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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3340件の記事が見つかりました。

醫王山 感神院(真庭市)

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 感神院は木山寺の塔頭につき、縁起は木山寺と同様です。
感神院(木山寺大師堂)は享保2年(1717)に建立され、昭和30年までは木山寺本堂として使用されていました。本尊・弘法大師尊像は、日輪大師と称され、数珠の代わりに塔を持たれ、蓮台に座し、光背は光明真言の日輪になっています。また、お龕(ずし)には高野四社明神が画かれています。
 福引会陽:会陽は2月の第3日曜日に厳修され陰陽2本の御宝木(ごしんぎ)が福引で授与され、また参加者全員に御福銭が授与されます。その他、境内では柴燈大護摩供が厳修され、無病息災の火渡り、古いお札等のお焚き上げが行われます。(文:『高野山真言宗 美作霊場めぐり』より抜粋)

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2021梅雨の醍醐桜

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 この桜は、ヒガンザクラの一種「アズマヒガン」で、推定樹齢は1000年。根元の周囲9.2㍍、枝の広がりが四方に10㍍伸び、高さは18㍍ある。
「醍醐桜」の名前の由来は、鎌倉末期の元弘の乱により後醍醐天皇が、隠岐に流される途中ここに立ち寄り、美しさを賞せられたとの言い伝えによる。
規模・樹齢ともに県下一であり、昭和47年12月9日、岡山県の天然記念物に指定されている。真庭市

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瑠璃山地蔵院 等輪寺(真庭市)

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 当山は、古くは岡本山地蔵院と称して上市瀬字古寺にあり、その時代は明らかではありませんが、現在地に移転し、等輪寺と改称したと伝わっています。
 岡本山地蔵院には塔頭の名を遺す地名があり、また、字古寺には石地蔵を祀っていて、これを「古寺の石地蔵」といいます。
 天正年間の初期、宮山城の客将が備中より来て、地蔵院の後方の山上に陣を築きましたが、眼下に寺が在るのを見て忌み、弘治2年(1556)に寺を現在地に移転して建立したそうです。
 現在の本堂は、明治初年に檀信徒の力によって建立され、客殿・山門はその後に建立されたと伝えられています。現在は鐘楼堂はありませんが、昭和17年太平洋戦争中に、供出したという歴史があります。
 現在は、第34番木山寺が兼務をしており、問い合わせ・連絡などは木山寺にお願い致します。(文:『高野山真言宗 美作霊場巡り』より抜粋)(2021年6月19日撮影)

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ノスタルジートレイン「美作国やまもり号」に忍者参上!

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 2021年7月24日(土)の炎天下の中で行われた、JR津山線の2両編成の列車ノスタルジートレイン「美作国やまもり号」サプライズ企画で、列車内でパフォーマンスするおもてなし隊として「作州忍者鶴丸隊」が参上。
 作州忍者鶴山隊初めての津山城外活動で、岡山県のJR亀甲駅から津山駅までの区間、九字をきったり、忍者クイズをしたり、駅のステージでパフォーマンスをしたりとお迎えからお見送りまで、忍者らしく活動し、沢山のお客さんに喜んでもらえて大成功のイベントでした。
 克丸隊長は「作州忍者鶴山隊の特色は「くノ一忍者」の方が多いのも特徴です。これからも県北の魅力をもっともっと知ってもらう為に活動を増やしてまいりますので見かけましたらお声がけください。」とのこと。「津山瓦版」も応援していますよ~。

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田中孝夫が残した作品たち

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 田中孝夫氏は、大正10年3月津山中学を卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)の西洋画科を卒業後、昭和3年4月兵庫県立丹波篠山高等女学校勤務、その後、岡山県立津山峰南高等学校(現津山工業高校)の第6代校長になり、昭和25年3月5日退職。しばらくして昭和31年作陽短大、昭和32年から美作短大の教授になった田中孝夫氏ですが、ここでは一部ですが氏が残した作品たちをご紹介してみます。
 上記の絵は、丹波篠山高等女学校時代に制作したバレーボールをする少女達の絵「さわやかな丘」が文展に初入選。迫力のある絵で最優秀作品候補になった絵です。

