、また、陶器学校で三年ほど仕事をしたりした。
 明治44年(1911年)静岡県の賎機焼に行き、そこに腰を据えて約20年仕事をした。もっとも、その間、たびたび津山に帰ったし、また、昭和10年(1935年)には、福岡県赤崎焼へも行っている。二十五歳のころ、赤磐郡佐伯町から嫁をもらった。一応幸福な中年期を過ごしたが、突然、子どもが病死し、続いて妻も失い自暴自棄になった。

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『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳

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「太平記」と児島高徳  児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
 児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
 これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
 明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。
 学者のなかには、高徳は、『太平記』の作者のつくりばなしであるとか、『太平記』の作者ではないかという人もいれば、瀬戸内の海の武士団であったなどさまざまな見方や意見がありました。『太平記』に何か所も記述されている高徳は、何物であったのでしょうか。
 近年は、地域の歴史が見なおされ研究がすすんできています。関連した人物の資料やさまざまな史実から高徳は、実在の人物であったことがはっきりし、児島あたりの山伏をひきいる忍びの頭であったと、されています。

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沼の柳ストリートマーケット

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 2017年10月28日・29日午前10時~午後4時まで津山市沼の柳どおり周辺に於いて「柳ストリートマーケット」が執り行われました。初日の28日はあいにくの雨模様になり残念でしたが、各お店の工夫を凝らした品物が店頭に並んでいました。かぼちゃの重さ当てクイズに挑戦したり、ワークショップでは楽しそうに作品を作っておられました。また、沖縄県人会のみなさんも、テントの中でエイサーを踊っていらっしゃいました。おにぎり美味しかったですよ。

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