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川上音二郎と作楽神社

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 川上音二郎が津山に来たころは意気さかんなときで、洋行帰りとして「オセロー」を上演したりしていたが、彼は一面で皇室を中心に忠誠をつくすという日本人の典型的な人物でもあったから、忠臣「児島高徳」に興味をもって、自分の演劇にも生かしていた。津山に来る動機もこれに関連がある。大津楼の津田正気が知人でもあって、一度は津山へという話ができていたこともあったらしい。一行は津山では当然に「児島高徳」を上演したが、川上の高徳はミノをつけていないのが特徴、貞奴が後醍醐天皇にふんして登場したりした。
 川上は興行のフタあけ前に作楽神社に参拝したのだが、自分が思っていたよりは寂しい構えなので、内心驚いた。何とかしたいと津田に相談をもちかけ、結局、個人として拝殿と社務所を新築して寄贈したいと決心、当時作楽神社は県社であったから、県へ申請の必要があり、少しおくれて3月に岡山に行ったとき申し出ている。もちろん県ではありがたいこととして受け、作楽神社では7月に工事奏上式地と鎮祭をした。そして拝殿と社務所が川上音二郎の寄付ででき上がったのだが、落成式は41年春の大祭日である4月22日。このときは川上は参列できなかったので、こもかぶりの酒樽をお祝いとしておくっている。川上が自分で寄付した建て物を見に来たのは44年(1911)9月3日、やはり再度津山で興行をし、同時に座員一同をつれて参拝している。

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サムハラ神社奥の宮(旧鎮座地)

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 金刀比羅神社を少し上に上った所を右折すると、元サムハラ神社が鎮座されていた祠があります。古より古祠があり、中に石があり何と書いてあるかはわからぬというが、古老はサムハラ様のご神体であると言っていた。田中富三郎氏は、昭和10年(1935年)郷里の日詰山の金刀比羅神社近くにあって荒れていたサムハラの祠を復興するも翌年には岡山県特高課から無許可神社として取り締まりを受け、自主的に撤去しました。今から約80年前です。戦後、昭和21年(1946年)にサムハラ神社奥の宮は再び田中富三郎によって再建されました。それがこの祠です。その後、日詰山の金刀比羅神社近くの現在地に遷座されました。案内してくださったのは金尾文正様です。(2017年6月22日撮影)

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日詰山頂上の大きな木(加茂町)

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加茂の金刀比羅神社やサムハラ神社奥の宮の鎮座されている日詰山のてっぺんに生えているこの木は遠くからでもよく目立っています。この日詰山頂上の木は「楠」で、樹齢不明だそうです。また、地元の方にお尋ねしたところ「展望台そのものは平成12年に、当時の金刀比羅神社の総代長の発案でできたものであり、目的は展望の良さを皆に知って貰いたかったからと聞いている。戦国時代には、あそこには百百城(別名;落合城。秀吉側)があった。そして、毛利勢の髙山城(矢筈城)や川下の津山方面、倉見川方向の谷筋を一望することが出来る最良の場所であったであろう。」とのことでした。(2017年11月23日撮影)

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日詰山の山中に生えていた大きなイヌシデ(ソロノキ)

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 この木何の木、気になる木です。日詰山の金刀比羅神社の近くにある元サムハラ神社旧奥の宮の上にあった木です。これは何の木か深く印象に残っているので撮影しました。(撮影2017年6月22日)
 【新事実発覚!】なんと残念なことに2017年12月13日に加茂町にお住いの金尾さんが調べに行ってくださったときは既に倒れていたそうです。でも、せっかくなので記しておきます。樹種は「イヌシデ(ソロノキ)」というそうです。

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スポーツクライミング・ボルダリング

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 2020年東京五輪の追加種目として決定した、スポーツクライミング・ボルダリングです。
テレビでも盛んに報道されている今最も注目されるクライミングを実際に見てみたいとジムがある津山市下高倉西地区(フォーチュンタカクラ合同会社のカーショップのガレージ内)に伺って来ました。
ホールドと呼ばれる突起物をチョーク(滑り止め)を使いながら壁を登るスポーツで、手足の力やバランスを使って登るので、力の弱い女性や子どもも楽しめるスポーツで、全身運動のため筋力や体幹力、柔軟性を鍛えることができるそうです。

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愛宕神社(旧勝北)

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 2017年6月24日、アジサイの花を観に声ヶ乢まで行って来ました。声ヶ乢には広戸仙の登山道があり、今は道が整備されています。せっかくなので車で行ける所まで行ってみようと思い、金山林道を辿っていくと愛宕神社の看板と鳥居が見えてきました。車を降りて鳥居をくぐると東屋のような休憩所があり、更に進むと滝と愛宕神社が見えてきました。愛宕神社の詳しい由緒は解りません。(2007年8月27日取材のプチ旅行)(峠の茶屋は閉じられていました。)

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下種神社(旧村社格)

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 2017年10月9日に多禰神社を取材させていただきましたが、その時、宮司さんや村人の方から「下種神社がこの下にあるのでよかったら取材してください。」とお話があったので行って見る事にしました。僅かな戸数でお祀りしておられるそうです。由緒などはわかりませんが、大切にお祀りされている様子です。

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琴弾の滝(ことびきのたき)

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 岡山県美作市滝宮に天石門別神社がある。別名「滝の宮」がこのあたりの地名の由来にもなり、御祭神の鎮座は2000年も前に遡るという歴史ある天石門別(あめのいわとわけ)神社。
 こちらの境内の奥へすすむと、落差13m、幅5mの「琴弾の滝」を見ることができます。滝は2段からなり、上の滝を雄滝(おんたき)、下の滝を雌滝(めんたき)と呼ばれ、古くから知られている名瀑です。夏は天然の涼場となり、秋は紅葉の美しいことで知られています。
 静寂に包まれた一帯は、滝や自然のマイナスイイオンとともに清清しい雰囲気が漂うパワースポットとしても人気の名所です。(文:美作市HPより抜粋)(2017年11月19日撮影)

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広戸神社の尼子杉(天然記念物)

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 広戸神社の拝殿前にあります。樹高28m、目通り周囲5.6mで、推定樹齢は500年です。別名尼子杉と呼ばれています。
 天文2(1533)年に出雲国富田城主尼子径久が矢櫃城を攻めた時、本社は兵火で焼失してしまいました。戦勝した尼子氏は、神慮を慰めるため社殿を再建し、その社頭にスギ、フジを植えたと言われています。尼子杉の名称は、この事に由来しています。(文:2008年津山市教育委員会発行『津山市の文化財』より)(2017年6月4日撮影)

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