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取材記事内を検索ワード「備中櫓」で検索した結果,77件の記事が見つかりました。

新しく整備された京橋門

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 京橋門は、大手筋に位置する門です。堀にかけられた木橋を渡ると正面には石垣で囲まれた空間があり、右手に折れると門があります。これを桝形虎口といい、厳重な造りとしていました。現在、門や石垣は一部現存しているのみですが、絵図から、門は櫓門であったことがわかります。
 現存するのは桝形虎口西側の石垣とそれに続く土塁の一部ですが、土塁は明治の廃城以降も累々とめぐっていたことが知られ、地元の人々からは、「万里の長城」と呼ばれ親しまれていました。
 周辺は明治36年(1903)、津山高等女学校の敷地となり、この石垣上には昭和7年(1932)完成の而立館(同窓会館)が建っていました。(文:現地案内版より)(2018年4月29日撮影)

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津山城(鶴山公園)の藤の花が満開です。

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 2018年4月26日に津山城(鶴山公園)の藤の花を眺めに本丸まで登ってきました。丁度満開の藤の花がいい香りと共に出迎えてくれました。藤の花の色は紫系と赤紫系の二種類あり、見る人を楽しませてくれます。二の丸の白い藤の花は既に散っておりましたが、桜の花の後の鶴山公園は緑にあふれ、モミジの葉が新緑で美しく、また、入場口付近のヒラドツツジの花も綺麗に咲いていました。そうそう、アジサイもすでに花芽をつけていましたよ。

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2018年の津山城(鶴山公園)の夜景

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津山城(鶴山公園)2018年3月29日の夜景の様子です。今年は開花宣言したとたん一気に咲き出して皆さん慌てています。4月1日「津山さくらまつり」オープンの日にはすでに満開のようでした。鶴山公園のさくらは日本一と思っています。また、今週末には沢山のイベントがありますし、まだまだ津山さくらまつりは楽しめそうです。(動画はこちらから

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備中櫓(鶴山公園内)

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備中櫓は天守台の南東、本丸南面に突出した石垣上に立地する2階建ての櫓です。
 高さ約13メートル、幅約24メートル、奥行き約8メートルで、延べ面積は約288平方メートルです。
60を数える津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物であるといえます。
構造
 備中櫓は、木造一部2階建てで屋根は本瓦葺きの入母屋造り、外壁は軒廻りも含めて白漆喰塗りです。通常、櫓の内部は板敷きあるいは土間ですが、この備中櫓の内部は全室畳敷きという特徴を持っています。

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天守にある「常用の井戸」

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お城の井戸
 雨上がりの津山城跡を訪れた時、石垣から大量の水が噴き出しているのを見かけた。その場所は裏中門南桝形南面の石垣である。津山城跡の中で唯一岩盤が観察される場所である。北斜面の地形を削平し桝形を造出しているが、この時、南石垣面で高さ約1メートル程度にわたり岩盤が削り取られている。石垣はこの岩盤の上に直接積まれており、地下に浸透した雨水はこの岩盤面をつたって石垣から噴き出していたのである。これを見て、丘陵の頂部に位置する本丸の井戸にも水が溜まるということが理解できた。

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幻の「佐平焼」が一般公開されました。

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 浮田佐平(初代)が津山の名産品を作ろうと考案した「佐平焼」の特別展示が、2017年11月3日~5日まで佐平館でありました。
 初代佐平さんは、未完成の「佐平焼」を市場に出したのでは津山物産の名を汚すと、当初焼いては倉庫にしまいこんだと言われています。その一部が展示されています。また、蔵を改造した資料館も一般公開されました。(撮影2017年11月3日)★詳しくは(2015年11月9日撮影)、(2017年10月25日撮影

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森氏の祖 妙向尼創建 「法雲山 妙願寺」

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  妙願寺は、岡山県津山市戸川町にある浄土真宗本願寺派の寺院。「鶴山御坊」ともいう。山号を「法雲山」といい、美作国の触頭を務めた。
 森蘭丸の母・妙向尼の発願によって建立された。妙向尼は元亀元年(1570年)に始まった織田信長と石山本願寺との争い(石山戦争)の和睦成立に奔走し、本願寺の危機を救った人物である。
 信長は、本願寺との和睦に際して「森氏の金山城下に浄土真宗の寺院を建立、子息(妙向尼の子)の一人を出家」させることを条件に提示した。妙願寺はその事情の下に、最初は妙向尼の末子・森忠政を僧形として金山城下に建立する予定であった。
 しかし、天正10年(1582年)に起きた本能寺の変により、妙向尼の子息である森長定(蘭丸)・森長隆(坊丸)・森長氏(力丸)が信長と共に討死し、同12年(1584年)には小牧・長久手の戦いで二男蘭丸ら三兄弟の兄であった森長可(金山城主)が戦死してしまった為、ただ一人残った忠政が森氏の世継ぎとして金山城を継ぐこととなった。※詳しくは下記に続く。

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おもてなしイベント(文化センター会場)

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2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

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津山城(鶴山公園)の冬景色2017

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津山城(鶴山公園)の冬景色(2017年1月15日撮影)
「日本100名城」に認定されている津山城(鶴山公園)の素晴らしいと思うところが、何といっても石垣ですね。他県の友人が訪ねてきて「素晴らしい石垣ねぇ~」と誰もが言うのです。あるのが当たり前に思っていた津山市民の私はそんな言葉を聞くたびに津山城(鶴山公園)の石垣のすごさを実感するのです。(過去の取材「石垣編」です。)

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