法然上人が修行した 高貴山 菩提寺
菩提寺略縁起
当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。
その間"法相""天台""浄土""真言"と各宗変遷をたどり多くの名僧を輩出したが、殊に法然上人(幼名勢至丸)9才(1141)から13才まで、父漆間時国公の遺言によって、母方の叔父、勧学得業上人のもとで学問を始められた史実は、勅修「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)に伝えられる処です。
往古の伽藍の様相を、僅かに残る中古の記録によると、'本堂九間四面""観音堂五間四面""鎮守堂四間四面""不動堂二間六面""鐘堂二間四面""通堂九間"等々記されており、広大な規模を彷佛とさせられるものがあります。
数百年の繁栄も、この地が険要であったが為、地方豪族の拠点として菩提寺城等の城砦を築き、戦国乱世に頻りに災禍を受けてついに天文2年、尼子義久の焼打によって、悉く灰燼となって以来衰微の一途を辿り、江戸末期僅かに残る草庵も焼失し、無檀、無禄につき復興のめどなしとして、一旦は廃寺となったが、法然上人遺蹟地の故、明治十年寺名再興浄土宗復宗の官許を得て作因両州近郷近在の檀越、信徒共々信心を凝して本堂再興(明治十三年)、以来現在に及んでいる。
1、本尊:十一面観世音菩薩 座像、嵯峨大覚寺から文久元年招来。
2、阿弥陀如来:芝増上寺から蔓延元年招来
3、勢至丸像:勢至丸様(法然上人幼名)の霊像で、阿弥陀如来と共に奉納された唯御一体の圓光大師少年姿、冷泉為恭の作。
4、守護神:摩利支天王を勤請し、境内の守護神として巌上に御鎮座
5、観覚塚:勢至丸様初学の師、観覚得業上人の御墓、熊谷蓮生(直実)の建立と言われる、石塔は近年の建替え。
6、大公孫樹:勢至丸様9才入山の際携えた、いちょうの杖を「我、未来に弘めんとする法門盛んならば、必ず繁生せん」と本尊に誓って挿し木したと伝えられている。
果たして念仏の興隆と共に繁茂し、目通り13m余高さ40m余の巨樹となり、昭和3年国の天然記念物に指定された。
資料提供:高貴山 菩提寺(2012年11月14日取材)
本堂と山門、参道(2012年7月8日)
本堂の中
観音様、お位牌、かぼちゃ頭の法然上人座像
本堂の天井
国指定の天然記念物 大イチョウ(2012年11月14日)
浄土宗の開祖、法然上人が学問成就を祈願してさした杖が芽吹いたといわれる。この天を覆う銀杏の巨樹は、国定公園那岐山の古刹、菩提寺の境内で歴史の重みをかさねながら静かに息をひそめつつ立っている。目通り周囲約12メートル、高さ約45メートル、樹齢推定900年といわれ県下一の巨木である。昭和3年、国の天然記念物に指定され、また全国名木百選にも選ばれている。町では、イチョウを町木に指定し、その保護に力を注いでおり、町民一人ひとりの心の中に大銀杏が息づいている。(奈義町教育委員会案内板より)
本堂の彫り物と鐘(2012年7月8日)
参道の紅葉(2012年11月14日)
イチョウの木(2012年7月8日)
参道の紅葉(2012年11月14日)
(2012年7月8日)
社務所の紅葉(2012年11月14日)
▲町指定の天然記念物の広葉杉(2012年7月8日)
参道の紅葉(2012年11月14日)
▲町指定の天然記念物のヤマナシ(2012年7月8日)
2012年12月27日に再度伺い案内いただきました。
山の駅(2012年11月14日)
山の駅(2012年11月14日)
山の駅(2012年11月14日)
山野草園(2012年11月14日)