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千年寺の冬と椿の花

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 長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した千年寺に椿の花を求めて行って来ました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は 鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(詳しくは2009年の取材をご覧ください) 2015年12月28日撮影

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 かぐらおの山城を一望に治める千年寺は鶴山城とも連繋されていたのです。千年寺一帯は西に紫竹川が流れ周囲の山を利用して進入路を大門(田邑川東向公会堂)に集結させ龍吟径を通って寺に入るようにし、他は谷の湿田を利用して侵入を防げました。

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 寛文八(1668)年十一月七日、長継山千年寺は創建され翌年の春、二月五日開山鉄堂和尚(美濃の出身)が入山致しました。

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境内には鐘楼が残っており、今でも梵鐘には滑車が付いている。

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左:椿の花に囲まれた関森亀岳和尚の碑(江戸末期から明治にかけて寺の難渋のとき住職をされた方で陸奥宮城県の出身)中:石燈篭両基(この石燈篭は徳守神社と中山神社にも同時に寄進されたものだそうです。)右:黄檗二十四代當山重興石窓劫和尚大禅師之ガン 津山松平五代康哉(やすちか)公の参禅の指導をされた方で、将軍家から声がかかって本山二十四代住職となり、五百両拝領したという高僧だったそうです。(信州長野県出身)

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長継院殿静休道岳大居士 現化即法身(この意味は今すぐ全ての人が幸せになれるだそうです。)
現大守森氏四位侍従 寿塔(生きているうちに建てた)寛文九年巳酉初夏下旬建

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千年寺の裏には、大きなつばきの木の林がある。

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椿林がつづいている。

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椿林と生前墓(寿塔=逆修塔)

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この木もすごく太い木だ。

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生き仏様と呼ばれている鐡堂融和尚のお墓。(人が入れる程大きな石室)

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周りには水はけを良くするための溝が二重に掘ってあるのがわかる。

黄檗の高僧 鐡堂融和尚(1630〜1702)