
倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町

津山の今昔を辿ってみました。(1)

行啓道路(津山市山下)

古い街道 しずな坂(押入)

王子御塚社の由来(後南朝第三代忠義天皇陵)
1442年(嘉吉2)99代後亀山天皇長男小倉宮良泰親王第四皇子尊義親王、植月御所で即位、御南朝高福天皇と称し年号を天晴と、改元1446年2月15日高福天皇第二皇子忠義親王誕生、1458年第二代興福天皇崩御の後、第三代忠義天皇と称し即位、その後10年、1467年京郷に応仁の乱起こり、山名宗全が忠義天皇を京都に迎え、1471年京都北野梅松院に入御の後、安山院に天皇ろとして遷座ましますが応仁の乱後、山名刑部少輔清成と共に植月御所に遷幸、皇子尊朝親王に譲位し金森山新蔵坊(新善光寺)に隠居をなし禅定法皇と称す、1480年(文明12)3月17日、35歳にして崩御、この地に葬れりと伝えられる。平成8年10月8日 謹書(文:案内板より)(2018年1月6日撮影)
この木に囲まれたところです。 鳥居と王子御塚社
王子御塚社
周囲には石垣があります。
これは記念の碑でしょうか?