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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1125件の記事が見つかりました。

東賀茂神社隣の安井大師堂

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 勝北町安井宇根にある大師堂は、通称庵と呼んでおり、真言宗の祖弘法大師の像を祀る堂宇で奥行二間半桁行一間半で大正元年に建て替えられ、そのご二度の修復をへて今日に至っている。
大師堂の建立の由緒は定かでないが、明治初期に毘沙門天が勧請されてから別名毘沙門さまと呼ぶようになった。
そこには、数本の石仏が並び、中でも中央の地蔵菩薩は美しい姿をとどめている。
天明、寛政年間、この地方に多くの石仏を遺した泉州の石工、松尾伊八らの手によって造られたのではなかろうか。天明年間は、天変地妖相次いで起き、国中の者は草の根、木の皮まで食い尽くし飢と病で多くの人が死んでいった過酷な時代であった。飢餓は、八年にも及び諸国の百姓は地獄の苦しみに喘ぎ、何に救いを求めようもない村の人達は、僅かな浄財を出し合い地蔵さんを建て死んでいった人々の供養と菩薩の慈悲にすがった。
安井庵文書を繙くと庵には、代々庵僧が寄寓していたことが伝えられており、天保時代より出羽の国の三九郎夫婦、生国因州の庵僧、旧浜田藩の松田佳次郎などの庵僧の墓が近くの草叢に眠っており、他国の人々を庵僧として温かく迎え入れた厚い人情を村の人々は今でも誇りに思っている。
大師堂のかたわらには大きな庫裡があって昭和二十五年に取り壊し今は、堂宇一つを残すのみとなった。
苫勝霊場二十五番札所の大師堂は、毎年桜の花の咲く頃、苫勝霊場めぐりの遍路で賑い村の風物詩でもあったが、今では知る人もだんだん少なくなり、毎月二十一日の大師の縁日に古老達によって念仏が上げられている。
(勝北町文化財保護委員平田安男記)(平成12年12月19日取材)

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多禰神社(津山市種)

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多禰神社(旧村社)、主祭神:天児屋根命、例祭:十月十日、境内地:四二二坪、主要建物:本殿・拝殿・社務所
 由緒沿革 本神社創建年月由緒等不詳。もと春日神社、八幡神社、荒神社が各地に鎮座していたのを、元禄十二年十二月 村の中央の宮山の地に合祀して、多禰神社と改称した。
(文:『岡山県神社誌』より)(2017年10月9日撮影)

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八頭(やかみ)神社の秋祭り

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八頭(やかみ)神社の秋祭りが2017年10月1日(日)にありました。この秋祭りは津山市の中で一番早い秋祭りだそうです。ちなみに夏祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の秋祭りが始まります。八頭様はアルネ津山の西側に鎮座されておられます。
 八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われています。今年は、「城西まるごと博物館フェア」、「サンビオ・マルシェ」、「健康フェア」があり、津山の街中は賑やかな日となりました。

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小島 功展 ~現代の浮世絵師と呼ばれた男~

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2017年9月27日から10月10日まで、「小島 功展 ~現代の浮世絵師と呼ばれた男~」が宮脇町の徳守会館で始まりました。美酒、美味、美女に愛された作家小島 功。流麗で、やさしくて、時には力強く描かれる線。創り出される世界は果てしなくエロティックで美しい。半世紀以上にわたり生み出された作品群は、どれも圧倒的なエネルギーに満ち溢れている。今回の展覧会では、岡山県苫田郡鏡野町在住 和仁栄幸(正興)氏【備前焼】の作品(酒器を中心に30点程)と共に小島功全盛期時代の作品を原画、版画を含めて60点程展示販売。(文:案内チラシより)(撮影:2017年9月30日)

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津山・城西まるごと博物館フェア2017

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 津山城西地区の旧出雲街道沿線を「まるごと博物館」に見立て、歴史と文化を詰め込んだイベント「津山・城西まるごと博物館フェア2017」が、2017年10月1日(日)(午前10時~午後3時)開催されました。この日は曇り空の天候でしたが、全国から来られた約50店舗のアート&クラフト店と約2万人の人出で賑わいました。年々とお店も人出も多くなり大盛況でしたね。(2016年)、(2013年)(2012年)(2011年)、

