真言宗 極楽山 安養寺(津山市上田邑)
作陽誌には、 「當寺清泰院は、上田邑の長継山千年寺の艮に在り、江戸時代の住職快長は、岩竇の中に聖牌を視つけました。牌面には、文治三年(1187)七月七日の文字が刻まれていました。
昔、赤松入道世貞は、兵を神楽尾城に據りました。山名時氏を撃ち抜き、安養寺で武運の祈祷と亡者の菩提を弔いました。
作陽誌には、 「當寺清泰院は、上田邑の長継山千年寺の艮に在り、江戸時代の住職快長は、岩竇の中に聖牌を視つけました。牌面には、文治三年(1187)七月七日の文字が刻まれていました。
昔、赤松入道世貞は、兵を神楽尾城に據りました。山名時氏を撃ち抜き、安養寺で武運の祈祷と亡者の菩提を弔いました。
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岩谷山 妙福寺(日蓮宗)沿革 (2012年5月13日取材)
日蓮宗妙福寺の開基は、文明元年(1469年室町中期)日了聖人によるものであります。当初は坪井上福本の「寺山」にあったが、天正12年(1584年桃山中期)花房職秀により、現在の地に移されました。
妙福寺は、岩屋城と関係は深く、天正10年(1582年)には、本能寺の変があり、続いて高松城の落城、この時の岩屋城主は中村頼宗でありました。頼宗は元来、毛利方であり、美作には毛利恩顧の者は多く、死をもって忠誠を表すことを決意していました。
阮甫は生涯一医者にとどまらず、経済・天文・法学・地理・物理・兵学など洋学者として、広く学問を修め、幕府の外交政策等にかかわり、近代日本の文明開化の先がけとなった一人で多くの業績を残した。まさに郷土の誇りである。勿論日本の誇りでもある。孫の菊池大麓は、東京大学の理学部教授・理学部長を経て、総長まで務め、のちに文部大臣、京都大学総長も務めました。(情報提供:津山洋学資料館)
2014年1月1日の津山城(鶴山公園)三の丸から見るご来光です。
本年もなにとぞ宜しくお願いいたします。
小田中笠松のカウントダウン花火(年忘れ花火大会)
https://www.e-tsuyama.com/report/2013/01/post-402.html
https://www.e-tsuyama.com/report/2012/01/post-107.html
『服部定山 遺作展』(2012年12月18日取材)
〇会期:12月15日(日)~1月19日(日)入館料:無料(2F常設展は500円)
年末年始は12/28(土)~1/4(土)まで休館となります。
本年4月に亡くなられた成道寺前住職・服部定山氏の「書」、「陶芸」約200点を一堂に展示いたします。服部定山氏は若い頃から趣味として陶芸や書、篆刻などに親しみ、特に陶芸は、津山市老人会陶芸教室の講師も勤めました。
美作国ミステリースポットとして紹介されている中の【殺生石の由来】 (岡山県真庭市勝山にある曹洞宗の寺院『化生寺(かせいじ)』)
九千年を永らえた白面金毛九尾の古狐が唐より帰朝する吉備真備の船でわが国に密航する。約四百年間身を隠したのち、鳥羽法皇の寵妃(ちょうき)『玉藻の前』となり、ご寵愛を一身に集めたその頃、時の帝近衛天皇は、重い病に伏され、ご生母美福門院(びふくもんいん)は、天文博士安部康成に大祈祷を命ぜられると正体を現した妖狐は那須野原へと飛び去った。2013年12月8日(日)
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泣清水の碑(美作国theミステリーの中で紹介されているミステリースポット)
この南に昔水田があり、東西に流れ落ちる水音が哀調をおびていたので、この地を泣清水と呼んだ。伝説に、父の仇討を首尾よく果たした清水鶴と亀の孝女姉妹が住んでいた哀愁の地。更に勝間田の「お花」が津山城下に赴く時、最後の別れを泣いて惜しんだ悲哀の地でもある。(2013年12月3日碑より)
国指定重要文化財・国登録名勝(石谷氏庭園)近代和風建築の集大成石谷家住宅
江戸時代、参勤交代の宿場町であった智頭宿。因幡街道に面する石谷家住宅は敷地面積3000坪、部屋数40余りによって構成されています。
見上げれば巨木の梁組み、大黒柱の輝き。近世から近代への建築技術の推移を示す歴史的建造物群です。大規模な近大和風建築物として高く評価され、現在は一般公開されています。蔵を利用した美術品や工芸品の特別展などが開催され、四季折々の風情をお楽しみいただけます。 (取材協力:石谷家住宅)2013年11月16日
2013年11月30日(土)~2014年3月16日(日)【9時から17時(入館は16時30分)】
場 所:津山洋学資料館 ※問い合わせ:0868-23-3324(津山洋学資料館)
和算と言えば難解だと思われがちですが、それを昔の人はスイスイ難問を解いていたのですから偉いですよね。今よりはるか昔に杭などの測量器具で精密な計算ができた和算ってすごいですよね。測量器具の本物をこの機会に是非ご覧ください。