雫の森と鉾立石(小原)
雫の森と鉾立石の由来
雫の森は苫田の国府関係の祭神の史跡で祭政一致を旨とした古代神会を記念すべき意義ある旧蹟で平安の頃(西暦800年頃)此所に中山神社の離宮ができ、国司はここで中山神社を拝したと考えられる。天正中は中絶したが毎年秋9月9日が総社大祭には国府の祭官は神幸される中山神社の御神霊をここでお迎えして総社々前の客社に於いて奉弊したものである。
雫の森と鉾立石の由来
雫の森は苫田の国府関係の祭神の史跡で祭政一致を旨とした古代神会を記念すべき意義ある旧蹟で平安の頃(西暦800年頃)此所に中山神社の離宮ができ、国司はここで中山神社を拝したと考えられる。天正中は中絶したが毎年秋9月9日が総社大祭には国府の祭官は神幸される中山神社の御神霊をここでお迎えして総社々前の客社に於いて奉弊したものである。
長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した千年寺に椿の花を求めて行って来ました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は 鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(詳しくは2009年の取材をご覧ください) 2015年12月28日撮影
中山神社にあるムクの木は推定樹齢500年で、名木100選に選ばれています。
ムクの木は神社の鳥居の傍に植えられ、500年経った今は見上げるばかりの大木となっています。(2014年1月24日撮影)中山神社2009年6月6日取材
2016年1月1日(火)時折小雨が降る中山神社。今年は若人の楽しそうな声が境内に響いていたので、頼もしく感じました。また、境内では恒例のお接待や獅子舞がありました。今年一年が津山瓦版にとっても、皆様にとって良いお年となります様にとお祈りしてきました。
津山市林田755(若宮谷)。祭神 大巳貴命(オオナムチノミコト)(大国主命)。少彦名命(スクナヒコノミコト)。森忠政が鶴山城の鬼門の守護のため、元和6年(1620)3月23日大隅に遷座した。村民は氏神を失ったので、跡地に小祠を建てて若宮神社と称した。元禄年間(1697~1703)松平藩の時に大隅神社の旧号をとなえるようになった。末社 御先社、三宝荒神社。(取材:2014.6.15)
「ご当地グルメでまちづくりの祭典!第9回B-1グランプリin郡山-東北・福島応援特別大会-」出展にかかる安全祈願及び総決起集会の開催
このたび、津山ホルモンうどん研究会では、10月18日(土)・19日(日)両日に福島県で開催される「ご当地グルメでまちづくりの祭典!第9回B-1グランプリin郡山-東北・福島応援特別大会-」の出展にあたり、次のとおり安全祈願及び総決起集会を行います。
1 日 時 平成26年10月4日(土)
9:00~ 中山神社にて出展にかかる安全祈願
12:00~ 津山観光センター駐車場にて総決起集会
(観光客への津山ホルモンうどん300食ふるまい)
龍頭山 善應寺 縁起
天台宗 本寺 滋賀県大津市 比叡山延暦寺。開基/貞観二痍辰年(860)慈覚大師円仁。本尊/聖観世音菩薩 行基作。脇侍/不道明王 毘沙門天。
当山は比叡山延暦寺第四祖慈覚大師が美作の国を御巡教の際、美作一の宮である中山神社にご参籠の折、東北の山頂に紫雲のたなびくのを見て、霊地のある事を知り、深山に分け入られると、にわかに甘露が降り、雲中より蟠龍が、頭を挙げて、大師の登山を歓び迎える様をしたので、山号を龍頭山と名付け大師護持の一寸八分の観音像を本尊の体内に納めて当寺の本尊とし、一字の草堂を建立されました。(善應寺2014.6.29取材)
かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材
田神社(たじんじゃ)由緒
当社は貞観年中(859~877)に行教法師と田口信濃介統範が豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建したと伝えられている。応神天皇、神功皇后を祭神とする。
もと上采に所在したが、大正7年(1918)に田神社を主祭として天剣神社、千家里神社、天津彦神社を合祀して一村一社とした際に、現在の鎮座地 金粟(こんぞく)に移転した。2014年1月12日取材
昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)