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噫忠義桜十字詞之碑塔(作楽神社)

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噫忠義桜十字詞之碑塔 (前回取材:「作楽神社」と後醍醐天皇
 戦艦大和の建造者である海軍技術中将庭田尚三を会長とする忠桜会が、昭和46年4月18日に建設したものである。表面に「天莫空勾践時非無氾范蠡」と、後醍醐天皇御製二首および斉藤監物の七言律詩「題児島高徳書桜樹図」を、裏面に道家大門の和歌二首を記してある。(文:現地案内板より)

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【津山人】国学者 道家大門(旧津山藩士、万葉調歌人 1830-1890)

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 道家大門(ひろかど)は天保元年(1881、旧暦天保元年11月18日が西暦1831年1月1日にあたる)12月10日津山藩士遠藤浦右衛門正利の四男として生まれた。幼名弥作、のち助十郎、順と名乗った。伯父にあたる同藩津田七太夫文行は藩の料理番を務めていたが、津田家の長男真一郎は学問修行のため廃嫡、次男鉄次郎は早逝したため、従兄弟の大門が養子となって津田家を継いだ。一時期津田弥作儲美と称していたが、津田の本姓が道家であることを知り、文久元年(1861)に道家と改姓した。その後料理番より進み、慶應4年(1868)に御刀番、明治維新後に作事奉行となる。同年藩より国学修行を仰せ付けられ、平田鎮胤(平田篤胤養嗣子)に入門した。

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女院塚(津山市神戸)

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女院塚は作楽神社の鳥居をくぐった所の駐車場の片隅にあります。


 通称、女院くろ 後鳥羽上皇が隠岐に御遷幸の途次、この地で病歿された寵妃姫法師を葬った塚である。現在地のやや北東にあったものを平成11年に移転した。女院塚保存会 代表 日原桜道
(撮影:2017年9月18日)

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勅使山 圓福寺(高野)

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津山市押入れにある真言宗醍醐派 勅使山 圓福寺(2017年6月210日取材)
勅使遺跡
 国道53号線の高野交差点付近にある遺跡です。交差点付近にある勅使山圓福寺の小堂付附近の耕作地附近から瓦などが見つかっており、寺院跡と考えられています。平成21年と平成27年に一部発掘調査は行われていますが、その際には遺跡と遺物は発見されていません。(文:『第112回文化めぐりの案内』より)

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片山 潜 記念館(久米南町)

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郷土の偉人・片山潜
 片山潜は1859年(安政6年)久米南町羽出木の庄屋、藪木国平(父)きち(母)の二男として生まれ、幼名を菅太郎といい19歳まで勉学のかたわら家業に精励した。その後片山幾太郎(建部町下神目)の養子となり(徴兵回避のためともいわれる)のち復籍し、さらに片山常吉(久米南町塩之内)の養子となる。この頃、名を片山潜と改める。
 1884年(明治17年)26歳で渡米、働きながら苦学し、グリンネル大学などを卒業し、その間、社会問題、労働運動に関心を持ち社会主義者となった。そして38歳の時、13年ぶりに帰国、明治30年にキングスレー館を開き社会主義、労働運動の啓蒙、普通選挙の実現や反戦平和の運動など多彩な文筆活動、実践運動に専念し日本の社会主義運動に偉大な足跡を残した。
 大正3年9月9日、日本での弾圧下を逃れて渡米し永遠に日本には帰らなかった。
 1922年(大正11年)の暮れにコミンテルの極東民族大会(ロシア)に参加して議長を務めるなど、精力的な活動を続け1933年(昭和8年11月5日13時50分)クレムリン病院で故郷羽出木の秋の空を欧州第一のトロサックスの空よりも美しいと遠く故郷に想いをはせつつ74歳の生涯を閉じた。
(久米南町観光協会)

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