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取材記事内を検索ワード「伝説」で検索した結果,96件の記事が見つかりました。

人形仙三十七人墓

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上斎原振興センターより人形仙林道を北上し、美作北2号線との合流点より西側へ50mの所にある。
 この人形仙一帯は、江戸から明治時代にかけてタタラ製鉄が稼業されていた場所でもある。
 明治12年(1879)と19年(1886)に、全国的にコレラが大流行し、それぞれ10万人前後の病死者を出した。人形仙鉄山でも明治12年夏に流行し、当時の鉄山人口の約200人のうち62人がコレラにかかり、37人が死亡した。三十七人墓はその供養である。(文:『鏡野町の文化財』より)(2017年4月30日撮影)

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若宮神社の椋の木

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 西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)

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大佐々神社(大篠)

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大佐々神社の由来
 大佐々神社は、大層由来深い神社であり、伝説に拠れば元奥谷の古宮谷山に「月読命」を祀る神社として鎮座し、本殿は享保拾年(1725年)六月、拝殿は同拾参年(1728年)八月に建設されたことが古記録書類にも残されており、壱千年以上にわたる歴史を持った名社なり。以後、天保拾五年(1844年)五月、東北条郡大篠村東分に大築大明神と御役所届をし、嘉永七年(1854)現在地に遷座された。

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五鉢の隈(東一宮)

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 直径15m~24m、高さ7.5mの円丘で、古くからの言い伝えによれば仁徳天皇にご寵愛された黒日売の持ち帰った金の鉢5枚を、この土中に収めたと言う。この鉢に黄金の雛が棲み毎年除夜にかぎり一声する、この声を聴く者は長者に成れると言う伝説がある。また、一説には、葦の群生した荒れ地の開墾で発生した石礫収集処分小山だとか、昭和30年頃裾を掘ったが、石と赤土であったと聞く。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月19日撮影)

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元魚町「お祭り麒麟館」の展示風景

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 元魚町「お祭り麒麟館」の展示風景 グリーンライフ津山元魚町の1階(地域交流スペース)に元魚町「お祭り麒麟館」がある。この施設は協同組合 津山銀天街が管理、津山まちづくり倶楽部、協同組合 元魚町商店街、元魚町町内会、徳守だんじり若頭会が展示協力をしている。(文:元魚町『お祭り麒麟館』案内より)(撮影:2017年6月4日)

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国の名勝の衆楽園にある「七面大天女」

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七面大天女
 七面大天女の総本山は山梨県南巨摩郡早川町にある七面敬慎院で摩尼殿に祀られている。日蓮宗の総本山 身延山 久遠寺の鎮守神、法華経の守護大善神として祀られた。
示現伝説に「日蓮聖人が高座石で説法中、若く美しい女性の姿で現れ、正体は龍で法華経を信じるすべての人々を守護するといい七面山の一の池に立ち去った」......永仁5年(1297)9月19日七面山に七面大明神として祀られた。示現伝説から七面大菩薩、七面大天女とも呼ばれ池の守護神としても崇敬されている。
 徳川家康の側室養珠院 お万の方が元和5年(1619)に七面山に初登詣して女人禁制をといたといわれている。寛永17年(1640)にも再び七面山に登詣している。
 津山への勧請は七面山妙徳庵の縁起によると、宝永3年(1706)6月4日、津山藩主松平宣富が江戸の七面明神を分祀して津山城内の厩(おんまや)濠の傍に勧請した。明治4年廃藩となり七面祠も廃社同様となった。

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羽留石(はどめいし)

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 中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)

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湯郷(かさね岩の伝説)の近くのお題目岩

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お題目岩(美作市)概要: 元禄15年(1702)、聞法院理賢と聞法院妙賢が巨石に法華経「南無妙法蓮華経」を刻み込みました。題目とは法華経の中で記されている「南無妙法蓮華経」の文句の事で法華経を採用する宗教団体が勤行の際に用いられます。全国的にも題目石、題目岩と呼ばれる巨石、巨岩が存在し多景島(滋賀県彦根市)や岡山県和気町、最上稲荷神社(岡山県岡山市)、総社市清音軽部、登別市登別温泉町、岡山市富山地区には各地区毎に題目石が建立されています。(文:湯郷温泉観光・旅行見所ナビより)(2016年11月8日撮影)

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三穂神社(奈義町)

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念願を自から果たした神 (「さんぶたろう」伝説発祥の地)
こうべさま由来
 この神域は正貴山と呼ぶ古来の原生林にして1名のこうべ様の名によって往古から美作東北部より因幡路にまたがり広くの民衆の信仰を集めて著名である。 
 別の名を三穂神社と称えるがその三穂の語源ならびに読みにつき諸説さまざまにして詳らかなる定説がない。
 この宮の主神は出雲神族の大国主之命の御子事代主之命であり併せて菅原道真の裔三穂太郎満祐の頭部を後に合祀されている。 (2015年11月20日撮影)

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中山神社祝木のケヤキ 市指定天然記念物

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中山神社祝木のケヤキ 市指定天然記念物
 中山神社大鳥居前の県道ぞいにある。推定樹齢800年で、胸高8.95m、根元10.5m。地上5mから七枝に分かれ、内部は空洞となっている。道路に面して祝木社の小祀がある。祝木とはこの木の下で中山神社先住神を祝い祭ったという伝説にちなんでいる。
「中山神社縁由」によると、慶雲3年(706)中山神は美作国を鎮護するため英多郡楢原に天下った。次に水無瀬河奥の泉水池(現津山市一宮)に現れ、さらに田辺の霧山に移った。そこで麓の川に鵜の羽を浮かべたところ、その羽が長良嶽の麓にとどまった。その地はすでに先住神の大巳貴命が鎮座していたが、命から国譲りをうけ、慶雲5年(708)現在地に社殿を建てて永くこの地に鎮座することになった。そして
大巳貴命は祝木のもとに移住して鎮座したが、のち数10m南の地に宮地を求めて国司神社となったとする。(文:津山の文化財より)(2016年7月18日撮影)

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