寂静山 教本寺跡(下高倉西)
寂静山 教本寺跡
下高倉西二区公会堂から北北東に約200mのところに「宗祖見眞大師650回忌法要記念碑」がある。この道を隔てた北側が教本寺の跡地である。寂静山教本寺は天正2年9月(1574)に真言宗備永寺として建立された。
その後、享保14年(1729)、備前守右近正広入道の時代に浄土真宗に改宗された。明治26年、12代導隆のときに本堂が再建され、13代導徹も引き続き寺院の整備につとめ門徒数も増加した。当時お寺の縁日には地元の高倉をはじめ、遠方からも大勢の参拝者が続き賑わっていた。
教本寺跡の入り口 竹やぶが教本寺跡
14代導けんのときに移転の儀がおこり、紛争の末に昭和29年、津山市大谷へ移転した。その際に寺の由緒ある御成門と鐘楼が高倉から移築されている。
現在の教本寺は15代智章住職と弟の智顕副住職を中心に多くの門徒をもつ大寺院になっている。
高倉の寺院跡地はお寺の移転とともに、周辺にあった家々も移転して、現在は樹木や竹の生い茂る静かな空間となっている。(2013.2.14取材)(文:高倉の歴史と文化財より)
この道を挟んで教本寺があったそうです。
荒れ果てた跡地
この池で子供の頃遊んでいたそうです。
宗祖見眞大師650回忌法要記念碑
教本寺跡は竹で覆われています。
かすかに残る石など
現在、大谷にある教本寺です。