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神村山 神林寺(真庭市)

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 当寺は、和銅2年(709)、山麓の猟師兄弟が山中で一寸八分の千手観音を発見し、草堂に安置して、熱心にこれを祀ったことに始まります。以後、入唐沙門円誉上人が、唐より仏舎利や経像を持ち来たって、神林寺として開山したと記録されております。
 後白河法皇の寄進や、源頼朝が梶原景時を奉行として堂塔を建立したなどの事蹟もある、作州での山上伽藍として最古の歴史をもつ寺院であります。
 しかし、深山の中で無住となって久しく、今では南山麓の善福寺の境内に神林寺仮堂をたてて、本尊諸仏を安置し、仏具、古文書類もここに保管しております。
 現在は、山上の本堂、鐘楼堂、仁王門も修復整備され、多くの花木が植えられ、檀徒一丸となって復興に努力しているところです。
なお、本尊は安産の霊験あらたかであります。(文:『高野山真言宗 美作霊場めぐり』より)(写真:2021年6月19日撮影)

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山田方谷旧宅及び長瀬塾跡

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 この付近には、かつて山田方谷(備中松山藩士・漢学者1805~1877)居宅があり、川沿いには十数本の松が並んでいて、対岸へは専用の渡し舟で渡っていました。方谷は藩政改革を成し遂げた後、領内の守備と耕作地開拓のため藩士を移住させる「在宅土着」の理念を実行しようと、藩主に願い出て安政6年(1859)に備中松山城下からここに移り住みました。月の内、半分は藩の仕事で城下に出向き、残りは対岸の山などを開墾しました。また、この年、長岡藩士の河井継之助(1827~1868)が方谷の教えを請いにこの地を訪れています。
 方谷は政治から手を引いた、明治元年(1868)私塾・長瀬塾を開きました。彼に学びたい人々が次々に集まり、塾では学問と同時に人間教育が実践されました。当時の名簿には63人の名前が記載されていますが、実際にはもっと多くの塾生が学んでいたといわれています。
 学規(塾のきまり)も5条定められていました。要約すると次のようになります。
1,1日と5の付く日は休みとする。しかし、起床・消灯は平日と同じにする。
2,帰省および遠出のほかは外泊してはいけない。理由があって帰れないときは報告する。
3,毎朝、先祖・父母に向かってあいさつを欠かさない。これを怠るものは退学を命ずる。
4,秋冬にはしっかり読書する。
5,寮内を清潔にし、傘、はき物などよく整頓し、決して他人のものは使用しない。 
高梁市教育委員会

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身近にある「山菜の天ぷら」(5月)

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 物見の金尾さん宅で、身近くにある山菜ばかりで天ぷらを作って美味しくいただきました。
 三つ葉・うど菜・みずぶきは癖がなくあっさり味で美味。わらびは口の中に入れるとぷ~んとわらびの味がして美味。わらびは炭酸に塩を入れると色が落ちない。いたどりは少し酸っぱいが気にならない。ゆきのしたは癖のない味で、汁は喘息に効くといわれています。お茶の葉も癖のない味。タケノコの天ぷらは初めて頂きました。タケノコは味がないので予め味付けをしたものを使用。

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2021白加美神社の夏祭り

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 2021年7月17日の土曜日、津山市小田中にある白加美神社で夏祭りがありました。
町内会の氏子の皆さんが久しぶりに集まり話をしたり、子どもたちの笑顔もみえ、楽しい雰囲気でした。コロナ禍の中、座るのも家族単位です。町内会でも滅多に会うこともなくなっている昨今ですが、みんなと話が出来る事っていいなぁ~とつくづく思いました。早く新型コロナウイルス感染が終息することを祈って。

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7月のイナバ化粧品店

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 2021年7月15日、梅雨が明けているのに連日にわか雨と雷の日が続いています。
今日も雲行きは危うい。岡山県の緊急事態宣言は令和3年6月1日~6月20日で、今は津山市内の各施設も再開されていますが、東京などの状況を考えると遠くへ出かけるのは遠慮してしまいます。少しでも早く新型コロナウイルスの感染拡大が終息しますように!また、皆さんとお会い出来ますように!と祈りながら。

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